テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第六十七話 病院に残る記録
病院へ向かう電車の中で、
二人はほとんど話さなかった。
昨日までなら、
何か分かるたびにすぐ言葉にしていた。
でも今日は違う。
二人とも、少し怖かった。
病院に行けば、
今まで知らなかったことが分かるかもしれない。
それと同時に、
知りたくなかったことまで出てくるかもしれない。
「……大丈夫?」
彼女が窓の外を見ながら聞いた。
「分からない」
彼は正直に答えた。
「私も」
少しだけ沈黙が続く。
「でも、行こう」
「うん」
それだけで十分だった。
病院に着くと、彼は受付の前で立ち止まった。
見覚えがある。
正確には、見覚えがある気がする。
白い壁。
受付の位置。
廊下の角。
どれも写真でしか見たことがないはずなのに、
足が自然に進んでいく。
「……こっち」
彼が呟いた。
「分かるの?」
「分からない。でも、こっちな気がする」
二人は廊下を進んだ。
しばらく歩いたところで、
彼は一つの部屋の前で足を止めた。
扉には、小さな番号。
その数字を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
「ここ……」
彼女が横に立つ。
「何か思い出した?」
「少しだけ」
彼は目を閉じた。
白い天井。
ベッド。
窓の外の雨。
そして、誰かが椅子に座っている。
顔は見えない。
「……誰?」
記憶の中で、自分がそう聞いている。
すると、誰かが答えた。
「今は知らなくていいよ」
そこで記憶が途切れた。
「今は知らなくていい……」
彼はその言葉を繰り返した。
彼女が不安そうに見つめる。
「何か探してるものがあるんじゃない?」
「たぶん」
二人は受付で、昔の記録について尋ねた。
もちろん、
すぐに詳しい情報を見せてもらえるわけではない。
それでも、古い記録の中に
本人が確認できるものが残っていないか、
確認してもらうことができた。
しばらくして、職員が一枚のコピーを持ってきた。
「これだけ、古い資料として残っていました」
彼は紙を受け取った。
そこには、事故の翌日の記録が書かれていた。
細かな内容はほとんど伏せられている。
けれど、一つだけ気になる項目があった。
『面会者あり』
彼はその文字を見つめた。
「面会者……?」
彼女も紙を見る。
「誰が来たの?」
「名前は書いてない」
その下には、
『本人との関係について確認中』
とだけ記されていた。
「なんで名前がないんだろう」
彼女が呟く。
彼は答えられなかった。
さらに下を見る。
そこには、手書きで小さく書かれた文字があった。
『箱について話す』
二人とも息を止めた。
「……箱」
彼が呟く。
事故の翌日。
箱を取りに来た男性。
病院に来た面会者。
そして、箱について話した記録。
全部が同じ日に重なっている。
「もしかして……」
彼女が言いかけた。
そのとき、彼の頭の中にまた記憶が浮かんだ。
病室。
自分のベッドの横。
椅子に座っている誰か。
その人が、何かを握っている。
小さな箱。
「……それ」
自分の声。
『これ、どうするの?』
相手は答えない。
少しして、
『今は預かっておく』
そう言った。
彼は目を開いた。
「思い出した」
「何を?」
「箱を……誰かに預けた」
彼女が驚く。
「誰に?」
彼は首を振った。
「それが分からない」
ただ、一つだけ分かった。
あの箱は、事故の日に突然消えたわけではない。
誰かが意図的に持っていった。
そして、その人物は――
病院に来ていた。
彼女が記録をもう一度見る。
「ねえ」
「うん?」
「ここ、変じゃない?」
彼女が指差した。
面会者の記録の下。
そこには、本来なら名前を書くはずの欄があった。
でも、その欄には名前ではなく、
『本人が思い出した後に記入』
とだけ書かれていた。
彼はその文字を見つめた。
そして、初めて思った。
もしかしたら――
自分が忘れているのは、事故のことだけじゃない。
誰か一人の存在そのものを、
忘れてしまっているのかもしれない。
コメント
1件
みぅ🤍🥀です。 「今は知らなくていいよ」って言葉が妙にリアルで、胸がざわついたよ…。病院の古い記録と、面会者欄の違和感。そして「忘れているのは事故だけじゃなくて、誰かの存在そのものかもしれない」っていうラスト、すごく切なくて引き込まれた。箱を預けた相手のこと、早く思い出せたらいいね…🥀
341
まくら
135
みおん
5,265
33