コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──九月。
夏の熱気がまだ残っているのに、空の色だけが少し淡くなった。
朝、制服の袖を通したとき、ほんのわずかに風が冷たく感じる。
久しぶりの登校日。
昇降口を抜けると、あの懐かしい匂いがした。
消毒液とチョークの粉、そして夏の名残。
廊下には笑い声が戻っていて、
人のざわめきがどこか落ち着かない。
だけど、心の中で思い浮かべているのは、
ずっとあの図書室の静けさと、
夏の夜に見上げた花火の色だった。
教室の窓から差し込む午後の日差し。
授業の合間、ぼんやり空を見ていると
「紬」
声がして振り向いた。
そこにいたのは、水森先輩。
いつの間にか近くに立っていて、笑っていた。
「久しぶり。元気だった?」
「はい。先輩こそ」
「まぁね。補習、地獄だったけど」
笑いながら言うその声に、夏の間と同じ温かさがある。
でも、制服姿の彼を見た瞬間、
“先輩”と“私”の間にある距離を、少しだけ意識してしまった。
「……先輩、もうすぐ受験ですよね」
「うん。あっという間だな」
「夏、あんなに遊んでて大丈夫なんですか」
「お、心配してくれてる?」
「してますよ」
そう言うと、先輩は目を細めて笑った。
「じゃあ、頑張らないとな。…紬に恥かけないように」
その言葉に、心臓が一拍遅れて跳ねた。
返事をしようとして、喉の奥で言葉がつっかえる。
窓の外では、風が木の葉を揺らしている。
もう蝉の声は聞こえなかった。
夏が終わっても、 先輩の笑顔だけはまだ私の中で熱を持ったまま光っていた。