テラーノベル
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昼休みのチャイムが鳴って、最初に動いたのは蓮司だった。
「──なあ、飯行こっか」
そう言って、数人を連れて出て行った。
笑いながら。何事もなかったように。
日下部は、机に座ったまま教科書を閉じた。
その横目に、遥がふらりと立ち上がるのが見えた。
誰も話しかけない。
遥も、誰にも目を向けない。
(……行くな)
そう思って、気づけば身体が勝手に動いていた。
「遥」
呼びかけると、遥はほんの少しだけ肩を揺らした。
でも振り返らない。
「待てよ」
今度は、もう一歩だけ強く声をかけた。
その瞬間──遥の足が止まる。
けれど振り返ったその顔は、
まるで何も見ていないような目をしていた。
「……なに」
声がかすれていた。
喉を使うのが久しぶりだったかのような、かすかな音。
「少し、話せるか」
「……忙しい」
それだけ言って、また歩こうとする。
だが、日下部が前に回り込んで道を塞いだ。
「……おまえに何があったか、何となくわかる。誰も言わねえけど、空気が全部、もう“答え”出してる」
「関係ないだろ」
「あるよ」
遮られても、日下部は言い返した。
「“おまえ”のことだから」
遥の目が、一瞬だけ動いた。
そのまま、喉の奥で何かを噛み砕くようにして、言った。
「──見ないで。日下部」
「……見たいから、見てる」
「気持ち悪いな」
それは自分に向けた言葉のようだった。
「……勝手にしろよ。どうせ、おまえもそのうち──」
遥の声が途切れた。
だが、日下部はもう一歩踏み出す。
「教えてくれなくていい。でも、“いまのおまえ”から逃げたくない」
「……やめろよ」
遥の目が揺れる。
張りついたガラスみたいに、細かくひびが入っていく。
「──やめてくれよ」
「俺は、おまえがどうなっても、逃げない」
その言葉に、遥の手が震えた。
けれど──次の瞬間、ぱたりと教科書が落ちた。
周囲の視線が集まる。
「……演技?」
誰かが、そう呟いた。
女子のひとり。机に頬杖をついて。
「このあいだの日下部の席、あいつが掃除してたよ。黙って、ずっと」
「“同情されるのが罪”って、教えてあげた方がいいかもね」
遠くの席で、笑い声が起きる。
──遥の唇が震える。
だが、言葉は出ない。
喉の奥が、さっきよりも深く締めつけられていく。
そのとき。
「じゃあ、さ」
蓮司の声が、再び教室に満ちた。
「罪って言うなら、ちゃんと“罰”を与えたほうがいいよね」
気づけば、戻ってきていた。
「そいつ、今すごく“悪いこと”してる。ほら、また日下部に縋ろうとしてるし?」
「やめろ」
日下部が言うと、蓮司は肩をすくめた。
「あっそ。まあ、見てるのは自由だけどさ」
その瞬間。
遥の足元に、黒い水たまりのような沈黙が広がった。
日下部が何かを言おうとしたとき、
遥の手が、机の縁をぎゅっと掴んだ。
「ごめん……」
「おれ、悪いんだよ。全部、俺のせいなんだ」
その声は、小さかった。
でも──確かにそこにあった。
(違う。違う、遥──)
叫びたかった。
けれど、遥の肩はもう、誰にも触れられないほど、深く沈んでいた。
──午後の授業が始まった。
遥は席に戻らなかった。
ずっと教室の隅に立ったまま、黒板を見つめていた。
誰も何も言わない。
教師でさえ、その姿を“風景”の一部のように受け入れている。
日下部は、拳を握りしめていた。
それが──“この学校”のやり方なのだと、ようやく知った。
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