テラーノベル
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廊下を歩く。
足は前へ進んでいるのに、気持ちだけが、まだあのスタジオに置き去りになっていた。
白いセット。
ストロボの光。
モデルの腰へ自然に回された手。
息が触れそうな距離でも、少しも照れた様子はない。
……仕事だ。
もちろん分かっている。
モデルさんだって仕事。
はやちゃんだって仕事。
撮られていたのは、雑誌の一場面。
それだけだ。
頭ではちゃんと理解している。
それなのに、胸の奥がざらついていた。
「……何なんだろ」
小さく呟く。
答えは出ない。
⸻
夜、家へ帰りシャワーを浴びる。
何もする気になれなくて、そのままベッドへ横になった。
部屋は静かなのに、頭の中だけが落ち着かない。
目を閉じるたび、浮かぶのは今日のスタジオだった。
照明の光。
外国人モデルの笑い声。
そして、その隣で笑うはやちゃん。
あんな顔もするんだ。
あんなふうに誰かを見つめることも、知らなかった。
……いや、仕事なんだから、当たり前か。
そう自分に言い聞かせても、
胸の奥のざわつきは消えてくれなかった。
ため息をひとつ吐いて、何となくスマホを手に取る。
通知が一件。
昨日のグループでの仕事のときに、舜太が撮ってくれたオフショットだった。
何気なく開くと、五人並んで笑っている写真。
その真ん中で、はやちゃんがいつものように笑っていた。
その顔を見た瞬間だった。
さっきまで胸の中にあったざらつきが、
波が引くみたいに、静かになっていく。
「あれ……」
思わず声が漏れる。
どうして、この写真を見ただけで、安心したんだろう。
画面を閉じても、その疑問だけは残ったままだった。
答えのないまま、眠気がゆっくりと意識をさらっていく。
まだ、このときは知らない。
今日一日、胸をざわつかせていた理由も。
写真一枚で、ほっと息をついてしまった理由も。
その全部に、
もう、とっくに名前があったことを。
⸻
新曲のリリースが近付き、グループでの仕事が続く。
朝、楽屋へ入って。
歌って、踊って。
五人で笑って。
打ち合わせをして、取材を受けて。
またくだらないことで笑う。
変わらない毎日。
そのはずだった。
⸻
「はやちゃん」
楽屋の隅で衣装を畳んでいた背中へ声を掛ける。
「ん?」
振り返る。いつもの笑顔。
それだけなのに、
胸の奥が、小さくきゅっと鳴った。
……何だろう。
「どうした?」
「え?」
「呼んだだけ?」
「あ……うん」
はやちゃんは笑って、また衣装へ目を戻した。
それだけのことだった。
本当に、それだけなのに、
返事を聞いたあともしばらく胸が落ち着かなかった。
⸻
最初は、気のせいだと思った。
自分では気付かないだけで、寝不足なのかな。それとも疲れてるのかな。
そういう日もある。
だから忘れた。
……忘れられると思っていた。
⸻
でも、次の日も。
「はやちゃん」
「ん?」
また胸が鳴る。
その次の日も。
「はやちゃん」
「はいはい」
笑いながら返事が返ってくる。
また鳴る。
何度試しても、同じだった。
⸻
仕事をしていれば、自然と名前を呼ぶ場面はいくらでもある。
スタッフから伝言を預かったとき。
忘れ物に気付いたとき。
写真を撮るとき。
隣へ来てほしいとき。
今までなら、何も考えず呼んでいた。
何百回、何千回。
きっと、それくらい。
なのに最近は、名前を口にする、そのほんの一瞬だけ、胸の奥で心臓が跳ねる。
返事が返ってくるだけで、少しだけ安心する。
……何なんだろう。
自分でも分からない。
分からないまま、
今日もまた、いつものように名前を呼ぶ。
「はやちゃん」
「ん?」
笑って振り返る、たったそれだけで、
胸の奥が静かに疼く。
名前を呼んだのは自分なのに、
苦しくなるのも、自分だった。
……どうしてだろう。
その答えだけが、まだ分からない。
あんり
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あんり
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#YJ
コメント
3件
無自覚で名前を何度も呼んじゃう柔…
ああ、もう……この胸のざわつき、すごく分かります。仕事だと頭では理解してるのに、胸の奥がざらつく感じ。特に「はやちゃん」って呼ぶたびに心臓が跳ねる描写が、すごく繊細でドキドキしました。まだ自分でも気づいてないその感情、読んでるこっちはもう名前が分かってるから、余計にもどかしい……! 続きが気になります。