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深冬芽以
「……どういうことだ。美波に熱湯を渡したのが、誰だって?」
連行されるミチルの腕を掴む九条の手が、目に見えて震えている。
ミチルは狂ったような笑みを浮かべたまま、九条の耳元で歌うように囁き続けた。
「あの熱湯はね、単なるいじめの道具じゃなかったのよ。…栞ちゃんの『声』を奪うための、完璧な儀式だったの。それを用意させたのは、警察でも、私でもないわ」
ミチルが連れて行かれた後、静まり返った病室に、九条の荒い呼吸音だけが響く。
彼は私と目を合わせようとせず、ただ壁のモニターをじっと見つめていた。
私は震える指で、ベッドの上に放り出されたスマホを手に取った。
そこには、今しがた届いたばかりの通知が、暗闇の中で青白く光っている。
差出人:父さん
件名:約束の時が来た
栞、元気か。お前の声が戻ったと聞いた。
だが、その声で「本当のこと」を話すのは、まだ早い。
10年前、お前の喉を焼いたポットを用意したのは、私だ。
「……っ、…ぁ……!」
喉の奥から、ヒュッという短い悲鳴が漏れた。
父さん。
10年前、事件の直後に不慮の事故で亡くなったはずの、私の父。
優しくて、いつも私の味方だったはずの人が、なぜ?
九条が私の異変に気づき、スマホを覗き込む。
彼の顔が、一瞬で蒼白になった。
「…やはり、生きていたのか。あの男が」
「……九条さん、知ってるの?私の、お父さんのこと……」
九条は深く、重い溜息をつき、私のベッドの端に腰を下ろした。
「……栞さん。君の父親は、ただの会社員じゃなかった。彼は、警察内部で『掃除屋』と呼ばれていた男だ。権力者の不祥事を揉み消し、不都合な存在を社会的に、あるいは物理的に消去するプロだったんだ」
九条の告白は、私の世界を根底から覆した。
美波の母親が警察に圧力をかけられたのも
九条が買収されたのも、すべては父が裏で引いた「糸」の一部だったのだ。
「君の父親は、ある巨大な汚職事件の証拠を、幼い君の『声』の中に隠したんだ。……君が大人になって、誰かにその秘密を話さないように。彼は、あえて美波たちを利用して、君の声を封印した」
親の愛だと思っていたものは、娘を「生きた金庫」に変えるための、残酷な防壁に過ぎなかった。
スマホが再び震える。
パンドラの管理者・結衣からのメッセージ。
【新章:血のパンドラ】
栞。あなたの声は、ただの音じゃない。
その周波数の中に、この国をひっくり返す『鍵』が眠っているの。
お父さんに会いに行きましょう。彼が待っているのは、10年前のあの廃校よ。
私は包帯を剥ぎ取り、ベッドから立ち上がった。
足元がふらつく。けれど、止まるわけにはいかない。
私の10年間を、私の声を
そして私の家族という名の幻想を壊した男に、直接会って問わなければならない。
九条が銃を握り直し、私を支える。
「……行こう、栞さん。僕も、10年分の決着をつけなきゃならない」
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