テラーノベル
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その街を訪れたのは、数年ぶりのことだった。
駅を出てすぐ、鼻をくすぐったのは潮風と、どこか懐かしい埃の匂い。かつてあんなに窮屈だと感じていた街の空気が、今は喉の奥に鋭く刺さる。
坂を上るにつれ、街はゆっくりと、執拗なまでの橙色に飲み込まれていった。
あの頃、僕たちはこの坂道で、世界のすべてを分かち合っているような顔をしていた。
隣を歩く君の影が、アスファルトの上で僕の影と重なり、離れ、また重なる。その些細な動きに一喜一憂していた自分たちが、今の僕には、ひどく遠い異国の物語の主人公のように思えた。
君が教えてくれた、空が一番綺麗に見える場所。
錆びついた手すりに触れると、指先に冷たい孤独が伝わってくる。
景色は、驚くほど変わっていない。けれど、そこにあるはずの君の笑い声や、言葉にならない期待感だけが、綺麗に削ぎ落とされている。その欠落が、何よりも重く、僕の胸を圧迫した。
もし、あの時の言葉を飲み込まずに伝えていたら。
もし、もっと今の自分を肯定できていたら。
夕陽は、すべての後悔を暴き出すように鮮やかだ。
この光は、僕を温めてくれるわけではない。むしろ、今の僕が手放してしまったものの大きさを、影の濃さで教えに来ているようだった。
思い出は、美しければ美しいほど、今の自分を否定する刃になる。
僕は、沈みゆく太陽から逃げるように目を伏せた。けれど、瞼の裏に焼き付いた橙色の残像は、いつまでも消えてくれない。
街に夜の気配が忍び寄る。
結局、僕は何も拾い上げることができないまま、冷え始めた風に背中を向けた。
あの日の僕たちが確かにここにいた証は、もう、僕の記憶の中にしか存在しないのだと、突きつけられながら。
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