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線上のウルフィエナ

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線上のウルフィエナ

31 - 第三十一章 闇色の影

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2024年03月09日

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星々と無数の瞳が見守る中、戦いは終わりを迎えようとしていた。

 この雄たけびは宣誓だ。


「私は! ギルバルド家当主! プルーシュ・ギルバルド! 王国の民よ! 安寧な時間を遮ってしまったこと、ここに謝罪する! 傭兵の助力もあり! 犯人は取り押さえた! さあ! 安心して帰宅してくれ!」


 名を名乗り、状況を伝え、謝罪する。紳士のように振る舞うことで見物人達を安堵させつつ、帰路に就かせる算段だ。

 教祖の右腕を掴み、決して離さないプルーシュ。

 手痛い負傷に苦しみながらも、瞳の奥に闘志を燃やすウイル。

 そして、彼らの眼前には孤独なトライア。顔の傷は見た目ほど大袈裟ではないのだが、前にも後ろにも歩けずにいる。

 その理由はシンプルながら、この女を苛立たせるには十分だ。


「こ、この馬鹿力! だったら!」


 突き出した右腕はピクリとも動かせない。

 ならば、自由な左腕で自称英雄を始末すれば済む話だ。

 指を束ね、刃に見立てると同時に、軍服のような青い服へ突き入れる。両者は吐息が届くほどに接近しているのだから、文字通り先手必勝で相手を殺せてしまう。

 ギルバルドの鳩尾に突き刺さる指先達。服と皮膚を突き破り、内臓に届くほどの侵入具合だ。

 その光景は事実ながら、同時に幻想でしかなかった。


「……え?」

「無茶をするからだよ。自業自得だから、手当は後回しでいいかな」


 左腕が進んだ理由は刺さったからではない。人差し指から小指までの四本が相手の肉体に阻まれ、あらぬ方向へ折れ曲がったせいだ。

 実力差によるものであり、身体の強度がそれほどまでにかけ離れている。それだけのことだった。

 教祖は茫然と左手を眺めると、指はもはや使い物にならない。武器を握ることはおろか、握り拳を作ることさえ不可能だ。


「そうかい……。この感じ、昔を思い出すね。あむ」


 女は負傷した左手を眺めながら、微笑むように目を細める。

 その直後に、折れた人差し指を咥えるのだが、眼前の二人はその理由を汲み取れない。

 トライアは顔と左手を器用に動かし、とりあえずの修復を完了させる。想像を絶する痛みのはずだが、眉一つ動かさずに人差し指の向きを矯正したのだから、その光景はただただ異様だ。

 それゆえに、ウイルは茫然と、プルーシュは冷静にその光景を見守ってしまう。

 もっとも、彼女の劣勢が覆ったわけではない。

 中指、薬指、小指は折れたまま。耐え難い激痛が、女の額に大粒の汗を浮かばせる。

 一方で、英雄だけはすまし顔だ。


「時間を無駄にしたくない。このまま治維隊本部まで連行させてもらうよ。ウイル君は先に行って彼らに犯人逮捕を伝えてもらえないかな?」

「はい、わかりました。どうかお気をつ……」


 目的は果たされた。

 この騒動の目的は教祖の捕縛であり、女神教を完全に解体させるための最善手だ。

 プルーシュはウイルの先行を頼むも、その判断を嘲笑うように女が反撃に転ずる。


(甘いね。先ずは右目から!)


 自由に動く左腕とその先端の人差し指で、トライアは邪魔者の排除を試みる。

 体が丈夫であろうと眼球は例外だ。そう考え、宝石のようなその瞳に指を突き入れる。

 ウイルだけが二人を視界に捉えていたため、トライアの挙動にもいち早く気づくことが出来た。そうであろうと阻止することは叶わず、女の目論見は今度こそ実現するはずだった。


「なっ⁉ なんて……なんで!」


 ヒステリー気味な叫び声は、事実を否定したい証だ。

 なぜなら、損傷したのはまたも彼女の方だった。

 眼球に阻まれ、人差し指が反り返るように折れ曲がる。

 あまりに現実離れした結果に、トライアは今度こそ動揺を隠せない。


「あってたまるか! 何をしたの!」

「いや、何も? こんな言い方はしたくないのだけど、超越者を甘く見てもらっては困る。四英雄はね、生まれた時からこういう体をしている上に、それに飽き足らず死に物狂いで己を研磨する。才能だけじゃないんだよ、私達はね」


 プルーシュの発言もまた、非現実的だ。

 しかし、ウイルは誰よりも納得出来てしまう。生まれ持った才能を、つまりは本物の超越者と出会っているからだ。

 それがパオラであり、眼前の英雄も同種ということになる。


(この強さ、僕やエルさんとは明らかに異質……。間違いない、ハクアさんと同じ段階にいる……、本物の超越者だ)


 ウイルの感想は正しい。

 この英雄は人間の規格から逸脱している。その上、生まれ落ちた瞬間からそうなのだから、そこから血の滲むような努力を積み上げた場合、その強さは魔物すら畏怖するほどだ。

 イダンリネア王国における最強の防衛力が彼らであり、この国が存続出来ている最大の要因とも言えよう。

 ゆえに、この局面は揺らがない。

 才能も、努力も、覚悟も、背負っているものさえ敵わないのだから、接近を許した時点で女神教は幕引きだ。


「ぐぅ⁉ 腕! 腕が!」


 トライアが突然叫び出す。原因は顔の負傷でもなければ、左手の骨折ですらない。

 右腕だ。プルーシュの握力が、ついにトライアの肉と骨を砕いてしまう。


「すまないね。謝罪はするけどこの手は離さないよ。なんなら、四肢を折ってしまっても構わないとさえ思っている。左手はもう使い物にならないから、残るは脚だけだからね」


 この発言は本心だ。

 女神教という存在がどれほどの被害をもたらしたのか、治維隊を治めるギルバルド家は誰よりも把握している。

 元凶に慈悲など与えるつもりなどなく、英雄は掴んだ腕を決して手放そうとはしない。


「そ、そうかい、だったら! 足掻き続けるまでさ!」


 この女は絶望の中でも敗北を認めない。

 握ることさえ出来ない左手で、中世的な顔を何度も何度も殴り続ける。

 当然ながら、プルーシュは痛くも痒くもない。仮に教祖が万全の状態で打撃を繰り出そうと、結果は同じだ。

 一方、トライアの左手は親指以外がさらに折れ曲がり、ひしゃげた骨が皮膚を突き破ってしまう。


「見かねた精神力だ。それとも、追い込まれたがゆえの錯乱かな?」

「底辺なりに! 気合入れて! 必死に生きてるだけさ! はぁ、だけど、このままじゃどうにもならないようだね……」


 言い終えるよりも先に、女は左腕を引っ込める。殴る側がその度に負傷するのだから、方針の転換が必要だった。

 肩で息をする教祖の姿は、誰の目からも敗北者そのものゆえ、ウイルもそう思い込んでしまう。


(やっと諦めてくれた。プルーシュ様が駆けつけてくれなかったら、僕は今頃……)


 殺されていた。その可能性を考えると背筋が凍ってしまう。

 実は、寒気の原因はそれだけではない。

 その正体は、今まさに提示される。


「その手を離さないのなら、こっちにも考えがある。いいかい? これは警告だよ。私が何をしようとしているのか、ガキの方は気づいてるだろう? この優男に教えてやったらどうだい? 今すぐ離せ、ってね」


 この発言が、ウイルに思い出させる。

 ここがどこかを。

 戦っている相手の戦闘系統を。

 そして、拘束中であろうとそれが可能だということを。


「まさか、町の人達を人質に……。インフェルノを……」

「そういうことさ! おい! さっさと離しな! さもないと……」


 超越者が参戦したことで戦況は好転したが、一方で変わらない事実も存在する。

 トライアがその魔法を唱えれば、周囲はあっという間に火の海だ。その結果、何十人もの民が焼け死んでしまう。

 教祖の匙加減一つで、多数の人間が死ぬという事実。

 ゆえにプルーシュの取れる選択は多くはないのだが、女性のような顔立ちはそれでもなお眉一つ動かさない。


「出来るものならしてみればいい。先に教えておくが、後悔するのはあなたの方だ」

「あんた馬鹿かい⁉ 王国の人間が何人死のうと知ったこっちゃない! むしろ、それを望む側なんだよ! 私達はぁ!」


 啖呵を切るように叫んだ時だった。赤いローブがぼんやりと輝きだす。光の中から大小様々な泡が生まれては破裂しており、これが何を意味するのか、本人に問いただすまでもない。


(やばい! 撃ち込まれる!)


 ウイルは後ずさる。トライアが恐ろしいからではなく、これから起こる大惨事に恐怖心を抱いた結果だ。

 魔法の詠唱が開始されてしまった。

 その上、その時間は一秒を越えてなお継続している。

 これが何を意味するのか、傭兵なら即座に把握可能だ。

 魔法はその種類ごとに詠唱時間が異なる。

 下位の攻撃魔法なら、きっかり一秒。

 対して、上位の魔法なら四秒の溜めが必要だ。

 ゆえに、嘘でもハッタリでもなく、教祖は今からインフェルノをここで使うのだろう。

 標的はウイル達かもしれない。

 もしくは左右どちらかの住宅街かもしれない。

 何にせよ、この辺りはあっという間に焼け野原だ。死傷数は一人や二人では済まない。

 十人前後か?

 二十人を上回るかもしれない。

 それほどの規模を殺せてしまえる魔法。それが範囲攻撃魔法であり、インフェルノはその内の一つだ。

 女は叫ぶ。本日、二度目の花火が打ちあがるだから、感情の昂ぶりは最高潮だ。


「インフェルノォ! 燃えてしま……」


 四秒という準備期間をえて、魔源の消耗と引き換えに神秘が具現化する。

 今回の場合、巨大な火柱が出現した直後に、そこを起点として周辺が業火に飲み込まれるはずだった。

 そう。阻止された。

 発現の寸前だった。彼女の集中力が途切れてしまう。

 その理由は絶叫を伴うほどの苦痛だ。もはや立つことは叶わない。左足が、曲がってはならない方向へ大きく歪んでしまっている。

 ただただ単純に、蹴られただけだった。

 プルーシュは凶行を阻止するため、眼下の足をローブ越しに破壊する。

 目論見通り、インフェルノを中断することが出来た。

 その上、この女はもはや歩けない。そういう意味では一石二鳥の攻撃と言えよう。

 もはや拘束さえ不要だ。英雄は敗者を見下しながら、その腕を手放す。


「無駄な抵抗さえしなければ、後できちんと手当するよ。さすがの私も、巨人族ほど冷徹ではないからね」

「あああああ! くそ! くそ! なんて馬鹿力!」


 赤いローブを砂利で汚しながら、トライアは歯を食いしばって苛立つ。

 猫のように地面へ体をこすりつけるも、当然ながら遊んでいるわけではない。右腕、左手、右足が破壊されたのだから、脳に届く痛みの波は精神を蝕むほどだ。

 自業自得と言えばそれまでなのだろう。それをわかっているからこそ、プルーシュは挑発するように語りかける。


「馬鹿馬鹿うるさいな。確かにあなたは、女神教を立て直せるほどには賢いのだろう。人々の不安な気持ちに入り込んで、価値観や人生観さえもコントロールする。地頭の良さだけで人心掌握を実現しているのか、どこかで習ったのかまではわからないけども、まぁ、恐れ入るよ。だけどね……」


 英雄は一旦口を閉じる。

 足元の女は苦しそうにもがいており、他人の言葉に耳を傾けている場合ではない。単なる骨折ではなく、超越者の暴力によって砕かれたのだから、骨や筋線維は修復不可能なレベルでズタズタだ。

 それでもなお、同情の余地などない。断罪するように、プルーシュは言い渡す。


「抵抗するのなら、こちらとしても容赦はしない。もちろん、本気を出すような真似はしないから、その点だけは安心してくれて構わないよ。子供をあやすように扱うと約束しよう。だけど、ね……。あなたは余りにも、もろい。殺さなずに済むギリギリの線を探らなければならないのだから、こちらの気苦労も知って欲しいな」

「……は? あんた、私のことを馬鹿にしてる?」


 圧倒的な強者からの懇願が、彼女の闘志に火をつける。

 おまえが弱いから、手加減が大変だ。そう言われたのだから、トライアの脳は奮い立ち、地を這いながらも英雄を睨みつける。


「馬鹿にはしていないよ。ただ、現状が示す通り、私とあなたの力関係が、これだ。悔しかったら、立ち上がってみるといい。身長の差で私の方が少しだけ高いけど、それくらいは大目に見よう」


 プルーシュは教祖を蔑んでいる。

 女神教がもたらした国益の損害。

 死傷した国民の数。

 どちらも無視出来ない規模だ。ましてや、今日だけでも十人以上の死人が確認されており、先の貧困街における倒壊事件でもやはりそれに近い人数の子供達が息を引き取った。

 この女を許せるはずもない。

 英雄としても、一個人としても、プルーシュは腹の底から怒っており、冷静さを失うほどではないが口調は自然と荒くなる。

 そういった背景があろうと、ましてや自身が諸悪の根源だと自覚していようと、この女は悪を貫く。売られた喧嘩を買うために、震えながらも右足だけで立ち上がってみせた。


「あんた、後悔するよ」

「見上げた根性だ。次はどうするんだい? 片足で無様に逃げる? ぴょんぴょん、ぴょんぴょんって草原ウサギのように。だったら私は傭兵を演じよう。まさに私達のようだね」

「ふざ……!」


 ふざけるな。その言葉さえも怒りが遮ってしまう。

 同時に、トライアの全身が発光を開始する。インフェルノが再詠唱された合図だ。


「はぁ……」


 プルーシュのため息には様々な意味が込められている。

 諦めの悪さに辟易したため。

 無駄な足掻きに対処しなければならないため。

 そして、集中力を途切れさせる程度には痛めつけなければならないのだから、面倒だと思わずにはいられなかった。


(一秒経過、仕方ない)


 英雄は腹をくくる。今回の魔法もまた、通常の攻撃魔法でないことが確定した。

 ならば、インフェルノで間違いない。

 この女は腹いせに何十人もの王国民を焼き殺そうとしている。

 決して見過ごせない悪意だ。

 ゆえに、プルーシュは拳を握り、女の腹部にめり込ませる。


「あぐっ!」


 体に穴が空いたと錯覚するほどには激痛だ。内臓は暴れ、横隔膜に至ってはグンと持ちあがり肺を圧迫してしまう。

 ゆえに、息が出来ない。

 体の中で何かが逆流しており、彼女の喉をあっという間に通過する。

 トライアが膝から崩れると同時だった。地面に真っ赤な水たまりを作ってしまう。

 常軌を逸した吐血だ。体重が何割か軽くなってしまったのではないか? そう思えるほどには、彼女の口から多量の血液があふれ出てしまった。


「がはっ! はぁ……、はぁ……。どうやら、この戦い……、私の勝ちのようね」

「ふん、こうして魔法すら阻止されていると言うのに、どこが勝ちなんだい? なぁ、ウイル君」

「え、ええ、そうですね。だけど、その、これはヤバい……です。非常に……」


 実は、プルーシュだけが状況を飲み込めていない。

 正しくは、狂人の暴走を見抜けていない。


「それはいったい……」

「こういうことだよ!」


 敵の眼前でありながら、英雄は平然と余所見をする。隣のウイルに視線を向けることは本来ならば悪手だが、圧倒的な実力差がそれを許可してくれる。

 それを隙と捉えるか否かは当人次第だが、教祖は汚れた口元を拭うことすらせず、ゆっくりと右足だけで立ち上がる。

 そして、再び詠唱を開始する。


「懲りないね」


 プルーシュがつまらなそうに瞳を細めた時には、対応は完了だ。

 魔法がトライアの自覚無しに中断させられる。

 困惑は当然だ。


(何を、された?)


 何が起きた?

 たったそれだけのことが、今はわからない。

 理解出来ていることは一つ、方向性の異なる痛みが口の中を駆け巡っている。


(まさか……!)


 左手を口に当てがった時だった。


「前歯が! いつの間に!」


 上段の前歯が二本、そこにいない。

 無理やり抜き取られた結果だ。犯人はもちろん目の前の英雄であり、その証拠に引き抜いたままの状態で尖った歯を二本掴んでいる。

 ただただ単純に、感知されない速さで抜いただけだ。

 へし折るように。

 えぐるように。

 グイとずらせば簡単に取り外せてしまった。

 そうであると主張するように、プルーシュの表情は普段通りだ。


「ここにあるよ」

「返せって言ったら、返してくれるのかい?」

「まさか」


 英雄は顔色一つ変えずに力を籠める。

 その結果、前歯はドライフラワーのように潰され、カルシウムの粉へ変貌する。

 目を疑う光景だ。

 瀕死の女が平然とする一方で、ウイルだけが手の震えを抑えられない。


(僕が手も足も出なかったのに、ここまで手玉にとれるなんて……。これが、才能の違いなのか)


 落ち込みたくはないのだが、気分はどうしても下降してしまう。

 経験不足ではないはずだが、強者と相対した際に見せつけられる力量差。

 この感情の正体を少年は知っている。

 挫折。

 焦り。

 そして、嫉妬。

 それらを噛みしめながら、今は静観を選ぶ。

 対照的に、戦闘中の二人は黙らない。教祖に至っては、血を吐きながらも悪態をつく。


「殺してやる。あんた達の守りたいものを!」

「女神にそう言われたのかな?」

「はん! 私の意志……、いや、私達の責務さ!」


 赤いローブと、砕けた地面を血で染めながら、女はまたも詠唱を開始する。

 それしか残された選択肢がないのだから、徹底抗戦は必然だ。


「わからないね」


 理解も共感も出来ない。プルーシュは吐き捨てると同時に、トライアの顔面を殴り飛ばす。

 その威力は人間一人を道路に叩きつけるほどだ。女の鼻骨は無残にも砕かれ、頭蓋骨自体にも亀裂が走ってしまう。

 致命傷のはずだ。立てるか否か以前に、意識が保てるはずもない。

 それでも教祖は憑りつかれたように、左手と右足だけで起き上がってみせる。

 その姿はあまりに痛々しい。

 そうであろうとお構いなしに、英雄は疑問点をぶつける。


「もしかしてだけど、教祖なのに女神を、神を信じていないのかい?」

「当然……だろう。そんなもん、この世界にはいやしない……よ」


 話すことさえしんどいのだろう。口の動きは最小限、瞳の輝きも消え去りそうだ。


「なるほど、女神教はあくまでも手段か。まったく、末恐ろしいね。ところでさ、あなたのバックにはどういった組織がいるのかな? せめてそれくらいは教え……」

「だま……りな。あんたらは……一方的に殺されるだけの……、矮小な存在……だ。前のように……は、いかない」

「前?」


 残念ながら質疑応答は中断され、殺し合いが再開される。

 彼女の殺意は本物だ。そうであると主張するように、赤いローブが魔力の揺らぎに釣られてざわつきだす。

 飽きもせず、インフェルノによる大火災を目論むこの女に対し、プルーシュはいよいよ話し合いを放棄する。

 リミットはたったの四秒。一秒も無駄に出来ないのだから、英雄は間髪入れず右腕を持ち上げ、トライアの首に伸ばす。


「ぐ、うぐぐ……」

「終わりにしよう」


 絞めて意識を奪う。そういう算段だ。

 強過ぎると殺してしまう。

 弱いと集中力が途切れず、魔法が発動してしまう。

 難しい舵取りと言えよう。

 猶予も残りわずかなことから、英雄は右腕に力を籠める。

 首の骨が折れそうだ。

 喉が潰れ、肉が爆ぜそうだ。

 それほどに強く絞めながらも、彼らは今日一番の焦りを見せる。


「プルーシュ様!」

「ちぃ」


 ウイルの声が裏返るほどの事態だ。

 なぜなら、トライアの詠唱が止まらない。死にかけながらも魔力の光をまとい続けているのだから、その精神力はもはや異常だ。

 ゆえに、別の手段を講じる。プルーシュは相手の首を絞めながらも、右足を破壊するため即座に蹴り折る。

 彼女の四肢はこれで全損だ。その痛みがギリギリのタイミングで詠唱を中断させるも、ウイル達は恐怖心を拭えない。


(一秒も残ってなかった……。はぁ、危なかった)

(ギリギリの攻防を続けていたら、インフェルノがいつ放たれても不思議ではない。確実に阻止するとなると、この女を殺しかねない……。そ、そういうことか!)


 トライアが足元で悶え苦しむ中、英雄はついに教祖の思惑を見抜く。


「ウイル君、急いで治維隊を呼んできてくれ!」

「は、はい!」


 遅すぎる指示だと自覚しながらも、今はこうする他ない。

 一刻も早く治療し、その上で気絶させ、逮捕、拘束する。そのためには治維隊という専門家の協力が必要なため、ウイルを走らせる必要があった。

 そういった目論見を嘲笑うように、地べたの女が光り出す。


「はは……。イン……フェルノ」

「くっ……」


 魔法の詠唱はどんな体勢でも可能だ。

 直立であろうと。

 走っていようと。

 そして、寝転がっていようと、対象を認識出来てさえいれば攻撃魔法は発射される。

 トライアの攻撃地点は、どこでも構わない。

 眼前の石畳だろうと。

 道沿いの壁であろうと。

 それこそ、憎たらしい英雄でも問題ない。

 インフェルノはそこに炎の柱を出現させ、それが爆ぜるように周囲を燃やし尽くす。住宅街の石壁なら、余波でなぎ倒すことが可能だ。その先の家屋も人間も、あっという間に焼き払えてしまう。

 上位攻撃魔法は伊達ではない。そのことを誰よりも理解しているからこそ、教祖は死にかけながら笑みをこぼせる。


(こいつ……!)


 死なない程度に痛めつけたい。その理由は、犯人から様々な情報を引き出したいからだ。

 この手加減が今回は裏目に出てしまっている。

 そして、利用されている。

 トライアは超越者の実力を把握した時点で覚悟を決めた。

 もはや、逃げられない。

 ならば、やるべきことは明白だった。

 一人でも多くの王国民を道連れにする。

 インフェルノはそのための最善手だ。


「甘く見るな!」


 追い詰めたつもりが、追い詰められていた。そう気づかされた以上、プルーシュの拳にも力が入る。

 地面を叩くように、女のわき腹を殴りつける。

 多数の肋骨を粉砕したばかりか、内側の臓器すらも損壊させたのだから、今回の勝者も英雄だ。

 それでも、プルーシュの背中は多量の汗で濡れてしまう。

 たった一度の失敗も許されない。その重責と困難さは、思考を乱すには十分だ。

 次も阻止出来るのか?

 次で失敗してしまうのでは?

 そういった負の可能性を抱きながら、今は静かに敗者を見下ろす。

 もはや起き上がれない、無残な女。

 自由に動く部位は左腕だけ。それすらも指が四本折れているのだから、使い物にはならない。

 全身は痙攣し、首を動かす余力すら残っていない。

 悲鳴をあげることも、痛がる素振りすらも不可能だ。

 次の瞬間に息絶えるのではないか? 外見からはそう思うしかない。

 そのような勘違いを否定するように、トライアの体からまたも魔力の泡が舞い上がる。

 この光景が、英雄に息を飲ませる。

 どこを痛めつければ、意識を奪えるのか?

 殺さずに済むのか?

 皆目見当がつかないのだから、焦りばかりが募ってしまう。

 しかし、猶予はたったの四秒間だけ。わずかに迷っただけでも過ぎ去ってしまう秒数だ。

 八つ当たりのような暴挙を阻止するためにも。

 愛すべき国民を守るためにも。

 プルーシュの右足が白髪の頭を踏み抜く。

 その結果、トライアの頭部が道路にめり込むも、英雄は別の意味で後悔する。


(止められたけど、殺してしまった……か?)


 もちろん、加減はした。

 そうであろうと頭蓋骨は軋み、道が陥没するほどの圧力だ。

 無事であるはずもない。

 それどころか、即死が妥当だろう。

 そのはずだった。


「ババア……、私……最後……まで……、戦った……」

「ひぃ!」


 今にも消え去りそうな声。その正体は、達成感と敗北感、そして、恨みから生まれた遺言だ。

 一方、勝者は乙女のような悲鳴をあげてしまう。死体が口をきいたのだから、恐怖して当然だ。

 ましてや、魔法の詠唱が再び始まったのだから、プルーシュはついに混乱してしまう。

 それでも、勝者はこの英雄だ。

 魔力の光が、詠唱半ばで潰えてしまう。

 集中力が途切れたからではない。

 魔源が尽きたわけでもない。

 命自体が停止したのだから、魔法を唱えることなど不可能だ。

 教祖だったそれは、自身とローブを血で染めながら、もう動かない。

 動けるはずもない。

 体の至るところが破壊され、見えない内側も同様だ。

 偽物の教祖は討たれた。

 女神教が終わりを迎えた。

 喜ばしい状況のはずだが、プルーシュは肩を落として震えてしまう。

 達成感など、ありはしない。

 悪寒と畏怖、なにより自責の念に苛まれる。

 この敵は何だったのだ?

 もっとうまく立ち振る舞えたはずだ。

 そういった感情に支配されながら、プルーシュは棒立ちのまま死体を眺める。

 騒音が止んだ夜の住宅街。

 案山子のような人間と、壊れ尽くした死体。

 どちらも動かない。

 動けるはずもない。

 不気味な静寂が両者を包むも、多数の足音が駆けつけたことで時間は動き出す。


「プルーシュ様、お待たせしました。あ……」


 第一声はウイルだ。

 後方に複数の大人達を従えており、彼らは屋敷を包囲していた治維隊の一部だ。


「プルーシュ様、話はこいつから聞いております。う、これほどの戦いが……」


 黄色い髪の男が小さな傭兵を追い越すも、死体の惨たらしさに息を飲む。

 ビンセント。治維隊の隊長だ。彼もまた、つい先ほどまで己を責め続けていた。部下を死なせてしまったのだから無理もない。


「殺すしか……なかった。殺してしまった。こんなのは勝ちとは言えないよ。私の完敗だ」


 動機や背景を調べるため、本来ならばこの女を生きたまま捕らえたかった。

 そのために直属の組織でもある治維隊を動かした。

 信頼の置ける傭兵にも助力を仰いだ。

 しかし、結果はこれだ。

 唯一の救いは市民に被害が出なかったことくらいか。

 それでも喜べない理由は、治維隊に死傷者が出てしまったからだ。

 その上、教祖は死体に成り下がった以上、調査はこれで打ち切りだ。

 プルーシュがひどく落ち込む中、少年は慰めるように本心を述べる。


「いいえ。プルーシュ様の、僕達の勝ちです。こうして国外への逃亡を阻止出来た上、女神教も今日限りで解散なんですから。信者が潜伏している可能性はありますけど、崇拝の対象がいなくなったのですから、自然消滅は間違いありません」

「だけど、教祖からは何も聞き出せなかった……」

「そ、そうかもしれませんけど、それでも、収穫はゼロじゃないと思っています」


 自信なさげにウイルはそう言うと、英雄や治維隊の視線を浴びながら、小さく息を整える。

 確証はない。

 断言も出来ない。

 それでも、情報を整理するように持論を述べる。


「口ぶりから、教祖は王国の外からやって来たようです。それと、最初はルルーブ港とかシイダン村出身を予想しましたが、今の僕の考えは違います」

「おいおい、どういうことだ? そこら辺以外ってなると、もっと南ってことか? 後はヨーク村しかねーぞ」


 ビンセントが横槍を入れるように喰いつくも、無理もない。少年の言い回しがあまりにも不可解過ぎた。

 このタイミングで、英雄はある程度冷静さを取り戻す。議論を続けても良かったのだが、話の続きがあまりに危険だと気づけた以上、遮らずにはいられなかった。


「今日はここまでにしよう。ビンセント、部下を失ったこと、ここに謝罪する」

「い、いえ! 責任は私にあります! プルーシュ様のせいではございません!」

「いいか、自分を責めるな。今回の作戦には私も参加したのだから、最高責任者の私にこそ非がある。そのこと、決して忘れないように」

「は、はい!」

「この死体の後始末も、よろしく頼む。報告書の提出については、私の方から追って連絡するまで後回しで構わない。それまでは任務に専念してくれ」

「かしこまりました!」


 解散だ。

 夜も遅いため、ウイルは子供らしく帰路に就く。大人達は残業中ゆえ、そういう意味では後ろ髪を引かれるも、それよりも疲労が勝ってしまった。

 今日という一日が間もなく終わる。

 昼間は聖女を名乗る信者と殺し合い、夜は教祖に殺されかけた。

 疲れて当然だ。精神的にも、肉体的にも睡眠を欲している。


(結局、あの人の名前すらわからずじまいだったけど……)


 夜道を歩く。

 一人で歩く。

 ここは城下町の西部ゆえ、我が家は遥か彼方だ。

 走っても良いのだが、今はなぜか歩きたい。

 大通りを東に向かい、中央広場に着いたら左折。本来は真っ暗闇でなければならないこの場所も、街灯のおかげでこれっぽっちも寂しくない。

 ましてや、目的地には家族が待っている。パオラは寝ている時間帯だが、従者や両親は起きているだろう。

 回復魔法で傷は癒えたが、顔も服もぼろぼろだ。ただ汚れたわけではなく、血だらけなのだから驚かせてしまうかもしれない。

 実力不足だった。

 今日の反省点はこれに集約される。

 聖女には勝てた。

 教祖には勝てなかった。

 それでも生き延びたのだから、弱肉強食のルールに従うのであれば、負けではないのかもしれない。

 そう自分に言い聞かせれば、気持ちも幾分か楽になる。

 それをわかった上で、この少年は事実を真正面から受け止める。

 足りないのなら、精進あるのみだ。

 この考えを四年間貫いてきたからこそ、今がある。それをわかっているのだから、悩みながらも前だけを向ける。

 そう考えられる理由こそが、エルディアだ。今は隣にいない相棒だが、傭兵として三年近くも共に過ごしたのだから、顔も声も思い出せる。

 会いたい。そう願ったところで叶わない。

 ここはイダンリネア王国で、彼女は今、魔女の里に身を寄せている。

 あまりに遠い。ジレット大森林のさらに向こう側ゆえ、何週間もかかる道のりだ。

 それでも傭兵ならば、その時間をいくらでも圧縮出来る。

 ウイルほどの実力者なら、翌日には到着可能だろう。

 遠いようで近い。

 しかし、離れていることには変わりない。

 それゆえに、頼れない。

 甘えられない。

 強くなりたいと願ったところで、自力で何とかしなければならない。

 実は、それは誤りだ。ウイルも既に気がついている。

 草原を越えて。

 森をいくつも越えて。

 沼地すらも走り抜け。

 山を登れば到着だ。

 会える。

 いつでも会える。

 遠いだけで、この少年なら会いに行ける。

 本来ならば不可能だ。

 この世界には魔物がひしめいている。安全な場所は王国の中だけゆえ、遠征は自殺行為に他ならない。

 それでも問題ない人種が、傭兵だ。

 魔物を倒す。その一点に特化した彼らなら、広大な大陸を自由に走り回れる。

 コンティティ大陸。そう名付けられたこの地は、そのほとんどが巨人族の支配下だ。

 ゆえに解明されている範囲は東側のほんの一部だと言われており、最東部だけが人間の縄張りになっている。

 軍人が巨人達の侵攻を退けているからこそ、王国の民は平和な日常を享受出来ており、その恩恵は南方の村々も同様だ。

 しかし、例外もまた、存在している。

 ウイルはそれを知る、数少ない人間だ。


(確信はないけど、きっと間違いない。教祖の正体は……、あの人の後ろにいる連中の正体は……)


 排除。

 迫害。

 歴史の闇に葬り去られた彼女らを、王国の民はこう呼んでいる。

 魔女。人間を模倣した魔物。

 その正体が魔眼を宿しただけの女性だと、少年は声高々に叫びたい。



 ◆



 無点灯の室内は、当然ながら真っ暗だ。

 レイアウトはおろか、家具の位置さえ部外者には把握出来ない。

 それでもなお、一目でわかることがある。

 部屋の中心に座る、暗闇よりも黒い闇。

 正体まではわからずとも、そこに誰かがいることだけは認識出来てしまう。

 正座だからか、背中は酷く曲がっている。

 白髪交じりの黒髪は、彼女を覆うほどのボリュームだ。

 石像のように動かない。

 代わりに、しわだらけの顔に新たなしわを作りながら、黒い息を吐きだす。


「トライアが死におった。確か、まだ四十もそこらじゃったかのう。王国に殺されたと考えるのが妥当なところか。若いのに情けない」


 静かに笑う。

 同胞との別れに涙するほど、この老婆は弱くない。それどころか追い出した張本人なのだから、その不甲斐なさを嘲笑せずにはいられなかった。


「あやつは目無しな上に育ちも悪かったからのう。無能なりに悪知恵だけは働く阿呆じゃったから、ダメ元で王国に向かわせたが……。無駄死にか、つまらん」


 カカカと笑う。

 戦力にならない人材など、使い捨てたところで胸は痛まない。

 むしろ食い扶持が減るのだから、口減らしが出来たと開き直る。


「まぁ、よい。戦力は整いつつある」


 時間はいくらでもある。

 何十年だろうと。

 何百年だろうと。

 待ち続けることが可能だ。

 そのはずだが、老婆は静かに笑みを浮かべる。

 間もなくだ。待ちわびた時が、そう遠くないと見抜いている。


「先ずは王国から落とす。後ろから刺されたくはないからのう」


 長い年月を、そのための準備に費やしてきた。悲願はその先にあるのだが、兵隊蟻が知る由もない。

 真の目的成就のため、目先の標的はイダンリネア王国。

 十五年前は後れを取ったが、勝てないことは初めからわかっていた。

 それでも揺らがない自信を胸に、今は傍観を続ける。


「もう少しだけ、お待ちくだされ。今度は私が、真っ赤な花を咲かせてみせましょう」


 誰にも聞かれない独り言。月明りすら届かない室内で、闇色の老婆が天を見上げる。


「美しい髪を撫でながら。氷のような顔に触れながら。再会を祝うように殺し合いましょう」


 復讐と羨望。相いれないはずの感情を混ぜ合わせながら、その時をただただ待ちわびる。

 壊れた心は、元には戻らない。

 それでも望まずにはいられなかった。

 血液よりも真っ赤な、長い髪。返り血の化粧で華やかさを増しながら、踊るように二人と一人を殺める。

 美しい。心の底から、そう思えてしまった。

 老婆の瞳が闇色を宿す。黒目の内側には赤い線が走っており、その両端が繋がることで新円が出来上がる。

 部下が死のうと、王国が邪魔しようと、この女は止まらない。

 魔眼が見ている人間は一人だけ。そこに向かって、歩みを進めるだけだ。

 ここは大陸のどこかに存在する集落。

 誰にも知られていない、彼女らだけの集落。

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