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画面の中のサヤは、今日も変わらず眩しい。
「みんな、おはよ〜!今日の朝食は、最近お気に入りのテラスカフェでエッグベネディクトをいただいてます」
弾けるような明るい声。
ふんわりと巻かれた艶やかなアッシュブラウンの髪が、春の陽光を受けて透けている。
華奢な指先に光る、新作のゴールドリング。
スマホのブルーライトに照らされた私の視界には、彼女がフォークを入れた瞬間の
黄金色の卵黄がとろりと溢れ出す映像がエンドレスで繰り返されていた。
「……幸せなら、いいよね」
私は、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋で一人、乾いた音を立てて呟いた。
膝の上には、コンビニの冷蔵棚で半額シールが貼られていた、賞味期限ギリギリのたまごサンド。
カサカサと耳障りな音を立てるビニール袋が、この部屋の淀んだ空気と私の惨めさを
これ以上ないほど雄弁に強調している。
画面の中の彼女は、世界中の祝福を一身に浴びているように見える。
私は、サヤになりたい。
ただの憧れなんかじゃない。
これは飢餓感だ。
彼女が歩く道、彼女が肺いっぱいに吸い込む洗練された空気
彼女が誰からも無条件に愛される理由。
そのすべてを、一滴残らず私のものにしたい。
私は、サヤが投稿した写真の隅っこを凝視する。
背景にぼんやりと映り込んだ街灯の装飾
店の看板のフォント、そして大理石のテーブルの独特な石目の模様。
指先で画面をピンチアウトし、ピントが合う限界まで拡大を繰り返す。
画素が粗くなり、ノイズが走るその一角に、私は執念を焼き付ける。
「……見つけた」
心臓の鼓動が、不快なほど高鳴る。
場所は代官山の裏通り。
一見さんお断りの、会員制に近い隠れ家カフェだ。
SNSという名の海に彼女がこぼしたパン屑を拾い集め、ついに私は地図のピースを完成させた。
私はおもむろに立ち上がり、部屋の隅にある古びた姿見の前に立った。
照明を落とした薄暗い鏡の中に、生気のない女が立っている。
ボサボサに伸びた髪を指で無理やり梳き、私は震える手でポーチを開いた。
中から取り出したのは、メルカリで生活費を削り
無理をして落札した、サヤとお揃いの限定色のリップ。
キャップを外すと、まるで彼女の一部を切り取ったような、甘いフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。
丁寧に、丁寧に。
唇の輪郭をなぞるように色を乗せていく。
鏡の中の「私」の輪郭が、少しだけ彼女に近づいていくような錯覚に、胸の奥が熱くなる。
「……おはよう、サヤ。今日の朝食、美味しかった?」
私は、鏡の中の自分に向かって問いかけた。
サヤと全く同じ角度で首を傾げ、作り込まれた満面の笑みを作る。
口角の上げ方、目尻の下げ方、光の受け方。
何百回、何千回と録画をスロー再生し
鏡の前で繰り返し練習した、彼女の「幸せな顔」。
鏡の中の彼女は、私を模倣して
同じように微笑んだ。その歪な笑顔は、滑稽なほど本人に似ている。
明日は、あのカフェへ行く。
彼女が座った、あの温もりの残る席で、同じ銘柄のコーヒーを頼むのだ。
少しずつ、少しずつ。
彼女の輪郭を侵食していけば、いつか世界も、私をサヤとして認識するはずだ。
私は再び暗闇へと戻り、眠りにつく。
夢の中でも、彼女の人生をなぞり続けるために。
#パワハラ上司
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