コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
『葛姉ってさ、実際どこまで出来るヒト?喧嘩で。 たとえば、その刀を使って──』
いつか、実の妹にそんな事を問われた記憶がある。
夕食の席における一幕。
何気ない会話から発展したものであるが、こういった剣呑な話題に転がる辺り、双方の性根はまだまだ世の凋衰(ちょうすい)と無縁だった。
ひと口で表せば、喧嘩っ早い。
もとい。 言い換えるなら、互いに気心を知ったる上での駄弁でもあったろう。
こちらの答えは決まっている。
『無理。 だってバッチぃもん』
『え?』
『血とか出るじゃん。 刃物で切(や)ると』
『なら、グーパン?』
『そうそう! グーパン最高』
ともあれ、これが他愛のない方向へ落ち着く辺り、姉妹の幼気(いたいけ)はまだまだ盛(さか)りであった。
世に無邪気さほど酷烈なものは無いという。
しかしそれは、あくまで正邪の判断能力を基準にした場合にのみ言える事だろう。
何が良くて、何が悪いのか。
世の趨勢(すうせい)、社会の仕組みを理解できる段階に到ってなお、その手に刃を握ることが可能な者こそ、何よりも酷烈で残忍だ。
「殺気がまるで無い」と、黒ずくめの頭目は、囁くような声色を変えずに言った。
己の足元に打ち込まれた激甚の刃には目もくれず、眼前で息を乱す葛葉の態を静観する。
肩先の上下動が著しく、まるで中距離を駆け抜けた直後のような。
先の身体操作に不備でもあったか、あるいは渾身の一太刀が思わぬ威を振るった所為かとも考えたが、どうやら事情が違う。
「お労(いたわ)しい……」
「……黙れやコラ」
こういう手合いに出くわすことは、十分に想定していたはずだ。
世界を焼き尽くし、世界を終わらせた張本人の実子。
余人の恨み辛みが向かう先としては、おおよそ妥当じゃないか。
“ごめんなさい”
その言葉は、もうイヤというほど連呼した。それこそ、世界が元の形を保っていた時分から、ずっと。
“あなただって、一応は被害者でしょ?”
そう言って、頭をやんわりと撫でてくれたのは誰だっけ?
あぁ、そう。 あれは母だった。娘であり、母だった。
かつて、世界を恨みに恨み抜いた彼女。
世界を焼き討つべく、奸計をめぐらせ続けた地獄の女帝。
己を地獄に落とした張本人こそ他ならぬ“世界”であると盲信し、 遂には世界に自刃を促すべく、いずれは世の切腹刀と成りうる八口(はちふり)を、かの刀工に命じて打たせた愛しい娘。
“私じゃないよ?”
“私はそんな事していない”
“私がそんな事するわけない”
「如何(いかが)いたしました?」
「……お前さん、うちの手並み知ってる言(つ)ったな?」
「それが?」
「ボケッと突っ立てっと、股下からバッサリ行っちゃうよ?」
「……“妙剣”」
もっとも、今となっては笑い話。否(いや)さ、さすがにあの紅蓮の日々を笑い飛ばす度量はないが、少なからず現在(いま)を歩く手助けになっているのは事実だ。
困難を乗り越えた先で得られた自信。すこし違うな。
浄戒の権化をすら尻に敷き、御伽噺の化け物をすら手懐ける無類の女帝と、私は真摯に話し合い、殴り合い、遂には誤解を解くことに成功した。
それは単に自信などという陳腐なものではなく、矜持(きょうじ)という枠組みに収まるようなものでもなく。
言うなれば歴史が、そうした過去の歴史が、世界が終わった今となっても、この胸にきちんと息づいている。
もちろん、己を史書と嘯(うそぶ)くつもりはないし、そんな難物に成り果てるのはそもそもこちらから願い下げだ。
ただ、形の有無に関わらず、そこにあったもの、たしかに存在したものを記録しておける保管場所のようなものが、壊れゆく世界の掌(たなごころ)にもあっていいんじゃないかと、そんな風に思ってしまうのである。
だから──
「抵抗するよ? 私ぁ。 たとえお前さん叩っ斬ってでも」
弾むように上下を繰り返した肩先の動きは、荒れた風道が萎らしくなるように鳴りを潜めていた。
裏腹に、当面の決意を証立(あかしだ)てる気迫が、厚手の綿布を介してなお、肌身にヒリヒリと及びくるようだった。
「貴女(あなた)は……」
併(あわ)せて、言葉には尽くせぬ憐憫(れんびん)の情とでも言おうか。
断じて敵意だけでは無い。彼女の気胆に依るものは、こちらを害そうという血気のみでは断じてなく。
それはまるで、麗らかな日差しのもと、諸々の不安を得ず微睡(まどろ)んだあの頃のような。
健やかに立ち上る雲の下、汗を流して走り回ったあの頃の情景を。
あるいは夕暮れの畦道(あぜみち)を、虫の声と共に歩んだあの日々を。
すっかりと悴(かじか)んだ両の手を、温かく包み込んでくれた母の手を。
柔らかな郷愁に乗せて、ほのぼのと想起させるものだった。
人の営みはたしかに在った。我々が生きた証は、このヒトと共にたしかにあったのだ。
「………………」
大国(おおくに)の慈母神とは言い得て妙だ。
そういった機微を得てしまえば最後、もはや抗う術(すべ)など無かった。
自分もまた、他ならぬ彼女の子であるのだと悟った男性は、静かに肩を震わせて噦(しゃく)り上げた。