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ゆ♨️
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ゆ♨️
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大聖堂の暗黒結界
ステンドグラスを通り抜けた鈍色の光が、スポーン教の大聖堂を静かに満たしていた。
高い天井。
巨大な柱。
壁に刻まれた古い紋章。
そして、正面の壇上。
そこに立っているのは、スポーン・カルトの長老。
エルダー・アマラ。
結んだ長い黒髪を背中へ流し、灰色のマントを身に纏ったその姿には、年齢という概念すら曖昧になるような不思議な威厳があった。
聖堂に集められた信者たちは、一人残らず頭を垂れている。
誰も喋らない。
誰も動かない。
ただ。
アマラの静かな声だけが、広い聖堂に響いていた。
「……ザ・スポーンとは、すなわち――」
重々しい教義。
深遠なる教え。
信者たちは皆、真剣に耳を傾けている。
その最後列。
柱の影に隠れるように座っているアズールもまた、きちんと頭を下げていた。
(……今日の説法、長くなりそうだな)
昼間の過酷な労働で身体は重い。
できることなら、今すぐ寝たい。
しかし。
ここで居眠りなどしたら、どうなるか分からない。
アズールは小さく息を吐き、再びアマラの説法へ意識を戻した。
そのときだった。
「…………」
隣から。
妙な気配がする。
アズールは横目だけを動かした。
「…………?」
ツータイム。
灰色のローブ。
黒い指なし手袋。
いつもの格好。
だが。
何かがおかしい。
ツータイムは俯いたまま、右手を額に当てていた。
肩が。
カタカタと震えている。
「…………」
アズールは一瞬、心配になった。
(……ツータイム?)
そっと顔を近づける。
(どうしたの? 体調悪い?)
すると。
ツータイムがゆっくりと顔を上げた。
「…………」
その瞳。
妙に怪しく光っている。
口元には。
不敵な笑み。
(あ)
アズールは察した。
(これ、体調悪いんじゃない)
ツータイムが極限まで声を潜める。
「……ふっ」
(始まった)
「案ずるな、アズールよ……」
(始まったよ)
「僕はまだ……僕自身を制御できている……」
(何を?)
ツータイムは右手を左手で押さえた。
「……感じないか?」
「…………?」
「この聖堂に満ちる異様な波動を……」
(いや、説法だよ)
「アマラの放つ圧倒的な気配……」
(長老だからね)
「その一言一言が……」
ツータイムの眉間に皺が寄る。
「我が右腕に封印されし黒き波長と……激しく共鳴している……!」
(…………)
アズールは目を伏せた。
まずい。
もう。
この時点で。
かなりまずい。
「くっ……!」
ツータイムが右腕を押さえる。
「静まれ……!」
(静まるのはそっちだよ)
「今ここで我が魔力が暴走すれば……」
ツータイムの目が鋭くなる。
「この聖堂ごと……」
一拍。
「長老の首が吹き飛ぶ……!」
(物騒すぎる!!)
アズールは慌てて口を両手で覆った。
「…………っ」
危なかった。
声が出るところだった。
(やばい)
肩が震える。
(やばいやばいやばい)
腹筋が。
すでに危険な状態に入っている。
(何で今そんなこと言うの……!)
アズールは必死に俯いた。
だが。
隣ではツータイムがさらに深刻な顔をしている。
「……ぐっ」
「…………」
「この力……」
「…………」
「僕を……喰らうつもりか……!」
(知らないよ!!)
アズールは唇を噛んだ。
笑ってはいけない。
絶対に。
ここは大聖堂。
長老アマラの説法中。
もし笑い声なんて出したら。
最悪の場合。
二人とも何らかの処罰を受ける。
だから。
絶対に笑ってはいけない。
なのに。
隣では。
「……くっ……!」
ツータイムが一人で右腕と戦っている。
「静まれ……我が右腕……!」
(だから静まるのは君だって!!)
「僕はまだ……闇に呑まれてはいない……!」
アズールの肩が。
ぶるぶる震えた。
「…………っ」
涙が出てきた。
笑いを耐えているせいだ。
腹が痛い。
息が苦しい。
もう限界だった。
すると。
ツータイムがアズールを見た。
「…………」
そして。
何を思ったのか。
「……ふむ」
小さく頷いた。
(何?)
「そうか……」
(何が?)
「我が秘められし力の波動に……」
ツータイムの顔が得意げになる。
「恐れ慄いているのだな」
(違う!!)
「案ずるな、アズール」
(違うって!!)
「僕が守ってやる」
(だから違う!!)
ツータイムは静かに立ち上がった。
「…………!?」
アズールは目を見開く。
(ちょっと待って)
ツータイムはアズールの前へ出る。
そして。
灰色のローブを。
バサッ。
広げた。
(やめて)
右手を前へ。
左手を添える。
完全に。
何かの結界を張るポーズ。
「我が漆黒の力よ……」
(やめてやめて)
「今こそ顕現せよ……」
(ここ大聖堂だよ!?)
「アズールには指一本たりとも触れさせん……!」
(だから誰が襲ってくるの!?)
ツータイムはアマラへ向かって。
堂々と。
見えない何かを防ぐようなポーズを決めた。
「暗黒結界……展開……!」
「…………っ」
アズールの口から。
「っぶ……!」
という。
非常に危険な音が漏れた。
慌てて自分の腕に顔を押し付ける。
(無理!!)
肩が猛烈に震える。
(こんなの無理!!)
涙が止まらない。
(何で大聖堂で結界張ってるの!?)
しかも。
ツータイム本人は。
ものすごく真剣。
顔面は完全に英雄。
背後には神々しいステンドグラス。
そして。
その前で。
「…………」
右手を突き出す中二病患者。
シュールすぎる。
もはや芸術だった。
アズールは必死に耐えた。
だが。
そのとき。
壇上から。
声が止まった。
「…………」
アズールの血の気が引く。
ツータイムも。
「…………」
固まる。
大聖堂が。
静まり返った。
ゆっくり。
アマラが顔を上げる。
長い黒髪が静かに揺れた。
灰色のマントが僅かに動く。
そして。
冷たい視線が。
最後列へ向けられた。
「…………」
信者たちが一斉に振り返る。
アズール。
ツータイム。
二人に視線が集まった。
(終わった)
アズールは思った。
(完全に終わった)
アマラの声が響く。
「……そこの者たち」
「…………」
「先ほどから、何をしている」
空気が凍った。
アズールは立ち上がろうとした。
「も、申し訳――」
しかし。
その前に。
ツータイムが一歩前へ出た。
「長老アマラよ」
「…………」
「気にするな」
「…………」
ツータイムは胸を張った。
そして。
真顔で言った。
「アズールは今、あなたの気高き教義に深く感銘を受けている」
「…………」
「その感動があまりにも大きいため……」
ツータイムはアズールを見る。
「涙と震えを抑えきれずにいるのだ」
「…………」
アズールの顔が引きつった。
(お前のせいだよ!!)
だが。
ここで否定するわけにもいかない。
「は……はい……」
アズールは必死に頷いた。
「長老のお言葉が……胸に刺さりすぎて……」
声が震える。
涙目。
顔真っ赤。
肩も震えている。
客観的に見れば。
確かに。
ものすごく感動しているように見えなくもない。
アマラはしばらく二人を見つめた。
「…………」
沈黙。
アズールの心臓が跳ねる。
(お願いだから何も聞かないで……)
やがて。
アマラは小さく鼻を鳴らした。
「……結構なことだ」
「…………!」
「ザ・スポーンの教えを、それほどまで深く受け止めるとはな」
「は、はい……!」
「励むがよい」
「…………」
アマラは再び壇上へ向き直った。
説法が再開される。
大聖堂の空気も、徐々に元へ戻っていく。
「…………」
アズールは放心していた。
助かった。
本当に。
助かった。
その隣で。
「…………」
ツータイムが。
ものすごく誇らしげな顔をしていた。
そして。
そっとアズールを見る。
「…………」
親指を。
グッ。
と立てる。
「ふっ……」
得意げな顔。
「見事な演技だったぞ、我が相棒」
「…………」
「僕の機転がなければ危なかったな」
「…………」
「まさに暗黒の騎士としての――」
アズールは。
笑った。
声は出さない。
だが。
肩が。
ぶるぶる。
「…………?」
ツータイムが首を傾げる。
「どうした?」
アズールは口元を押さえた。
(演技じゃねえよ……)
肩が震える。
(全部お前のせいだよ……!)
涙がまた出る。
(右腕が暴走するとか言うから……!)
さらに。
(何で結界まで張るんだよ……!)
ツータイムはそんなアズールを見て。
「……まだ感動が収まらないのだな」
(違う!!)
「安心しろ」
ツータイムは小さく頷く。
「僕が守る」
(だから守らなくていい!!)
アズールは必死に笑いを噛み殺した。
しかし。
それから先の一時間。
アマラの説法が終わるまで。
ツータイムは何かあるたびに、
「……今、邪気が動いた」
「……右腕が反応している」
「……アズール、僕の後ろへ」
「……この波動、尋常ではない」
などと小声で囁き続け。
そのたびにアズールは。
笑ってはいけない。
笑ってはいけない。
絶対に笑ってはいけない。
と自分に言い聞かせながら。
ひたすら肩を震わせ続けることになった。
そして。
説法終了。
信者たちが一斉に立ち上がった瞬間。
「…………ぷっ」
アズールが吹き出した。
「ふふ……っ」
「……?」
ツータイムが振り返る。
「何だ?」
「……いや」
アズールは涙を拭う。
「今日も……平和だったなって」
「そうだな」
ツータイムは満足そうに頷いた。
「僕が守ったからな」
「…………」
アズールは。
もう一度だけ。
腹を抱えた。
「ふふっ……!」
大聖堂に。
小さな笑い声が響く。
そしてツータイムは最後まで。
自分が一体何をしていたのか。
まったく理解していなかった。