(私は⋯⋯は
あと⋯⋯どれだけ、殺せば⋯⋯終わるんだ)
それは声にならぬ嘆きだった。
塵と化したライエルの残骸が、風に散った。
熱の余韻に揺れる空気の中で
アリアは、膝から崩れ落ちた。
砂の上に、白磁のような膝が沈む。
紅く染まった足元に、影が長く伸びる。
(⋯⋯誰か⋯⋯誰か、教えてくれ⋯⋯っ)
叫びにも似た心の声が、誰にも届くことなく
草原の闇に溶けていく。
だが、答える者はいなかった。
空には、もはや不死鳥の影すらない。
アリアは、ゆっくりと立ち上がった。
血に濡れた足取りは覚束なく
吐き気を堪えるように肩を震わせる。
それでも、向かう先は決まっていた。
──教会。
あの、聖と偽る場所。
一族を拘束し、見世物にし
裁きを騙った連中の本拠地。
(帰ろう⋯⋯我が一族と、共に⋯⋯森へ。
⋯⋯そして我が一族は、永遠に⋯⋯
同胞を弔う為に、汚名を着よう)
自分の手で断った命の重さを抱えて
幾つもの罪と、幾つもの嘘と
幾つもの〝赦し難さ〟を背負って。
アリアは一族と共に──帰還を願った。
だが──待っていたのは
残酷という言葉すら生ぬるい
〝現実〟だった。
教会の広場に、足を踏み入れたその瞬間
アリアの身体は、凍りついた。
目の前には〝屠殺場〟が広がっていた。
──ミッシェリーナ一族。
その全てが、地に堕ちていた。
いや、堕ちたのではない。
〝見せつけるため〟に
吊るされ、刺され、晒されていた。
鐘楼から垂れ下がる十数本の絞首縄。
そこには子どもも老人も区別なく
首を吊られた屍が揺れていた。
斬首台の上では
首を失った肉塊が幾つも積み重なり
地に転がった瞳の無い頭部は
未だアリアを見つめているようだった。
更には
聖堂の壁を貫通するように、数十本の杭。
突き刺された肉体が
尚も動かんとするように歪み
血を滴らせていた。
喉が、裂けるほどの悲鳴を
アリアはあげた。
「嫌だ⋯⋯
嘘だああああああっっ!!!
あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っっっっ!!!!」
声など、久しく出したことはなかった。
それでも、その叫びは人ならぬ絶叫となって
教会の塔を震わせた。
彼女を見つめる全ての死者が──
アリアを責めている気がした。
─お前が遅かった─
─お前が殺した─
─お前が神になりきらなかったから─
刺すような非難の視線。
皮を剥がれ、腸を垂らした同胞の骸が
無言でアリアを咎めていた。
気づけば、視界は血に染まり
空が赤く滲んでいた。
そして、次の瞬間──炎がすべてを包んだ。
どれほど時間が経ったのか、わからない。
目を覚ましたとき
アリアは何もない焼け野原に立っていた。
聖堂も、鐘楼も、杭も、肉片も、血の池も
何もかも──消えていた。
ただ、灰だけが風に舞い
遠くで雷鳴が低く唸っていた。
(⋯⋯全部、私が⋯⋯燃やしたのか?)
記憶が、途切れている。
最後に何を見たか、何をしたのか──
思い出せなかった。
けれど、その手には
焼け爛れた肉の匂いが残っていた。
──罪を焼いたのか。
──それとも、赦しを焼いたのか。
「私は⋯⋯何を、護ったんだ⋯⋯」
その言葉を最後に
アリアの膝は再び崩れた。
血も涙も涸れた身体が
風に吹かれ、倒れ伏す。
その胸の奥で、何かが
──〝音を立てて、壊れていた〟
それは〝心〟という器だった。
教会という名の処刑場。
不死鳥という名の災厄。
そして〝神〟と呼ばれた女が
その日、絶望の名を知った。
⸻
──それから先の記憶は
霞のように朧だった。
どれほどの時が過ぎたのか。
何度、朝を迎え、何度、夜に沈んだのか。
その全てが
彼女の内側をただ、すり抜けていった。
記憶は虚ろだった。
名前を呼ぶ者もなく
声をかける者もいない。
彼女の周囲には
いつも静寂と死臭があった。
草の匂いも、海の香りも、雪の冷たさも──
何一つ、彼女の心に届かなかった。
食事など、必要なかった。
飢えを感じることもなかった。
ある日、彼女はふと気付きさえした。
最後に〝味〟というものを感じたのは
いつだったのかと。
腹が空いても、痛まない。
喉が渇いても、死なない。
その身体は、まるで
〝命〟という営みから
切り離されたかのように
ただ存在し続けていた。
時折
自らの手で命を絶とうとしたこともあった。
それは儀式のように繰り返され
やがて無意味だと理解しながらも
なお繰り返した。
鋭利な刃を自らの首に当て
深く深く切り裂く。
鮮血が飛び散り、喉元から異音が漏れ
首が外れ、転がる。
その度に、目の前が暗くなり
ああ、ようやく──と思った。
だが、気がつけば、また立っていた。
いつの間にか
〝何事も無かったかのように〟
喉元は塞がり、骨は繋がり
血は脈打ち、皮膚が整い、再び息をしていた
水底に沈もうとしたこともある。
重石を抱え、深く深く、湖の底へと沈んだ。
身体は重く、息が出来ず
視界が揺れていく。
光の届かぬ暗い深淵で、目を閉じ──
そのまま
何もかもが止まればいいと願った。
しかし
次に目を開けた時には、岸にいた。
冷たい岩の上
濡れた髪を潮風が靡かせていた。
周囲に誰の気配もない。
けれど確かに
誰かの手が引き上げたように
彼女の身体はそこに〝戻されて〟いた。
生きようとせずとも、生きてしまう身体。
それは祝福ではなかった。
それは──呪いだった。
やがて
彼女の存在を〝狙う者たち〟が現れ始めた。
不死の血を求めて。
涙の宝石を手にするために。
〝神の証〟とされるその存在を
自らの欲と力のために。
その者たちは〝ハンター〟と呼ばれていた。
──人の姿をした獣ども。
笑顔の仮面の裏に
残酷な野心を隠した者たち。
彼らは信仰を語り、正義を騙り
欲望を刃にして彼女を襲った。
毒を盛られ、火を放たれ
拘束され、拷問され
髪を刈られ、爪を剥がされ
その血を、一滴残らず飲み干そうとした。
それでも、彼女は死ねなかった。
焼かれた皮膚は再生し
砕かれた骨は結び直される。
刺され、裂かれ、潰された肉体は──
いつの間にか、元通りに〝戻っている〟
ならばと、彼女は〝殺した〟
冷たく、静かに、機械のように。
慈悲も憎しみも、もはや彼女にはなかった。
自らの命を狙う者を
ただ〝排除〟するように。
一人、また一人と、地に沈めていった。
血に濡れた指先に、感情は宿らない。
自らの手が
どれほど多くの命を奪ったのか
数えることさえしなかった。
殺し、狙われる。
狙われ、殺す。
その繰り返しだった。
永遠に続く終わりなき日々。
季節は巡り、街並みは変わっても
彼女はただ変わらず〝生き続けてしまう〟
過去は、血と共に地に落ちた。
未来は、炎の中で焼かれていた。
彼女は、ただ存在していた。
存在することを、何よりの苦しみとして──
〝死に損ねた神〟は
今日も、世界の片隅で
虚ろな瞳を空に向けていた。
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