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放課後の旧校舎は、まるで電源を落とされた巨大なサーバー室のように、冷たく、重苦しい静寂に支配されていた。
窓の外から差し込む夕闇は、不吉なほど濃い血の色で長い廊下を塗り潰し、空気中に舞う埃の粒さえも、一つひとつが私の罪を記録するピクセルのように見えて、肩を重く沈ませる。
私は震える手で、視聴覚室の片隅、山積みにされたガラクタの奥に放置されていた、旧式のデスクトップパソコンの電源を入れた。
スマートフォンも、家族のPCも、学校のWi-Fiも、すべて研磨先輩の手によって「デバッグ(遮断)」された今、インターネットという名の外界に繋がっていないこのスタンドアロンの古い端末だけが、唯一、彼の「レンズ」と「ハッキング」から逃れられる、オフラインの聖域だと信じていた。
(お願い……これだけは、彼に触られていないで……っ)
古臭い、軋むような起動音が静寂を乱暴に切り裂く。
私は震える指で、あらかじめ用意していた外部メモリをUSBポートに差し込み、助けを求める短いSOSのメッセージを打ち込もうとした。
けれど。
『——CRITICAL ERROR:管理者権限によりアクセスを制限しています。』
画面いっぱいに、脈打つような真っ赤な警告文字が浮かび上がった。
「……あは。……愛姫、やっぱりここに来ると思った。……君の思考ロジック、読みやすすぎて、トラップを仕掛けるまでもないよ」
背後から、氷のように冷たく、それでいて熱を帯びた湿り気を持つ声が、私の剥き出しの首筋をじりじりとなぞった。
振り返るよりも早く、漆黒のジャージを纏った孤爪研磨先輩が、私の背後から覆い被さるようにして、キーボードを叩く私の手を、上から逃がさないと言わんばかりの力で押さえつけた。
「研磨、先輩……っ。……どうして、ここが……っ。ここは、ネットに繋がってないはず……っ!」
「どうして? ……この旧校舎全体の電力消費量、リアルタイムで僕のスマホに同期(グラフ化)されてるから。……誰もいないはずの部屋で、急に電力が跳ね上がれば、君がどの端末にログインしようとしたか、……全部、筒抜けだよ」
研磨先輩は、私の指の隙間を割るようにして、自分の細く、吸い付くような白い指を深く、執拗に滑り込ませた。
恋人繋ぎ。けれどそれは、温かな心の通い合いではなく、システムに物理的なプラグを力ずくで差し込むような、一方的で暴力的なまでの「接続(アクセス)」だった。
「……ねぇ、愛姫。……外の世界に、何をアップロードしようとしたの? ……僕以外の誰かに、助けてって信号を送ろうとした? ……そんなの、僕のシステムにとってはバグでしかないのに。……不快だよ、すごく」
研磨先輩の濁った三白眼が、夕闇の影の中で怪しく、底知れない執着の色を宿して私を射抜く。
彼は私の手を掴んだまま、強引に私を、埃の積もった古いソファの上へと押し倒した。
舞い上がる埃、カビ臭い空気、そして彼の放つ独特の――清潔な電子機器の熱と、どこか深い場所で熱を孕んだ体温の香りが混ざり合い、私の肺を隅々まで支配していく。
「……っ、やめて、ください……っ。……怖い、です……研磨さん……っ」
「怖い? ……いいよ、もっと怖がって。……愛姫の心拍数が跳ね上がって、瞳孔が開いて、僕にしか聞こえない声で喘ぐ。……その生身の全データ、僕だけが独占して保存(セーブ)したいんだ」
研磨先輩の長い指が、私の制服の襟元をゆっくりとなぞり、第一ボタンを弾くようにして外した。
彼は私の耳元に顔を寄せ、熱を持たない、けれど鉛のように重たい吐息を直接吹きかける。
「……君をブロック(孤立)させたのは、僕だよ。……君の世界をエラー(不通)にしたのも、僕。……でも、それを解除(リストア)して、君に存在価値をあげられるのも、世界中で僕だけなんだよ? ……ねぇ、愛姫。……誰に縋ればいいか、もうシステム的に理解できたでしょ」
恐怖。絶望。そして、極限まで追い詰められた末の、自分でも信じたくないほどの、暴力的なまでの「服従」への渇望。
学校中のレンズに追われ、世界から一方的にログアウトさせられた虚無の中で、唯一、自分を「認識」し続け、力ずくで接続(コネクト)し続けてくれるこの男。
彼の「指先」の感触だけが、今の私をこの世界に繋ぎ止める唯一の、確かな、けれど残酷な「リアル」だった。
「……っ、……おねがい、……研磨さん、……助けて、……私を、……消さないで……っ。……ひとり、にしないで……っ」
私が縋り付くように彼のジャージを握りしめ、顔を胸に埋めると、研磨先輩は満足げに、獲物を完全にフォルダへ格納し、ロックをかけた後のような、冷徹な悦びを浮かべて目を細めた。
「……合格。……パスワード、承認。……ログインしていいよ。……僕だけの、一生外部へはアクセスできない、完璧な箱庭に。……ようこそ、愛姫」
研磨先輩は私の首筋、昨日とは違う、より深く、逃げ場を失った喉元に。
所有権を永遠に確定させるかのように、深く、熱く、執拗な誓いの口づけを落とした。
遮断の代償。
それは、自由という名のユーザー権限をすべて彼に明け渡し、彼の管理下(サーバー)でしか息をすることも許されない「専用の玩具」として再構築されることだった。
窓の外、完全に夜の帳がすべてを飲み込んでいく。
私は、彼の腕の中で、孤爪研磨という名の巨大なシステムに、魂の最後の一片まで吸い尽くされていった。