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花吐き病×ルールシェア「この部屋で、咲いた花」 ~a×s~
Side佐久間
毎日が、光でできているみたいだった。
朝日が差し込むカーテン越しの部屋も、現場へ向かう車の中も、楽屋のざわめきも、ステージの上も──
どこにいても、胸の奥がふわふわと温かかった。
SNSを開けば、自分たちの名前が並び、誰かが写真をアップしてくれていたり、感想を書いてくれていたり。
「見たよ!」「最高だった!」
そんな言葉を追うたびに、こそばゆくて、でもどうしようもなく嬉しかった。
テレビに映る自分の姿も、まだ慣れなくてちょっと照れくさい。
それでも、夢中で踊る過去の自分が、確かにそこにいた。
「お疲れさま」「また明日」
仕事終わりのスタッフさんやメンバーの声すら、どこかキラキラして見える。
ずっとこうなりたかった。
ステージに立って、誰かの心を動かす存在に。
無力だったあの頃から、がむしゃらに積み上げてきたものが、今、少しずつ形になっていく実感。
もちろん大変なこともある。スケジュールはびっしりで、寝不足が当たり前みたいな毎日。
それでも、疲れなんて吹き飛ぶくらい、やりがいに満ちていた。
マネージャーさんが渡してくれる台本や企画書の束を見るたび、「また新しいことができるんだ」ってワクワクする。
現場では初めて会うスタッフさんも増えて、緊張しながらも、「またよろしくお願いします」と自然に言えるようになった。
誰かが僕たちを必要としてくれる。待ってくれている。
そんな日々のありがたさに、気づけば胸がいっぱいになる。
部屋に帰って、夜風に少し開けた窓から聞こえてくる街の音も、今はなんだか心地いい。
このまま、ずっとこの日々が続けばいいな。
そんなことを、思う。
―――――――――
賑やかな声と笑いが、部屋いっぱいに広がっていた。
いつもの場所。テーブルには差し入れのドーナツと紙コップ。
床にはクッションやら脱ぎ捨てられた上着やら、ちょっとした無法地帯みたいな空気。
でも、それすらも心地いい。ここが“みんなでいる場所”っていう証だから。
僕たちは、仕事の合間にこうしてよく集まる。
スケジュールがバラバラで全員が揃うのは稀だけど、今日は珍しくフルメンバー。
自然と空気が弾けて、何でもない時間が特別になる。
「じゃあ……いくよ!」
一際大きな声を上げたのは、阿部ちゃん。
彼が突然「今日はクイズ大会を開催します!」と宣言した瞬間、場は拍手とブーイングの嵐に包まれた。
「またかよ〜!」「でも好き!」「お前、問題むずすぎるんだよ!」
ツッコミと笑い声が飛び交い、僕はドーナツ片手にその中心を見つめる。
阿部ちゃんは得意げに眼鏡をクイッと持ち上げて、手元のノートをペラリとめくった。
「第1問。“デネブ、アルタイル、ベガ”といえば?」
「はい!」
「あっ待って!」
「えーっと……!」
みんなが一斉に叫ぶ。まるで学校の休み時間みたいに。
「はいはい、佐久間くん!答えは?」
「夏の大三角!」
「……正解〜〜〜〜〜〜〜!!」
阿部ちゃんが大げさに手を叩くと、周囲から拍手が起きる。
なぜか翔太がティッシュを投げてきて、「おめでとうの花吹雪だ!」とか言い出して、もう滅茶苦茶。
でも、こういう瞬間がたまらなく好きだ。
笑って、茶化して、でもどこか安心できて。
俺たちはいろんな場所でいろんな顔を見せるけれど、ここではただの「仲間」になれる。
「次は音楽クイズいきまーす!」
阿部ちゃんの高らかな声に、今度はみんなで大ブーイング。
「絶対マニアックじゃん!」「自作音源流すのやめろ!」
でもそんな文句も、どこか楽しそうで、ふと気づけば俺の頬も緩んでいた。
それからしばらくして、スタッフさんから「移動しまーす!」と声がかかる。
楽器ケースを担ぐ人、衣装袋を手にする人、それぞれがバタバタと準備を始めるけど、誰も慌てていない。
あちこちでふざけ合いながら、じゃれ合うように荷物をまとめていく。
「さっきの答えまだ納得いってないからな!」
「いや、文句は阿部に言って!」
そう言いながら一緒にエレベーターに乗り込んで、笑いながらスタジオへ向かう。
そんな、他愛のないやりとり。
でも、それが今の俺にとって、何より大事な宝物だ。
この時間が、ずっと続けばいいのに──
そう思いながら、俺は笑い声の渦に身を委ねた。
――――――楽しい時間の余韻が、まだ体に残っていた。
今日も笑った。
阿部ちゃんのクイズ大会は予想通りカオスで、正解よりもボケの勢いで勝敗が決まるようなノリだったけど、それがまた面白くて。
楽屋でわちゃわちゃして、移動車の中でも誰かが小さく鼻歌を歌ってて、俺はそれを聴きながら、ぼんやり窓の外を眺めていた。
こういう日々があるから、頑張れる。
忙しくて、息をつく間もないスケジュールでも、こうして仲間と笑って過ごせる時間があるだけで、俺はまだちゃんと人間でいられる気がする。
「ただいまー……」
部屋に帰ってきたときには、もう外は暗くなっていた。
キッチンの明かりだけが、ポツンと優しく照らしている。
玄関で靴を脱いで、鞄をソファに置いて、はぁっとひと息つく。
それから、インスタント味噌汁を作って、流しに寄りかかりながら啜っていたときだった。
──「ピンポーン」
インターホンが鳴った。
この時間に誰?って思いながらモニターを覗くと、画面の向こうには見慣れた顔があった。
「……大家さん?」
そう口に出した自分の声が、やけに遠く感じた。
玄関を開けると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた大家さんが立っていた。
手には書類が一枚。何気ない感じで、でも申し訳なさそうに、それを俺に差し出す。
「佐久間さん……ご連絡がつかなかったので、直接伺いました。更新の件で……」
俺はその言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「え? 更新……?」
「はい。前回のご契約の期限が今月までだったんですけど……書面の返送がなかったので、今回は契約終了ということで……。すみません、こちらも次の入居希望者さんがもう決まってしまっていて……」
時間が止まった。
耳鳴りみたいに大家さんの声が遠くなって、目の前の景色がグラグラと揺れた気がした。
──契約終了?
──次の入居者が決まった?
「…………あの、じゃあ……俺、ここ……」
「はい。来月頭には、お引越しをお願いできますか?」
その言葉が、静かに、けれど鋭く胸に突き刺さる。
「……嘘だろ」
俺は小さく呟いた。でも、誰も否定してくれなかった。
あれだけ忙しかった。毎日が埋まっていて、帰ってきても書類なんて見る余裕もなかった。
それでも、更新日なんて、そんな大事なことを──
どうして、忘れたんだ。
――――――――――
次の日、俺は顔が死んだまま集合場所に現れた。
いや、ちゃんとメイクもしてるし、笑顔も貼りつけてる。
でも、自分でもわかる。笑い方が、ちょっと違う。
たぶん、いつもの“うるさい佐久間”じゃない。
収録の前、楽屋で雑談してるみんなの輪に、タイミングを見計らって俺はぽつりと切り出した。
「なぁ……俺さ……家、なくなった」
「え?」
「……え?」
最初に止まったのは、メンバーの手と、空気だった。
でも、次の瞬間には爆笑が起きた。
「は!?なにそれ新ギャグ?」「それ新コントの入りじゃないの?」「お前、毎日どこかしらで何か起きてんな!」
「いやマジで!更新忘れてたの!家、追い出されるの!リアルで!」
俺が食い気味に叫ぶと、一拍おいて、
「うわーっ!本当にかよ!」と誰かが吹き出した。
「佐久間すぎるwww」とか言いながら背中をバシバシ叩かれた。
──でも、笑いはすぐに引いた。
俺が、苦笑いもできずにうつむいたまま黙ってるのを見て、周りの空気が変わるのが分かった。
「……マジか……それは、やばいな……」
静まり返った空気の中で、ポツリと声をかけてくれたのが、阿部ちゃんだった。
「とりあえず、ホテルとかは?」
俺は目の前のドーナツを見つめたまま、首を小さく振った。
「いつ次決まるかわかんないのに……ずっと泊まるの、お金もったいないし」
「そっか……まぁ、それはそうだよね」
阿部ちゃんは変わらない声で、でも真剣に頷いてくれる。
「……それに」
俺がぽつりと続けると、阿部ちゃんが目を細めた。
「それに?」
「……アニメの……推しグッズの……移動が……」
喉の奥が詰まる。もう、何から話せばいいかわからなくなって──
次の瞬間、俺は叫んでた。
「移動が大変なんだよぉぉぉぉぉぉ!!」
両手で顔を覆って、ソファに倒れ込む。
「ぬいとか!フィギュアとか!ブラインド缶とか!アクスタも!箱から出してないやつもあるし!ガラスケース重いしぃぃぃぃぃ!!」
もう、泣き笑いどころじゃない。
嗚咽混じりに「俺のグッズたちぃぃぃ」って言ってる俺を見て、ついに周囲から再び笑い声が起きた。
でも今度は、あったかい笑いだった。
「そういうことかよ!」
「マジで佐久間らしいな……」
そして、笑いの中で一人、阿部ちゃんだけは俺の隣にしゃがみ込んで、ふっと優しく言ってくれた。
「……だったら、うち、来る?」
阿部ちゃんの声は、驚くほど穏やかで、まっすぐだった。
冗談でも、慰めでもなくて、本気でそう言ってくれてるのが分かって──
俺の中で、何かがふっとほどけた。
「……え?」
思わず顔を上げた。
自分でもびっくりするくらい間抜けな声が出た。
「いいの!?俺の……俺の推しグッズ、半端なく場所取るよ!?ほんとに、洒落にならない量なんだけど!?壁も棚も、床も……俺の趣味に支配されるかもだけど!?」
不安も遠慮も、全部勢いに乗せてぶわーっと口から出てきた。
けど阿部ちゃんは、少しも眉をひそめず、むしろクスッと笑ってから、肩をすくめた。
「ん〜、まぁ……いいよ」
「マジで!?」
「俺の勉強する部屋、けっこうこじんまりとしててね。ずっと空き部屋になってる部屋があってさ。掃除だけはしてたんだけど、もったいないなって思ってたからさ」
なんだそれ。
優しすぎる。
しかも準備万端すぎる。
俺は両手をバッと広げて、全力で叫んだ。
「神!!!!」
誰かが後ろで吹き出したのが聞こえたけど、そんなの気にしない。
神はいた。現代に実在した。メガネをかけた天使の姿をして。
「ありがとう……阿部ちゃん……まじで助かる……」
思わず腕にしがみつきそうになって、慌てて引っ込めたけど、
その代わりに「絶対、迷惑かけないようにするから!」って勢いよく頭を下げた。
「まぁ、まずはグッズ搬入計画からだね」
阿部ちゃんが軽く笑いながら言ってくれるから、なんか本当に引っ越しするんだって実感が湧いてきた。
“俺の推し”が、阿部ちゃんの家に並ぶ。
なんかちょっと、不思議で、嬉しくて、くすぐったい。
新しい生活が始まる予感に、胸が少しだけ高鳴っていた。
―――――――――――――
引っ越し当日。晴天。
俺はダンボールに囲まれながら、リビングの床に正座していた。
テレビの下に箱、ソファの横に箱、キッチンにまで箱。
「ねぇ阿部ちゃん、これ、やっぱり……多すぎたかも」
「うん。今さらだけどね」
即答だった。
引っ越し業者さんが家具類と重たい箱は運び込んでくれたけど、中身の整理は俺と阿部ちゃんでやることになった。
というか、俺が一人でやるはずだったんだけど──
「ほら、こっちの箱も開けていい?」
「どうぞどうぞ!それ、アニメ系グッズ第2弾の箱です!」
気づけば阿部ちゃんが自然に手伝ってくれていた。
開封の儀、開始。
ダンボールを開けるたびに顔を出す、俺の愛すべきグッズたち。
ぬいぐるみ、アクスタ、キーホルダーに缶バッジ。色とりどりで、見てるだけで幸せになる。
「……このアニメ、なんか昔見たことあるなぁ」
阿部ちゃんがふと、手に取った缶バッジを眺めながら言った。
「よくぞ聞いてくれました!」
俺は姿勢を正し、胸を張った。
「そこのあなたお目が高い!そのキャラはですね、作中で一度死んだふりをして実は生きてたんですけど、それを誰にも言わずに影から仲間を助けててですね、しかも声が最高に良くて!あとね──」
「説明いいから手を動かして」
「……らじゃー」
こういうとこ、ほんとブレないよな阿部ちゃん。
俺はちょっと口をとがらせながらも、アクスタの台座を組み立てつつ、隣に並ぶフィギュアの位置を整える。
「でも、意外と並べるの楽しいかも」
阿部ちゃんがそう言ってくれて、俺は思わず嬉しくなって横顔を見た。
「そうでしょ!?配置を考えるのも楽しいんだよ。色味とかキャラの関係性とか、立体感とかさ。たまに全員寝かせたくなるときもあるけど!」
「全員寝かせたくなるって何……?」
そんなやりとりを繰り返しながら、時間はゆっくりと過ぎていった。
阿部ちゃんが、アニメに出てくるキャラの名前を一回で覚えられなかったり、ぬいの並び順を勝手に変えて「こっちのほうが可愛い」と言ってみたり、
俺はそのたびに「ダメです、設定があるので!」って抗議して、笑い合った。
片づけなんて、本来は面倒な作業のはずなのに、今日はなんだか特別に感じた。
ひとつひとつの箱を開けていくたび、俺の好きなものが、この空間に溶け込んでいくのが分かる。
“俺の居場所”が、ちゃんと、ここにできていく感じ。
……いや、“俺たちの居場所”って言ってもいいのかな。
ふとそんなことを思ったけど、こっそり胸にしまった。
今はまだ、ただのルームシェア。だけど、それでもいい。
こんな風に、笑い合える時間が続くなら。
――――――――気づけば、外がほんのり暗くなっていた。
窓の外の空は藍色に染まりはじめ、ダンボールの山も、だいぶ低くなってきた。
棚には俺の“推し”たちが整列し、ぬいもアクスタも堂々と新居デビューを果たしている。
「……やっと、落ち着いた?」
「落ち着いた〜〜〜!」
俺はバンザイして、ソファに仰向けに倒れ込んだ。
疲れた。けど、心地よい疲労感。達成感。
引っ越しってこんなに幸せだったっけ、って思うくらい。
「ご飯、どうする?」
阿部ちゃんが時計をチラッと見ながら聞いてきた。
そういえば、朝からまともに食べてない。
昼はコンビニで買ったおにぎりだけで、ずっとグッズと格闘してた。
「作る気力、……ゼロです」
俺が即答すると、阿部ちゃんも笑った。
「じゃあ、さすがにウーバー頼もうか」
「それな!神!!阿部ちゃん、今日ずっと神!!」
リビングに並んで座って、スマホをふたりでのぞき込む。
「え〜、今日は何食べたい? 俺、寿司もいいけど、ラーメンも捨てがたいし、カレーもいいな〜」
「選択肢がジャンルごとに違いすぎるんだけど」
結局、お互いの“ちょっと食べたい”を織り交ぜて、丼と唐揚げと味噌汁という謎の組み合わせに落ち着いた。
ウーバーが届くまでのあいだ、ちょっとテレビをつけて、流し見しながらまったり。
「さっきのぬい、あの配置でよかった?」
「完璧だった!!阿部ちゃん、センスあるよ!もはやマネージャーになれるよ!」
「どんな職業だよ」
そんなたわいない会話をしてるうちに、チャイムが鳴って、ご飯が到着。
「はーい!」って元気よく返事して玄関へ向かう阿部ちゃんの背中を見て、なんかちょっと、くすぐったくなった。
リビングのローテーブルに並ぶ、あたたかいご飯。
ふたりで「いただきます」って手を合わせて、同時に一口頬張る。
「うまっ!!」
俺の声が、自然と大きくなった。
「染みるなぁ……唐揚げ……人って、これで生きていけるんだなぁ……」
「大げさすぎる」
でも、阿部ちゃんも同じくらい美味しそうに食べてた。
テレビからは音楽番組のエンディングテーマが流れていて、カーテンの隙間から、夜の街の明かりがちらちら見えた。
この時間が、すごく好きだと思った。
疲れた体に、ご飯と笑いと安心がじんわり染みる。
――――――――――
「でさー、阿部ちゃんがさ、アクスタのこと“この子たち”って呼ぶの!めっちゃ優しいんだよ!?“この子たちはここが定位置?”とか言ってさ〜!優しっ!って思って!」
俺の報告に、グループLINEのスタンプがババッと返ってきた。
「お前ん家どっちだよ」
「すでに同棲」
「住民票移しとけ」
みんな適当すぎる。でも、ちょっと嬉しい。
ルームシェア生活、想像以上に楽しい!!
誰かが「おかえり」って言ってくれる。たわいない話に笑い合える。
風呂上がりにアイス食べながら並んでアニメの話をしたり、クイズ番組に阿部ちゃんが正解してドヤ顔したり。
一緒に暮らすって、こんなに心があったかくなるんだって、毎日思ってた。
──そんなある日。
「ごめん、今日ちょっと遅くなる。晩ご飯は先に食べてて」
阿部ちゃんがそう言いながら、鞄を肩にかけて出ていった。
その日は、ふつうに仕事だと思ってたけど、どうやら違ったみたいで。
「クイズ研究会?」
「うん。前から誘われてて、ようやく顔出せる感じになったからさ」
阿部ちゃんらしいな、って思った。
知識が好きで、探究心があって、でも誰にでも柔らかく接する。
そういうところ、ずっと尊敬してる。
最初は「へ〜楽しそうじゃん!」って、素直に応援できた。
俺もアニメ観ながら晩ご飯食べたり、ぬいに囲まれてゆっくりしたりしてたし。
でも、それが毎晩のように続くようになってきた頃から──
ふとした瞬間に、部屋の静けさが気になるようになった。
ポテチの袋を開ける音が、やけに大きく聞こえる。
テレビの中ではアニメキャラがワイワイやってるのに、それが逆に、自分の部屋の“誰もいなさ”を強調してくる。
阿部ちゃんの「おかえり」がない。
クイズ番組も、俺一人じゃ答えても張り合いがない。
「このキャラさ〜」って話しかける相手もいなくて、
返事がないのを分かってるのに、つい隣をちらっと見てしまう自分がいて。
俺って、こんなに……寂しがりだったっけ?
前までは、一人の時間がご褒美だった。
アニメにどっぷり浸かって、グッズを並べて、好きなだけ語って、
それが“最高”だったのに。
今は、気づけばスマホばかり見てる。
既読がついても返信が来ないことに、ちょっとだけ肩を落としたりしてる。
「……はぁ」
ため息が出たあとに流れたアニメのエンディングが、
やけに染みた。
テレビを消して、部屋の電気を落としたあと、
暗い部屋にぽつんと光るアクスタのシルエットを見て、俺は思った。
──帰ってくるの、今日も遅いかな。
―――――――
「ただいまー」
その声が玄関から聞こえた瞬間、俺は咄嗟に立ち上がってた。
「おかえり!!」
靴音が近づく前に声をかけてしまった自分に、ちょっとだけ照れくさくなったけど、それ以上に嬉しくて。
阿部ちゃんがリビングに姿を見せたとき、思わず笑顔がこぼれた。
「今日は早かったんだね!」
「うん、たまたま会議がキャンセルになって」
「おぉ〜!神様ありがとう!」
まるでお祭りみたいにテンションが上がって、すぐにウーバーを開いて「今日は何食べようか」と相談する流れに。
お互い食べたいものを出し合って、最終的にカレーとサラダ、ちょっと奮発してデザートまで頼んだ。
届いた料理をテーブルに並べて、「いただきます」って言いながら、並んで食べる。
いつもより少しだけおしゃべりが多くて、笑いも増えて、俺は心の中で何度もガッツポーズしてた。
──やっぱ、こういうのがいいよな。
今日がずっと続けばいいのに。
けれど、食べ終わったあとの会話で、それはあっさり終わった。
「じゃあ、ちょっと勉強してくるわ。明日また研究会のプレゼンがあってさ」
阿部ちゃんは、片付けた皿を流しに置いて、さっと自室に向かってしまった。
「……あ、うん。頑張って」
そう言った自分の声が、思ったよりも小さくて情けなかった。
リビングに残された俺と、空になったテーブル。
テレビのリモコンに手を伸ばす気にもなれず、ただ、ぼんやりと椅子にもたれて天井を見つめた。
……なんで、こんなに胸がズキズキするんだろ。
さっきまで、あんなに楽しかったのに。
一緒に笑って、一緒にご飯食べて、「やっぱ最高だな」って思ってたのに。
でも、阿部ちゃんはもう隣にいない。
たった数メートル先の部屋にいるだけなのに、まるで壁の向こうに閉じ込められたみたいだった。
俺の声も、俺の気持ちも、届かないところにいる気がした。
「……俺、もしかして……」
小さく呟いた言葉は、自分の耳にだけ届く。
「……勉強とクイズに、嫉妬してる?」
静かな部屋の中で、口に出したその言葉が思った以上にリアルで、心の奥に落ちた。
俺、阿部ちゃんの時間を、
阿部ちゃんの“好き”を、
独り占めしたかったんだ。
思ってはいけないことだと分かってた。
応援したいって、心から言えるはずだった。
だけど今は、ただ……さみしい。
ドアの向こうにいる“誰かの好き”と、
ここにいる“俺の好き”が、すれ違ってるみたいで。
そう思った瞬間だった。
不意に、喉の奥から、じわりと重たい吐き気がこみ上げてきた。
「……っ、うっ……」
最初はただの気のせいかと思った。けど、すぐに違うとわかった。
胸の奥がギュウッと締めつけられるように痛くなって、胃が逆流するような感覚に襲われる。
「ヤバ……っ……」
立ち上がるのももどかしく、リビングを飛び出して洗面所へ。
冷たい床を踏みしめて、手で壁を支えながらトイレの蓋をあけた瞬間──
喉の奥から、何かがこぼれ落ちた。
「……な、に……これ……」
息を詰まらせながら見下ろした便器の中には、血でも胃液でもなく──
淡いピンク色の、小さな花びらが数枚、静かに浮かんでいた。
信じられなかった。
目の錯覚だと何度も瞬きをしたけど、消えない。
俺の体から、本物の花が──
喉の奥がまだヒリヒリしてる。
指先が冷えて、心臓の音ばかりが耳に響いた。
ふらつく足で洗面所の縁にしがみつきながら、スマホを取り出して震える指で検索する。
【喉 花 吐く】
予測変換に、出てきた。
【花吐き病】
その文字列をタップした途端、ずらりと表示される検索結果。
まとめサイト、都市伝説、創作系ブログ。
けど、どれを見ても、書かれていることは似ていた。
花吐き病(通称ハナハキビョウ)とは、
伝えられない恋心が原因で花を吐き出してしまう病。
想いが届くことで治癒するが、
届かなければ症状は進行し、やがて命を落とすこともある。
……恋?
俺、誰かに……恋してる?
頭が混乱しながらも、次に気になったのはさっき吐いたあの花だった。
【薄桃色 小花 花言葉】
また検索。
出てきたページには、こう書いてあった。
花言葉:「あなたを独占したい」
その瞬間、何かが胸の奥で崩れた気がした。
「……ああ、そっか……俺……」
ポツリとこぼれた言葉に、涙がにじんだ。
「俺、阿部ちゃんのこと……好きなんだ……」
優しくされるたびに嬉しくて、
同じ部屋で過ごす時間が愛おしくて、
不在の夜がこんなにも寂しくて、
自分以外のものに夢中になってる姿に、胸が締めつけられるくらい苦しかった。
それって、全部──恋だったんだ。
好きだ。
ただ一緒にいたいだけじゃなくて、俺だけを見てほしい。
笑ってほしい。名前を呼んでほしい。
隣にいるのが、ずっと自分であってほしい。
──独占したい。
それが、俺の“好き”の形だった。
視界がぼやけて、吐いた花びらが滲んで見えた。
でも、そこにあるのは、確かに俺の気持ちだった。
初めて、自分の本当の想いに触れた夜。
それは美しくて、苦しくて、
どうしようもなく──咲いてしまっていた。
続きはnoteで作者名『木結』(雪だるまのアイコン)で検索して下さい。