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日常
息苦しい地下室に閉じ込められた二人は困惑していた。その犯人の男によると、体の関係を持つまで返さないらしい。パローマは先刻まで絶対に嫌だと断り続けていたものの、銃口がエキドナに向いた途端、すぐに声を上げた。 「分かった。やればいいんでしょ」
手脚の拘束を解かれると、蛇が獲物を締め付けるようにパローマが男に体を寄せた。そして二人は舌を絡めて、徐々に服を脱がしてゆく。露出された胸は若々しく、筋肉質で色気のある脚は長く伸びていた。男は息を荒くしながらパローマを押し倒し、腰を動かす。その様子を、エキドナは息を止めて眺めていた。手脚を拘束され、その場で叫ぶことも出来ない。恋人が見知らぬ男に犯される瞬間を、その眼で見なければならなかったのだ。
今まで経験したことのない怒りが、ふつふつと胸から溢れ出す。硬く握られた拳からは血が流れ、低い唸り声を上げた。その様子を尻目に、パローマは愉快そうに口角を吊り上げる。時間が経つにつれて、ゾクゾクと経験したことない興奮が昇ってきた。今、恋人が怒りのあまり牙を剥き出している。この男に対する殺意と嫉妬に狂わされているのだ。そう考えるだけで、意識を失うほどにクラクラする。既に彼女は自分の上で涎を垂らしながら腰を振る男に、興味など無かった。
全て終わると、パローマは浴室でナカのものを全て洗い流してシャワーを浴びた。熱いのか冷たいのか分からない水で髪の毛を洗いながら、ピンと立った耳を撫でる。ベタベタになった尻尾も綺麗にして、そのまま出ようと扉を開けたとき、何やら耳を劈くような音が響き渡る。疑問に思い、そのまま出口へと駆け出す。そして驚愕した。
「アンタがやったの……? コイツら」
血で薄汚れた地面に、大の字で狼たちが倒れている。泡を吹き出して顔を青くしている者も居れば、それ以上に酷い者たちも倒れていた。エキドナは不機嫌そうに舌打ちして、黙って出口の向こうへ進む。パローマは申し訳なさそうに後をついて行った。街灯で照らされる夜道をヨロヨロと歩き、空に浮かぶ月をチラチラ眺めながら家までの道を歩く。エキドナの表情は、まだ不機嫌そうである。流石に耐えられない、とパローマが一歩踏み出した。
「大丈夫だよー、だってウチ……いつも男と戯れているし一度くらいじゃくたばらないから〜」
と、背中を押してニコニコと人懐っこい笑みを浮かべてみせた。すると、急に何も言わずにベンチの前で立ち止まる。気にかけて、パローマが顔を覗き込むと、その眼には涙が浮かんでいた。
「私とする時より十倍楽しそうにしてた」
「そんなことない。ただ──怒ってるエキドナが可愛くて、つい調子に乗っちゃっただけ」
苦笑を薄ら浮かべて、エキドナの涙をハンカチで拭った。悔しそうに歯を食いしばる姿を見て、また愛おしさを感じながらも必死に堪える。もし彼女のことを裏切ったら怒るだろうか……? そんな疑問を浮かべては眼の奥に焔を宿す。すると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。その声に聞こえる方へ二人で進むと、相変わらず赤紫色に煌めく鱗が見える。
「申し訳ありません。生憎、その日は用事があってー……」
どうにか会話を終わらせて、その場から立ち去りたくてたまらないエヴァンである。数分ほど必死に会話を切り捨てようと頑張り、何とかその場から逃げ切ると、隣にはパローマとエキドナがちょこんと立っている。エヴァンは深い溜息をついて、肩を落としたと思えば咳払いをして低い声に戻した。
「お前ら、深夜に二人で出歩くなんて珍しいな。締めつけられたのか? 痕が残ってる」
指の差された先はエキドナの腕だ。虫の這ったような痕がしっかりと残っている。パローマは腕を掴むと、ジッと見つめて鼻先に皺を寄せた。
「あのクソ野郎にやられちまったね、説明してやろうか。ウチらが二人で仲良く帰ってたら睡眠薬ぶち込まれて、地下室に拘束されてたのよ。ヤッたら返してくれるって。それでウチがハイハイと体を貸してやったってわけ。今も気持ち悪くて最悪」
「また殺したのか」
「ウチじゃないよ。仕事みたいなもんだし」
「その仕事を辞めろっての」エキドナが口を挟んだ。
「あのねぇ、ウチはこうやって色んな男と夜を過ごした結果、金が貰えてここに居る。サーフィーもそうだろ?」
エヴァンを睥睨する。それに呆れたように眼を伏せて、家の方へ黙って向いた。
「紅茶でも淹れよう。寒い中、外で立ち話するものではない」
「なら、お邪魔しようかな〜」
気分が乗ったのか、パローマが尻尾を振りながらエヴァンの後を追いかける。遅れたエキドナは、一人である疑問を浮かべていた。
──先刻、話していた相手は誰だ……
見覚えのある顔、大きくて体格のいい男で、暗闇に隠れてはいたが鋭い獣のような眼差しに懐かしさを感じていた。
人通りの少ない道を歩き、やっと門の前へ辿り着くと屋敷へと帰ってきた。そして、重い扉を押し開ける。そこには、赤い絨毯の上で眠るクルルが居た。待ちくたびれたのだろう。
「可哀想なクルルちゃん。絨毯の上で倒れてるよー?」
パローマがクルルの髪をそっと撫でた。鼻をピクリと動かしながら寝息を立てている。その光景を唖然として眺め、エヴァンは額に手を当てた。
「悪いことをした。ベッドに運んでくる」
「はーい」
クルルを丁寧に持ち上げて、階段へと駆け出すエヴァンを見送ると、靴を脱いで部屋へと向かう。暖炉の前には椅子が四つほど並べられており、読みかけの本が一冊だけ置かれている。周囲には論文や医療雑誌が置かれており、エキドナが興味津々にそれを見ていた。
「それにしても、変わったわねぇ。家族の写真とかを飾っていたのに……外してる」
殺風景になった壁をそっと撫でて、パローマが俯いた。かつて、そこに掛けられていたであろう家族写真には、薄浅葱の髪に白い毛の美しい母竜と派手な赤紫と紫の混ざった父竜が写り込んでいたのである。毎度見ていたソレは無くなっている。最初から何も無かったかのように白い石壁を少し削っていた。
「……見られてる」
ポツリとエキドナが呟く。まるで数千個の眼に凝視されているかのような薄気味悪さに背筋が凍った。窓のカーテンを閉めても、まるで筒抜けかのように感じる。高い天井を睨むと、黒くドロリとしたものが動いたような気がした。まるでそれは、生物のように動く……。
「アイツは、息を吸うときも見られてるし聞かれている。何をするにも監視されてる。だから自由に、思ったことすらも言えない。アンタに冷たくするのも、ね……」
「子供のときは、違う性格だった?」
「うん。よく笑う奴だった。男友達に絡んで、貴族のくせに悪ガキだ〜とか言われてたわ。でも、ノリは良くて女にも好かれてた。ウチとか先輩には謙虚よ」
思い出を探るように、眼を瞑る。まるで昨日のことのように甦る記憶は、まさに青春そのものだ。文化祭での合唱や生徒会。何度かしてきた悪戯もしっかりと覚えていた。
「今は他人に対して愛想笑い、同僚に対して相槌で終わり……みたいな冷たい男なのに?」
意外だという顔をして、エキドナが眼をイッパイに開く。その後ろで、二階の廊下から下を見るエヴァンの影が伸びていた。明るい青緑と赤紫の光を、紫檀色の鱗に煌めかせて。じっとそこから動かずに居た。不気味さに、思わずパローマが上を見上げる。そこには、もう影はなく階段を下っている姿のみが見えた。
「俺の話などどうでもいい。ほら、淹れたての紅茶だ」
二つのティーカップを持たせると、その隣にある肘掛け椅子に腰を下ろして暖炉に手を伸ばす。キラキラと紺碧色に輝く粉が散った。まるで火の粉のようだ。
「美味しい、これ。硬水使ってるんだな」
一口で分かるのは流石と言おうか、エヴァンが眼の奥で微笑んだ。
「そうだ。硬水でしか紅茶は淹れない」
そうとだけ答えて、スマホをポケットから出すと何やら触り始めた。メッセージを横目で見ると、その送信相手はノエルだった。ノエルからの荒いメッセージとは裏腹、丁寧な言葉遣いで返されている。そこで、ハッとエキドナが思い出した。
「もしかして、さっきクソ親父と話してた?」
「そうだ」
「だから愛想笑いでペコペコしてたのか」
納得したように何度か頷く。エヴァンは眼を細めて、疑うような眼差しを浴びせながら砂糖の多く入った紅茶を口にした。
「お前だって、患者に対して愛想笑いしている癖に」
鼻で笑うように、嘲笑した。