1週間後の練習時、紬はどこか重たい足取りでリンクを後にした。膝や腕に残る転倒の痛みよりも、自分がリズムに乗れないもどかしさが心を苛んでいた。街路灯がちらほらと灯る夕方の空、彼女は帰り道にある小さな公園に足を向けた。
ふと目に入ったのは、満開の桜の木。たおやかに枝を広げ、淡いピンクの花びらが春風に揺らめいている。見上げると、そよ風に吹かれて花びらが空に舞い、やがてゆっくりと地面に降り積もっていく。紬は吸い寄せられるようにその木の下に立ち止まった。
彼女はそっと目を閉じた。耳を澄ませてみても、補聴器つけてないので風の音も桜の揺れるかすかな音も聞こえない。その代わりに、視界いっぱいに広がる花びらの舞いだけが静けさの中で際立って見えた。
「こんなにも静かで……でも、こんなにも綺麗なんだ……。」
紬は呟きながら、ただその光景に見惚れた。音がなくても、自然の美しさがこれほど心を震わせるのだと気づいた瞬間だった。彼女の心の中に、小さな灯火のような希望が揺らめき始める。音に頼らなくても、自分だけの「美しさ」を表現できるかもしれない。そう思えたのは、この桜の花びらが教えてくれたからだった。
花びらがひとひら、ふわりと紬の肩に落ちた。その感触が、疲れた体を包み込むように温かく思えた。彼女は小さく微笑み、再び歩き出した。帰り道の空はまだ薄暮の明るさを残し、彼女の心の中には成瀬コーチの言葉が響き続けていた。
「『何か』って、自分で探さないといけないって……。」紬は小さく呟いた。彼女の視線がふと一本の桜の木に止まった。その木は他の木々よりも少し大きく、幹が力強く根を張っているように見えた。
紬はその桜の木の前で立ち止まり、じっと見上げた。枝には風に揺れる花びらがついていて、音のない世界でもその動きがリズムのように感じられた。紬は深呼吸をしながら、手をそっと伸ばして近くに落ちてきた花びらを掴もうとした。しかし、花びらは風に乗ってふわりと舞い上がり、彼女の手には届かなかった。
「桜の花びらも、風がなくても自分のリズムで舞ってるんだ……。」紬は呟きながら微笑んだ。その瞬間、成瀬コーチの言葉の意味が少しだけ分かった気がした。
『何か』を見つけるためには、自分自身の心の中にあるリズムを信じること。桜の木の前で感じたその気づきは、紬にとって新たな一歩の始まりだった。
リンクへ戻る道すがら、彼女は心の中でその想いを何度も繰り返し確認していた。
「桜の花びらのように、私の滑りが誰かの心に届けばいいな。」紬はふと思いながらリンクの扉を開けた。
リンクには冷たい静寂が広がっている。紬はスタッフに頼んで曲をかけてもらった。補聴器をつけている紬の耳には音が届く。音の世界と無音の世界、その両方を紬は感じながら、自分だけの表現を探るために動き始めた。
リンク中央にひざまずく紬。片足を後ろに引き、つま先を軽くつける。背筋をまっすぐに伸ばしながら、頭をゆっくりと下げ、目線を足元に向ける。その姿勢には、彼女の内なる想いや静けさが漂っている。
左手はそっと胸元に添え、柔らかさと繊細さを表現。右手はゆっくりと上に伸ばされ、開いた手のひらがパーの形を描く。指先まで意識を集中させることで、桜の花びらが風に舞い上がる瞬間を象徴し、滑り出しの準備を整えた。
曲が流れ始めると、紬ちゃんは顔を上げ片方の後ろにした足を円のように体ごと回しながら立つ!
しばらくしなやかに滑ってからの
シングルトウループ!
後に続いて、
サルコウジャンプ!
素早いステップ
の後に
シングルサルコウ!
フワッと軽やかにとんでからの
シングルアクセル!
最後のキメポーズ。
右足を軽くあげたまま胴体を反らし右手を上げ左手も上げて左腕を曲げる!
リンクを滑り終えた紬ちゃんは、静かに立ち止まり、息をハァハァと切らしながら練習が終わるたびに体の疲労が押し寄せてくるけれど、その疲れこそが彼女が努力を積み重ねた証だった。スケート靴を脱ぎながら、今日のジャンプやステップの感触を頭の中で繰り返していた。紬は何だか晴れ晴れした気分だった。
そこにスケート仲間の子達がたくさん集まってきた。「すごかったね!」「綺麗だった!」「」「やっぱり補聴器つけたほうが良かったでしょ!」それを見て成瀬先生は補聴器をつけてることに気が付き、聞こえるときは楽しそうにスケートをしていたのに8歳で耳が聞こえなくなった紬が傷ついてるのでは無いのかと心配になり話しかけた。「空色さん、補聴器外すんじゃなかったんですか。」すると、「コーチ。いいんです。私、補聴器をつけて大会に出ます😊」「え!どうしたんです?無理しなくていいんですよ。」
「私、前にコーチが言ってること分かったんです。」紬は少し頬を染めながら言葉を紡ぐ。成瀬コーチはその言葉に耳を傾ける。紬ちゃんの瞳が輝き、声には確信が込められていた。
「今さっきの滑りは柔らかさを表現してみました。桜の花びらが舞い落ちるあの柔らかさです。私も桜みたいに舞ってみたい!そう思ったんです。」
紬ちゃんは胸を張りながら言葉を紡ぎ切り、その思いを伝えた。その情熱に、成瀬コーチは少しの間を取って彼女を見つめる。深く響くその言葉に、コーチも何かを感じ取ったのだろう。彼の顔には微笑が浮かび、優しい声で返事をした。
「わかりました。大会でも、自分らしく精一杯やってください。」
その言葉に紬ちゃんは満面の笑みを返し、心の中でまたひとつの目標が固まった。桜の表現によってスポットライトを当てたかのような彼女の滑りはこれからも柔らかさと力強さを持ち、未来へ向かう道を照らしていくだろう。
つづく
コメント
6件
( ゚д゚ )彡そうなんかい!wwww
コメありがとう!本当に大変です!まぁ、書くの楽しいから良いけど😊
自分でも見るのめんどかった。wwwww