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その時、確実に魔獣に不意を突かれたと思った。もうダメだと半分諦めて、ギュッと目を摘むった。騎士や剣士とは違って魔法使いの装備では、大型魔獣の直接攻撃は耐えられない。
でも、目を開いた時、なぜかジークは無傷だった。彼の背後に立ち、鋭い爪で襲い掛かろうとしていた魔獣は居なくなっていた。否、居なくなったというよりは、消し炭へとその姿を変えていた。何が起こったのか、理解できない。
「にゃーん」
代わりにジークの前に姿を現したのは、初めて見る小さな獣。簡単に抱えられるほどの大きさのそれは、茶色の縞模様の毛を纏っている。彼のすぐ足元で、細く長い尻尾をくるりと前足まで回してちょこんと座っている。どこかで見た覚えがあったが、実際に目にするのは初めての生き物だった。魔獣の一種では無さそうだが、どういった種類の獣なのかが分からない。
「助けてくれたのは、君か?」
「にゃーん」
他に誰がいるんだとでも言うように、鳴いて返事をされる。その茶色の縞々は静かに立ち上がると、尻尾をピンと伸ばしてジークに近付いてくる。敵意は無さそうだけどと見ていると、彼の脚にその縞々模様は擦り寄って来た。フワフワとした毛に纏わり付かれながら、ジークは必死で考える。
――これは、虎の子供か? いや、違うような……。なんだろう、この獣。
じっと見つめるジークの匂いを嗅いだりと、縞模様のモフモフは彼の周囲を気ままに動き回っている。そして、ふいっと上を向いたかと思うと、背中の大きな翼を広げて頭上の木の枝へと飛び乗ってみせた。
上からジークを見下ろして、また「にゃーん」と一鳴きしてみせる。この姿を見せれば分かるだろ、とでも言うかのように。
「えっ、猫⁉」
翼を生やし、長い尻尾を持ち、丸い顔の獣。それは経典でも描かれている、聖なる獣とされていた猫の姿そのものだ。空想上のものではないが、ここ何百年も領内では確認されたことが無い、幻の獣。経典の絵図で見覚えのある毛色とはまた違うが、おそらく間違いないだろう。
まさかとは思ったが、魔獣を倒したのは聖獣の使う光魔法だったと考えると、ちゃんと説明がつく。ジークの放つ炎の魔法では焼け焦げさせることはできても、完全な消し炭まではならない。
ただ、想像していたよりも猫が小さい獣だったので、それには驚いた。聖獣と呼ばれるくらいだから、もっと大きく逞しい生き物かと思っていた。翼を折り畳んでいる状態だと、虎か何かの子供にしか見えない。
「おいで」
しゃがみ込んで手を差し出すと、乗っていた木の枝からストンと降りて寄って来る。伸ばされた指の匂いを興味深げにしばらく嗅いでいたが、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「ありがとう。君が居なかったら死んでるところだった」
「にゃーん」
小さな頭を撫でてやると、嬉しそうにその手に頬を押し付けてきた。艶のある毛は柔らかくて、ふわりと暖かい。
「お腹は空いてない?」
「にゃーん」
今日の依頼は全て終わったことだし、もう急ぐ用はない。手持ちの軽食を猫にも分けてやり、適当な倒木に腰掛けて自分も遅めの昼食にする。
ジークの足元で、貰ったパンをあむあむ、と小さく唸りながら食べている様に吹き出しそうになる。
「盗らないから、ゆっくり食べなよ」
誰かと食べる食事は、随分と久しぶりな気がする。日替わりの即席パーティからはぐれるようになって以来、ずっと独りで行動していたし、他人と話す機会も減っていた。誰かと一緒に居るのもいいもんだな、とジークはトラ猫の頭にそっと触れて、シャーと威嚇されてしまう。
「ごめんっ、盗らないからっ」
食べてる時のお触りは厳禁のようだ。猫はパンを全て食べ終わると、器用に前足を使って毛繕いを始める。よっぽど美味しかったのだろうか、口周りは特に念入りに手入れしているようだった。
「君は、森に住んでるのかい?」
ジークの問いかけに、トラ猫は「にゃーん」と鳴いて答える。広い森だ、聖獣ぐらい住んでいてもおかしくはない。古代には竜もいたという話なのだから。領が把握できているのはまだ一部でしかなく、森のほとんどが未開だ。
「じゃあ、またね」
危うく命を落としかけたりもしたが、楽しいひと時だったと、食事を終えてから猫に別れを告げる。荷物をまとめて立ち上がると、猫は毛繕いを止めて顔を上げた。そして、ひょいと軽い身のこなしで、ジークがそれまで座っていた倒木に飛び乗った。
「にゃーん」
横たわる太い木の上から、猫はジークの身体によじ登ろうと前足を伸ばして来る。片手で抱き抱えてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら彼の顎に小さな頭を擦り寄せて来た。
「一緒に来る?」
「にゃん」
嬉しそうに返事をすると、トラ猫は抱えられていた腕からするりと抜けて、ジークの隣に並んで歩き出す。
「そうだ、名前はどうしようか?」
街への戻りがてら、ジークはずっと頭を悩ませていた。相手が猫だろうと、名前を付けるという経験がこれまで無かったから、何を基準に決めたら良いのか分からない。途中の休憩時に確認したところ、どうやらこの猫は雄のようだった。呼びやすくて雄猫らしい名をと、しきりに首を傾げる。そして、街の石壁が見てくる頃、ようやく一つの名が浮かんだ。
「君の名前は、ティグ。……どうかな?」
「にゃん」
横で軽快に歩いていた猫が、ジークを見上げて鳴いて返事する。縞模様の尻尾を空に向けて伸ばしてご機嫌そうにしているところを見ると、OKということだろうか。
「これから、よろしくな。ティグ」
「にゃーん」
困ったな、とジークは横に並んで歩いている猫を見て、頭を悩ませていた。あまり深く考えずに一緒に帰って来たものの、街中を聖獣を連れ歩いていたら大騒ぎになるはずだ。
少しばかり考えた後、石壁の検問所を前に、足元のティグへと手を伸ばしローブの中に包むように抱き抱えた――これは、隠し通すしかない。
「大人しくしてて。鳴いたらダメだよ」
「にゃーん」
「しーっ!」
検問人に冒険者プレートを提示してから、背中に負った荷物のチェックを受ける。一通りの確認が終わった後、若い検問人はジークのローブをちらりと見た。
「その、腕に抱えているのものは?」
まあ、見つからない訳はない。そこまで甘くはない。仕方ないなという風に、ローブの一部を捲ってみせる。中からティグが丸い顔だけをひょっこりと出した。
「虎の子供です。契約済なので、暴れることはないです」
「へー、虎か、初めて見たよ」
森で出会ったんです、と本当のことも混ぜ込んで話すと、特に疑われることは無かった。いろいろ考えて、表向きはジークの契約獣ということにしておくことにした。契約済なら街で連れて歩いても咎められることはない。
勿論、ジークはティグと契約を交わしてはいない。獣と主従関係を結ぶには自身の血を用いた契約の魔法儀式を行う必要がある。契約することである程度の意志の疎通も出来るようになるし、その獣を従えさせることができる。
そもそも聖獣と契約なんて出来るかどうかさえ分からないし、契約なしの状態でもそれなりに意志の疎通は出来ているみたいなので問題なさそうだ。
ギルドに依頼達成の報告をしに行く前に、拠点にしている宿屋に一旦戻る。さすがにギルドに猫は連れていけない。
「すぐに帰ってくるから」
「にゃーん」
個室の床にそっと降ろすと、ティグは興味津々で部屋の中の匂いを嗅いでいたが、一通り回って気が済むとベッドに飛び乗って、その上で毛繕いを始めた。ジークは縞模様の頭を優しく撫でてやりながら、猫へお留守番を言い聞かせてみる。こちらの話す言葉をどれくらい理解してくれているかは分からないが、何となく大丈夫な気もする。
最初は嫌だった広い角部屋だが、猫の存在を隠すにはちょうど良かったかもしれない。これが狭い相部屋ならこうもいかなかった。
宿に猫を残してギルドに向かい、今日の依頼の報告して報酬を受け取った後、次の依頼を探そうとボードを覗く。できるだけ人目に付かず、猫を連れていけそうな依頼となると、魔の森周辺の案件がほとんどになりそうだ。さすがにティグをお供にして護衛依頼なんて受けられない。依頼の選択肢が狭まってしまうが、致し方ない。
しばらくボードの前をウロウロしていると、短剣を腰に装備した細身の男に肩を叩かれた。振り返ると、満面の作り笑顔で手に持つ依頼書を差し出される。
「なあ、一緒にコレ受けないか? 君、魔法使いだよな?」
「あ、ごめん。今はソロで出来るやつを探してるんだ」
ジークの噂を知らないということは、最近シュコールへ来たばかりだろうか。断るとあっさりと引き下がって、また別の冒険者に声を掛けに行ってしまった。
ティグと出会っていなかったら迷わず誘いに乗ったところだが、今は毛むくじゃらの相棒が優先順位の最上だ。
結局、無難に今日と同じような薬草採取と魔獣討伐の依頼を受けて、猫の待つ宿屋へと戻る。帰り途中で目に付いた屋台で、ティグも食べられそうな食料をいくつか調達するのは忘れなかった。
部屋の扉を開けると、すぐ目の前にトラ猫はちょこんと座って待っていた。それまでは何をしていたのかは分からないが、足音を聞いて出迎えてくれたのだろうか。
「ただいま」
「にゃーん」
嬉しそうにジークの脚に擦り寄ってくる。抱き上げてやると、ゴロゴロと喉を鳴らして、頬や顎に小さい頭を押し付けてきて、長い髭が首などに掠って少しくすぐったい。
食堂で借りてきた皿に買って来たパンとチキンをちぎって乗せてやると、ティグは昼間と同じようにあむあむと声を出しながら貪っていた。その丸まったフサフサの背中に手を伸ばしかけたが、食事中のお触り厳禁なことを思い出して我慢する。また威嚇されたらショックだ。
猫が食べている様子を見ながら、備え付けの小さな机に自分の分の食事も広げる。特にチキンの食いつきが良さそうなので、もう少し切り分けて猫の皿へと足してやると、あっと言う間に食べ切られた。
「チビなのに、よく食うなー」
肉を好んで食べているところを見ると、森の中でも他の獣を狩っていたのだろう。触った感じの肉付きもそれなりに良かったので、食べるのには苦労してなさそうだ。
「明日もまた森に行くけど、ティグも一緒に行ってくれるか?」
「にゃーん」
前足を使って口の周りの手入れをしていた猫は、当たり前だと言うように返事してくれた。
そして、その夜の猫はジークの眠る布団の上を陣取って眠った。猫の体温と息遣いでジークはいつもよりも寝つきが良かったが、一晩中同じ体勢を強いられたおかげで、翌朝は身体がギシギシと痛かったのは言うまでもない。
朝日が昇って宿屋が少しずつ騒めいてきたら、冒険者の活動開始の合図だ。離れた場所での依頼を受けた者は日が昇ったと同時に出て行くので、早朝でもなければ宿で他の客と鉢合わせになることはほとんどない。
前日に頼んでおいた昼用の軽食を宿の女主人から受け取って、ジークは依頼場所である魔の森を目指した。
人目につくところでは猫をローブの中に抱いて隠すようにしていた。万が一に見られたとしても、虎の子供だと言い切ってしまえば良いのだが、見られないに越したことはない。
森の入口付近まで来てから降ろしてやると、ティグは脚を前に突き出して身体全体で大きく伸びをしていた。ずっと抱かれっぱなしでいるのも大変だったとでも言うかのように。
「今日も薬草を摘んでから討伐のつもりだけど、ティグも手伝ってくれる?」
「にゃーん」
分かってるのか分からないような返事が来るが、気にしない。ずっとソロでやってきていたから、話しかけたら鳴いて返してくれる存在がただ嬉しい。
お目当ての薬草の群生地を探して森の中をウロウロしていると、草むらの中から小型の魔獣が飛び出して来た。ジークが炎を操って倒すと、その焼けた獣をティグは興味深げにクンクンと匂いを嗅いで確認し始める。もしかして食べるのかと思って見ていたが、ひとしきり嗅いだ後はふいと別の方に歩いて行ってしまう。
「なかなか見つからないなぁ……」
今日の採取目的の薬草がいくら探しても見つからない。おおよその群生地はギルドで公開されている地図で確認して来たつもりだったが、情報が古かったのか、あるいはジークの覚え違いなのか。だからと、広い森の中をただ闇雲に探し回る訳にもいかない。
「先が鋭いギザギザした葉なんだけど、ティグは見たことない?」
森に住んでいたのなら知っているんじゃないかと、ダメ元で聞いてみる。すると、こっちに来いとでもいうように猫が前を歩き始める。チラチラとジークがちゃんと付いて来ているかを確認しながら、森の奥へとどんどん進んでいく。
「まさか、ね」
疑いながらも大人しく後を付いていくと、そのまさかだった。猫に案内された先は、ジークが探していた植物の群生地。今日の依頼分ならここだけで十分に収集できてしまうという程の量が、その場には生え育ってていた。
「ティグ、すごいな!」
「にゃーん」
相棒として十分な働きをしてくれたトラ猫の頭を撫でてやると、ティグは縞模様の長い尻尾を得意げにピンと伸ばしてみせる。
目的の薬草を採取している間、猫は手近な草にじゃれついたり、日の当たる場所を見つけて日光浴をしたりと、ジークからは付かず離れずのところで好きなことをして過ごしていた。
必要な量を採取できると残るは討伐依頼なのだが、その前に少し早めの昼食を取ろうと手頃な倒木を探して腰掛けた。今日はいつもよりも多めに用意してもらったので猫と分け合っても十分だろう。それでも足りない時の為に干し肉もいくらか持ってきている。
スライスされた肉と野菜を挟んだパンにかぶりつくジークの足元で、パンと肉だけを貰ってティグはあむあむと興奮しながら貪っていた。携帯用のカップに魔法で水を出してやると、それもまた美味しそうに飲んでいる。
「明日は、もう少し多めにしてもらおうか」
ティグの食欲旺盛っぷりに、思わず吹き出しそうになる。何なら二人分で頼んだ方がいいのかもしれない。この小さな身体のどこに入っていくのだろうか。
昼食後に討伐するつもりの魔獣は猪型の中型魔獣だ。近隣の畑を荒らしに出てくることが度々あるので、討伐依頼の定番でもある。大きな牙は加工されて装飾品として市場に出ることが多いので、今回の依頼の報酬とは別に素材部位の買取料も期待できる。ソロが受けれる案件としては割が良い方だ。
問題なのは猪型というだけあって、目が合うと勢いよく突進してくるので、見つけたら即攻撃しないと手遅れになることだろうか。ジークのような無詠唱の魔法使いなら即発動も可能だが、安全の為にはやはりある程度の距離はとっておきたいので、気付かれる前に攻撃が理想だ。
目的の魔獣が頻繁に行き来していそうな獣道を探し出して、それを辿って行く。森の奥へと入り込んだところで、巣穴らしき大きな窪みを発見した。周辺を探ってみるとそれらしき毛や糞も見られたので、住処で間違いなさそうだ。
ジークは手頃な石を一つ拾うと、それを巣穴めがけて投げつけてみる。中に何かが居れば、驚いて出てくるはずだ。しかも、石に風魔法を乗せてみたので、当たればそれなりのダメージも与えることになるだろう。
ガンッ、と鈍い音がした後、低い唸り声とともに硬い毛に覆われた巨体が姿を現した。額から血を流しているところを見ると、石は獣の顔に直撃したようだ。
「よし!」
思った以上の良い当たりに、ジークは口の端で笑いながら魔法を放つ。彼の得意な紅蓮の炎が容赦なく獣の身体を包み込んだ。先制攻撃は成功だ。
ところが、討伐証明で提出する部位と、素材になる牙を回収しようと近付いた時、中から別の獣の唸り声が聞こえて来た。
「まだ居るのか?!」
先に倒した魔獣の大きな死体の陰に隠れるようにして、中を覗き込む。もう一体が完全に姿を見せる前に魔力を溜めておき、出てきた瞬間に発動できるようにと構える。
だが、すぐに現れた個体に炎を撃とうとジークが右手を振り上げるより先に、彼の目の前をティグが縞模様の翼を広げてひらりと立ち塞いだ。
「ティグ?」
「シャー!」
掠れた威嚇の声を出した猫の口から、光の塊が飛び出す。それは真っ直ぐに魔獣へと向かい、衝突と同時に獣の姿は消滅してしまった。残されたのは黒い消し炭だけ。
「にゃーん」
振り向いてご機嫌に鳴いてみせる猫の得意げな顔に、ジークは吹き出した。
「ごめん。ティグが倒す番だったね」
褒めて欲し気にゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄ってくる猫を、その毛並みに沿って頭を優しく撫でてやる。彼らの前に転がるのは、一体の魔獣の焼死体と、一体分の消し炭。