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一旦家に戻ったが、始業時間には余裕をもって出社できた。
デスクに着くと、既に書類の山が積み上がっていて、理人はげんなりしながら息を吐く。
「おはようございます。鬼塚部長」
「あぁ、おはよう」
書類に目を通しながら、パソコンを開き社内メールをチェックする。
ついでに会議の時間を確認。――そうだ、今日は新入社員が来ると言っていた。
(即戦力がいいな。ひとつ頼めばすべてを汲んで、完璧なプレゼンを持ってきてくれるような……)
まぁ、そんな人材がいれば苦労はしないのだが。
理人が働く『Acquire company(アクワイヤ・カンパニー)』――通称AC。
主に盗聴器や無線などの通信機器を開発・販売しており、最近は携帯電話用GPS端末のシェアを伸ばし、飛ぶ鳥を落とす勢いで売上を更新していた。
今は海外進出に向けた、まさに正念場だ。
簡単な朝礼を済ませ、今日の予定を確認してから席に戻る。
理人は女子社員が入れてくれたコーヒーに手を伸ばした。
砂糖もミルクも入っていないブラック。
本来は苦くて苦手だが、集中力を高めるために、最近はあえてこれを選んでいる。
フロアを見渡せば、昨日と変わらない日常の光景。
だが、スーツで包んだ身体の奥には、あの男との余韻が色濃く残っている。
久々にやりすぎたせいで腰が重い。喘ぎすぎたせいか、声もわずかに掠れている気がする。
違和感に思わず顔を顰めると、「部長、今日は一段と機嫌が悪いな」と部下たちが囁き合った。
心外だが、到底本当のことなど言えるはずもない。
(部下に恐れられているこの俺が、男に溺れて腰を痛めてるなんて……誰が想像するか)
――それにしても。
不意に、昨夜の男の、欲望に濡れた低い囁きが耳の奥で蘇る。
『もっと、虐めたくなる』
『もっと僕ので乱れてください……』
あの声を思い出すだけで、背筋がゾクゾクと震える。
デカいだけじゃなく、あの絶倫ぶりは反則だ。
思い出しただけで、疼きそうになる。
正直に認めよう。あんなに快感に溺れたセックスは、初めてだった。
今までは、自分が完全に主導権を握り、ノンケの男を堕とすことに興奮を覚えていた。
自分に夢中になる様を見るのが好きだった。
しかし、昨夜の男は違った。
途中から主導権を奪われ、挙句の果てには失神するまで攻め立てられた。
屈辱だが――身体の相性は、抜群に良かったのだと思う。
(せめて、連絡先くらい聞けばよかったか……?)
いや、ダメだ。関係が続けば、リスクは跳ね上がる。
やはり一夜限りの快楽が一番いい。
「またシたい」なんて思うこと自体、どうかしている。
「……長、鬼塚部長……っ!」
「あ?」
しまった。昨夜の感触を思い出して、つい考え込んでいた。
「ひぃっ! す、すみません、何度かお呼びしたんですが……。あの、新入社員の瀬名君が挨拶に見えてますが……」
気がつくと、隣に係長の朝倉が立っていた。怯えたような目でこちらを見ている。
自分より10歳以上年上だが、ただ年齢だけで席に座っているような男だ。仕事の効率も情熱も感じられない。
(どうでもいいが、『ひぃ』ってなんだ。失敬な。取って食いやしねぇよ)
理人は内心毒づきながら立ち上がったが、鈍い腰の痛みに一瞬、顔を顰めた。
「あの……大丈夫ですか?」
「問題ない。……それより、彼か」
平静を装って、係長の後ろに立つ人物に視線を移す。
すらりとした長身だが、どこかもっさりとした野暮ったい印象。長めの前髪が目を隠し、大きな眼鏡のせいで表情が読み取れない。
「……初めまして。企画開発部、部長の鬼塚だ」
「……驚いたな。こんなところで会えるなんて」
「あ?」
差し出した手は握られず、代わりに聞こえてきたのは、陶酔したような低い声だった。
「ぶ、部長っ、凄んじゃ駄目ですってば! ただでさえ顔が怖いんだから」
慌てる朝倉を余所に、眼鏡の男――瀬名が口角を上げる。
「ハハッ、大丈夫ですよ。慣れてるんで」
「……誰だ、てめぇ」
こんな冴えない男、知り合いにいたはずがない。
今まで出会った男たちの顔は把握している。こんな不遜な態度を取る輩を忘れるはずが――。
「やだなぁ、忘れちゃったんですか? 僕のこと」
瀬名がするりと顔を寄せ、理人にしか聞こえない吐息で耳元を汚した。
「――昨夜、あんなに激しく愛し合った仲じゃないですか」
「…………っ!?」
心臓が跳ね上がる。
なぜ、こいつが昨夜の情事を知っている? 風貌があまりに違いすぎる。
昨夜の男は、溢れんばかりの色気を纏った妖艶な男だったはずだ。
理解が追いつかず、フロアに数秒の沈黙が流れた。
「あ、あの……お知り合いですか?」
「っ、こんな奴は知らん!」
「全く……つれないなぁ。まぁいいや。今日からお世話になります、瀬名です。よろしくお願いしますね、鬼塚部長」
動揺で凍りついた理人の手に、瀬名の冷たい手が重なる。
にっこりと意味深な笑みを浮かべる男を睨みつけながら、理人は身体中の血の気が引いていくのを感じていた。