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一足遅かった。
乗り込んだエレベーターには副社長がいた。会議の内容について聞かれ、そのまま副社長室に連れて行かれ、自分の部屋に戻れたのは終業時刻を一時間ほど過ぎてから。
予定があるから、と馨は平内と終業時刻と同時に帰ったらしい。
俺はすぐに馨に電話を掛けた。
延々と続く呼び出し音。
平内も同じ。
前に二人が飲んでいたBarにも行ってみたが、空振りだった。
ダメもとで平内の家に行ってみたが、留守だった。
くそっ——!
どこにいるんだ。
『話したいことがあるから電話をくれ』
メッセージは既読にもならない。
こんな消化不良のままで週末を過ごしたくはなかった。
会いたい——。
柄にもなく夜空を見上げると、満月だった。
どこにいるんだ、馨。
俺の両親のこと、黛の脅し、桜の秘密、転落死の謎。
話したいこと、聞きたいことが山ほどある。
『結婚しない』
あんなことを言わせたかったわけじゃない。
馨の涙を堪えて唇を噛む姿が頭をよぎる。
あんな顔をさせたかったわけじゃない。
俺はスマホで目的地を検索した。
*****
「やっと帰って来た!」
玄関の鍵が開いていたから、馨が帰って来たんだとわかった。けれど、出迎えたのは平内。
「遅いお帰りですね」
「誰かさんたちが電話にも出ないからな」
俺がどれだけ探し回ったかも知らずに、嫌味を言われてカチンときた。
「インターホンの留守録見て驚きました。でも、まさか闇雲に探してたわけじゃないでしょう?」
「馨は?」
「寝室です。酔い潰れちゃいました」
平内の言葉を疑うわけじゃないが、俺は寝室に飛び込んだ。
馨はベッドで眠っていた。着替えもせずに。
俺はホッとして、寝室のドアを静かに閉めた。
「部長からのしつこい着信とメッセージを見て、帰るって」
しつこい、は余計だろ。
「荷物は馨の部屋に置いておきました」
「ありがとう」
「部長のお父様が槇田弘嗣衆議院議員って本当ですか?」
ストレートのど真ん中だな……。
「ああ」
公言したくはなかったが、嘘をつくつもりもなかった。それに、平内は信頼出来る部下で、婚約者の親友だ。
俺はバリスタのスイッチを入れ、昨夜同様にカップを二つ用意した。
「どうして早く馨に言わなかったんですか?」
「逃げられたくなかったから」
「あら。素直ですね」
「今更だろ。平内に取り繕う意味がない」
「確かに。取り繕うより取り入った方が得策ですもんね」
平内もまた、昨夜同様に楽しそうだ。
「お前、恋人いないだろ」
「セクハラですよ」
「今のは上司としてじゃなく、親友の婚約者としての言葉だ」
「なら、親友の婚約者殿にお伺いしますけど——」
俺はカップを手渡し、昨夜同様に平内と向かい合って座った。
「馨との結婚、出来るんですか?」
「する」
「立波リゾートは?」
「守る」
「部長のファンなら、目をハートにして黄色い声を上げるほど潔くて頼もしいお言葉ですね」
女性から敵意のある視線や言葉を投げられるのは、初めてかもしれない。
「気に入らないか」
「気に入らないです」
「はっきり言うな」
「私は部長のファンではありませんから」
「女に振られるのは二度目だな」
平内が持っていたカップを、少し乱暴に置いた。こぼれはしなかったが、真っ黒い波がカップの中を行ったり来たり。
「私はっ! 馨に幸せになって欲しいんです」
「俺もだ。馨には幸せになってもらいたいし、幸せにしたい」
「だったら——」
「でも、馨がそれを望まなければ意味がない」
平内も馨が秘密を抱えていることはわかっている。親友にも婚約者にも言えない秘密。
元恋人だけが知っている秘密。
それが馨の幸せを妨げている。
俺の言葉を理解したようで、平内はため息をついてコーヒーをすすった。
「『何も聞かずにいてやって欲しい』って言われました」
「誰に?」
「高津さんに」
『全部捨てて、やり直さないか?』
あの時の声が、耳に残っている。
「二人が別れたって聞いて、馨に内緒で会いに行ったんです。高津さんは『俺は立波リゾートの社長に何てなれない』『俺といると馨がお義父さんの死を思い出してしまう』って言ってました。けど、おかしいんです。確かに、高津さんに警察官をやめて立波リゾートの社長になるなんて無理だったかもしれないし、人の死に目なんて思い出していいものじゃないけど、それが高津さんと別れるほどのことだったとは思えない」
「他に理由があると?」
「それも聞きました。けど、高津さんは『秘密を共有することが救いになるとは限らない』って」
自分は馨の全てを知っていると言わんばかりの台詞が、気に障る。
「私が秘密を知らないことで、馨が私といて秘密を忘れられるのならと思っていました。けど、黛のしつこさや部長との結婚を考えると、このまま何も聞かないことが馨の為なのかがわからなくて……」
平内の考えも一理あるだろう。
他人に知られたくないことだから、秘密なんだ。それを無理に聞き出されることを望む人間はいない。
そして、馨の場合は、秘密を共有したから高津と別れることになった。
俺が秘密を知っても、別れるハメになるのだろうか……?
『馨の共犯者になったことを後悔してない』
高津は言った。
俺が黛から立波を守るための共犯者なら、高津は——?
「俺はともかく、平内にも言えないのならよっぽどのことなんだろう。何も聞かないでやってくれ」
納得がいかないのは表情でわかった。けれど、平内は頷いた。
俺は足元に置いてあった鞄から封筒を取り出した。
「それから、これを——」
平内は封筒の中身を見て驚き、呆れ顔で俺を見て、それから笑った。