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第8話:朱い霧の巨人
ロンドンの中心部へ近づくほど、街は「死」を超越した異様な光景へと変貌している。
かつて石造りだった建物や石畳は、「リジェクター(拒絶種)」と呼ばれるストリエイターの繊維に侵食され、血管のような脈動を繰り返す肉の壁へと成り果てていた。
「……っ、うあ……」
アランは壁に手をつき、溢れそうになる嘔吐感を堪えた。
壁に触れるたび、リジェクターが「異物」を排除しようと微かに震え、生物的な嫌悪感を伴う熱が伝わってくる。
そこから排出されるのは、視界を毒々しく染め、肺を焼くような「朱い霧」だ。
濡れたカラスの羽のように長い黒髪が、朱に染まった霧を吸って重く垂れ、白磁の肩の上で不気味な光沢を放っている。
整いすぎた鼻筋と、陶器のように滑らかな肌。
その神罰のような美貌は、地獄と化したこの街で、そこだけ時が止まっているかのような錯覚を抱かせた。
だが、その右腕は対照的に醜悪な黒金色の輝きを放っている。
かつて、父エドワード・ヒューストンによって行われた、ウイルスの純度を高めるための非道な実験。
アランは人間としての成長を奪われた代わりに、純粋な「黒」をその身に宿された。
(エドワード……。お前は俺を『最高傑作』と呼んだ。でも、俺にとっては、ただの呪いなんだ)
その時、前方を進んでいた「鉄の外套(アイアン・コート)」が、悲鳴のような制動音を上げて停止した。
ズシン……、ズシン……。
地面を揺らす不穏な地響きが、朱い霧の向こうから迫っていた。
現れたのは、悪夢を形にしたような巨躯――「バンチャー(縒り手)」だ。
それは、他のストリエイターを無差別に捕食し、その肉体と繊維を取り込み続けた結果、数メートルを超える巨体へと膨れ上がった、巨大な朱い繊維の塊だった。
人型を保ってはいるものの、その体表は剥き出しの筋繊維が生き物のようにのたうち回り、縒り合わさっている。
そこには顔も意志もなく、ただ尽きることのない飢餓感だけが、その身を突き動かしていた。
「怯むな! 砲撃準備ッ!」
カトリーヌが鋭い号令を下すが、バンチャーの動きは巨大な質量に反して迅速だった。
巨人が丸太のような腕を横になぎ払う。ただの一振り。
ガシャァァァンッ!!
数トンはあるはずの装甲車が、紙細工のように宙を舞い、石畳の上で横転した。
鋼鉄の装甲がひしゃげ、火花と油が飛び散る。
中にいた兵士たちの悲鳴は、バンチャーの腹の底から響く咆哮にかき消された。
「なっ……!?」
流石のカトリーヌも、その圧倒的な破壊力を前に目を見張る。
リジェクターが吐き出す朱い霧が彼女の視界を奪い、バンチャーの次なる一撃が、逃げ場のない彼女の頭上へ迫った。
(まずい……ッ!)
アランは反射的に、隠れていた影から地を蹴って飛び出していた。
右腕の黒金色の筋繊維が爆発的に脈動し、アランの細い体躯とは裏腹な、暴力的なまでの「黒」を解放する。
黒い一撃が、振り下ろされたバンチャーの豪腕と正面から衝突した。
ドゴォォッ!!
刹那、爆風のような衝撃波が衝突点から吹き荒れる。
引き千切られて舞う朱い繊維。衝撃に激しくなびく長い黒髪。
カトリーヌは、目の前に現れた「あまりに美しく、そしてあまりに化け物じみた少年」を、信じられないものを見るような目で見つめた。
その少年の背中は、ひどく華奢で、今にも折れてしまいそうなほど儚い。
「あんた……、何者だい」
アランは肩で荒く息をしながら、冷たい瞳で彼女を一瞥した。
その瞳の奥には、美少年の面影を塗り潰すような、暗く激しい殺意が宿っている。
「……説明してる暇はない。コイツをなんとかするぞ!」