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武蔵国 長尾憲景
儂は非常に憂鬱だった。羽生城が赤井に落とされ、奪回に動くのはまだいい。だが一五〇〇の兵しか与えられないのは一体どういうことなのか。
赤井は弱小国人とはいえ、この間小山家の傘下に入ったばかりだ。相手が赤井単独なら足りるが、援軍として小山家が絡んでくることを考えるとこの兵数は少なすぎた。
殿にもう少し兵を増やしてほしいと訴えたが、南と西にきな臭い動きがあってそちらに兵を回す必要があるという理由で却下されてしまった。また殿が赤井を脅せばひれ伏す存在だと侮っているようにも見えた。
たしかに北条だけでなく最近甲斐の武田の動きが活発化していた。だが、太郎様を支持している中で古河に繋がる要衝の奪回の方が優先度が高くないだろうか。羽生を奪え返せなければ古河への道を封鎖されるようなものだ。
殿は成田からも兵を出させれば良いとおっしゃっていたが、それでも二〇〇〇に届くかどうか。あの小山を相手するには心許ない。
それでもないよりはマシと考えて忍城の成田下総守殿に出兵を要請したところ、武闘派として名高い下総守殿の弟大蔵丞と五〇〇の兵を儂に預けてくれた。兵数はまだ心許ないが、大蔵丞が来てくれたことは心強かった。
「羽生城は沼に囲まれた城とは聞いているが、何か攻略の糸口はあるのだろうか?」
儂は元羽生城主木戸大膳大夫の嫡男広田式部少輔と次男河田谷右衛門大夫に羽生城の弱点を尋ねる。
「北側は蓮沼という広い沼に囲まれております。とはいえ、南も沼が点在しており、攻めるなら沼地ではない西側しかないでしょうな」
「左様、足がとられるので、できれば沼地は避けた方がよろしいかと。弱点と言えるかわかりませんが、廓の数自体はさほど多くないので城内に侵入できれば制圧は容易いかと」
羽生城が奪われた際は館林を襲って浮かれていたところ、夜に不意を突かれたらしい。あまりにも参考にしづらいので聞かなかったことにした。
さて問題は小山の後詰がくるかどうかだ。事の発端は国人同士の小競り合いだが、赤井は小山に従属している。おそらく赤井は単独での防衛はできないと考えて小山に応援を求めるはずだ。羽生城の価値を考えれば小山も見捨てるような真似はしないだろう。とはいえ、赤井個人の問題と捉えて油断してくれたら都合が良いが。
赤井の兵力自体は多くない。むしろ少ないと言える。羽生城に詰めている兵は多く見積もっても三〇〇に届くかどうかだろう。
できれば後詰が到着する前に城を包囲したかったが、その考えは失敗することになる。
「申し上げます。上岩瀬にて小山の兵が陣を敷いて構えております。その数、約二〇〇〇!」
斥候からの報せに諸将から重い溜息が漏れる。敵の後詰はすでに到着していたどころか、こちらを待ち構えていたのだ。
「これは野戦は避けられませんな。すぐに軍議を」
「ああ、わかっている」
成田大蔵丞に急かされる形で軍議を開くが、儂が言葉を発する前に目付役の那波刑部大輔が積極論を唱えていたが、儂個人の考えで言えば撤退したかった。
ほぼ互角の兵力差ならば野戦で勝てるかもしれないが、その後に城攻めがあり、落とした後も小山の攻撃から防衛しなければならない。それにはあまりにも兵力が足らない。とはいえ、戦わずに逃げれば武士の恥。儂の求心力は失墜するだろう。できれば軽く小競り合いにしてから撤退したいのだがな。
「孫四郎殿、まさか小競り合いのあとに撤退などという軟弱な考えをしていらっしゃないでしょうな」
「……まさか、戦わずに逃げるなどできるはずもない」
そんな儂の思考を見抜くように那波刑部大輔に釘を刺されてしまう。大方、殿の命で兵力を欲した儂を軟弱者として監視しているのだろう。こういうときに限って無駄に才がある殿が憎らしい。とはいえ羽生城が取られたままもよろしくない。
「しかしながら、互角というなら十分に勝機はございましょう。下手に慎重に行くより積極的に攻めるべきかと」
大蔵丞の言葉に刑部大輔が同調すると、諸将も自分が大将を討ち取ってみせると意気込む。
そして半刻後、互いの軍勢は羽生城の西に位置する上岩瀬にて激突する。不幸にも強い逆風がこちらに襲いかかる。
序盤は竹束を前面に押し出しながらじりじりと進軍できていたが、突如轟音とともに兵士ごと竹束が吹き飛ばされる。それを合図に敵が陶器のようなものを投げ込んでくる。だが、それが地面や兵に直撃すると大きな音をたてて爆発したではないか。酷いものだとその爆発に巻き込まれた兵が火だるまになってのたうち回っている。
「あれが噂の小山の兵器か。厄介なものよ」
広田式部少輔が舌打ちする。前線では動揺が生まれている。動揺を落ち着かせるために前線に顔を出そうとしたが、刑部大輔に止められた。
事態はそれだけにとどまらない。最悪なことに強い逆風の影響で爆発の白煙がこちらに流れ込んできたのだ。咳き込む程度ならまだしも煙によって視界が一気に白に覆われる。そこに好機とばかりに無数の矢が撃ち込まれる。
矢は本陣まで飛んできて近くに控えていた小姓に命中する。小姓は額を撃ち抜かれており、すでに事切れていた。
「ひっ!」
儂だけでなく諸将も顔を青く染めていた。顔色が変わらないのは大蔵丞くらいだ。
次第に兵士たちの怒号が近くなってきている。視界が悪くて全体の状況はわかっていないが、押し込まれていることはなんとなく理解できた。
「こ、この逆風ではどうにもならん。このままでは本陣に乗り込まれるのも時間の問題だ」
「いけませぬ!ここで撤退などしようものなら殿になんて言われるか」
刑部大輔の声で戦線の維持が決定するが、敵の大将の指揮が巧みなのか、徐々に戦線が崩壊しつつあった。風はさらに強くなり、敵の矢が本陣に複数飛び交うようになっていた。
「申し上げます。先陣の河田谷右衛門大夫殿、討死!」
飛び込んできた傷だらけの伝令に混乱は最高潮になる。
「さすがにもう持たないぞ。忍城に引き返す!」
「お待ち下さい!まだ終わってはおりませぬ」
「ならば、刑部が殿を務めて敵を食い止めてくれ!」
そう言い捨てると、儂は近臣らを伴って忍城へ駆けていく。儂は悪くない。そもそもこの兵数で小山とやり合うのが無理だったのだ。せめて三〇〇〇程度あれば儂ももっと上手くできたはずだ。
そうやって言い聞かせながら、後ろを振り返らずに一目散に忍城の門前まで辿り着く。そこには成田下総守が自ら迎えて待っていた。
「おや、孫四郎殿。いかがなされた?」
「ま、負け戦だ。やはり兵数が少なすぎたのだ。下総守殿、儂は疲れた。部屋を貸してほしい」
負け戦と聞いた下総守は怪訝そうな顔を浮かべる。
「それで残った兵はそれだけですか?」
「ひとまずはだな。あとは刑部が殿を務めているが、どれだけ残るやら」
「ふむ。なるほど……お前ら、やれ」
下総守はそう呟くと兵を展開して儂と近臣を包囲する。
「下総守殿、これはどういうことだ!?」
「どういうことも何も見たままのとおりですぞ。どうやら貴殿はこちらの期待以上の負け戦をしてくれたようで」
「貴様、山内上杉を裏切るのか!?」
「元々小山から誘いは受けていました。ですが、悩んでいたんですよ?」
この戦が負けなければ裏切る理由はありませんでしたから。
下総守の言葉に全身の力が抜けていくのを感じる。儂がもっと勝つ気でいればこんなことにならなかったのではないか。
「それで、弟を見殺しにしたのか……?」
「見殺し?なんのことやら。後ろを見ていただきたい」
下総守の言葉に従って背後を振り向けば、そこには大蔵丞と成田の兵が戻っていたのだ。
「やれやれ、とんだ貧乏くじを引かされたものでしたな」
「悪いな、弟よ。ここまで負けるとは儂も思っておらんかったゆえな」
下総守と大蔵丞の兵に囲まれて儂はようやく自身の立場に気づいた。このままでは殺される。
「待ってくれ……悪いのは、殿で……」
「大将の言葉とは思えんな。辞世の句はそれでいいな。いや、それだな。者ども、やれ!」
その言葉を合図に成田の兵が儂と近臣に襲いかかる。
「いや、いやだ。死にたく、ない……」
無数の刃が儂に向かう。激痛の最中、儂の意識はプツンと途切れた。