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(えぇぇっ! あなたは一体だれですか!?)
私の衝撃をよそに、王子様は嬉しそうにお姉さんのほうを振り返る。
「よっしゃ、行こうか」
そして自然にお姉さんの手を握って歩き出すのを見て……頭の中ではガーンという音が何度も響いた。
ガーン。
ガーン。
ガーーン……。
そ、そんな……。
う、浮気ですか王子様……。
というか……。
その人は一体だれですかっ!?
ショックで動けない私をよそに、二人の背中はどんどんと遠くなっていく。
その後ろ姿は、思わずハンカチ噛みしめたくなっちゃうくらい、オトナの雰囲気が漂っていた。
キラキラした街の中、スーツとドレスの組み合わせだからか、なんだかお城に向かう王子様とお姫様みたい……。
(あぁ、なんで……?)
お姉さんの立ち位置、それって私ですよね……?
なんでなんですか、神様。
運命の人に会わせておいて、この仕打ち……。
まだガーンが頭の中で鳴り響いているし、目の前はもう真っ暗。
(だけど……)
ダメよ、ダメダメっ。
沙織、ここでくじけちゃダメっ。
右手で持つ電子タバコの硬い感触が、めった打ちのハートを奮い立たせる。
これはきっと試練なんだ。
この落とし物は、神様からの試練の証!
王子様にはあの女の人じゃなくて、私に惚れてもらうためのツールなんだ!
そうとわかれば腹をくくらなきゃ。
(諦めちゃダメよ、とにかくこの落とし物は届けないと!)
ぱちんとお尻を叩き、気合いを入れる。
電柱や看板、自動販売機に身を潜めつつ、ふたりとつかず離れずの距離を保ちながら尾行スタート!
落とし物を渡したいけど、いきなり駆け寄ってふたりの前で渡すのは勇気がいる。
できればお姉さんと別れて、王子様ひとりになったところで渡したいし、それで惚れてもらいたいって思う乙女心は、神様もきっと認めてくれているはず!
(しかし……)
私ってば、ちょっとこの身のこなし。
自分で言うのもなんだけど……後をつける姿はまさにスパイさながらじゃない?
もしかして諜報部員にスカウトされるかもっ。
なーんて、と思いながら目を戻すと、ドレスのお姉さんが私の王子様に意味深な視線を送っていた。
「なにー? 俺の顔になんかついてるん?」
「いいえ、山梨様が素敵だから見とれてしまったんです」
「なんや、アヤちゃんは調子ええなぁー」
お姉さんの言葉に、私の王子様はまんざらでもなさそうに頬を緩める。
それからふたりは立ち止まり、ネオン街の端、すこし暗い路地の曲がり角で見つめ合った。
(あぁぁぁ………)
なんなんですか、神様。
こんなところを見せつけて、私にこれ以上ダメージを与えたいんですか。
そしてお姉さんもなんですか。
その笑顔。そのセリフ……。
悔しいけど、ものすごくステキじゃないですか……っ!
敵に一本とられた気持ちで、地団太を踏んだその時―――。
(えっ、待って!)
今お姉さん、大事なこと言ってた!!
『山梨様』
『山梨様が素敵だから見とれてしまったんです』
やまなしさま。
ヤマナシサマ……。
あぁぁぁっ!!
あの人の名前、『山梨』っていうんだ!!
瞬時にその名前を脳ミソのシワに刻みつけ、ぱっと笑顔になる。
しかし無情にも、視線の先には依然として見つめ合うふたりが……。
(あぁぁ……)
一度上がったテンションは再度急降下。
あぁ……あんなふうに見つめ合うのは私のはずなのに、神様はイジワルすぎる。
涙が滲んじゃいそうになった時、山梨さんがお姉さんに笑いながら言った。
「で、どうしよーか? このまま飲み直す? それか寿司でも食べに行こーか?」
(えぇぇ! お寿司!!)
いいなぁ―――!!!
私が食べたい!
私が行きますっ!!!
身を乗り出しかけたけど、スパイたるもの、やすやすと姿を見せるわけにはいかない!
こらえてその場で踏ん張っていると、お姉さんは「そうですね……」と悩み始めた。
(うらやましすぎる、ご飯食べに行けるなんて~~! しかも王子様とっ!)
涙ながらにふたりの様子を見ていると、私の大好きなドラマ、『銀座の花道』のワンシーンが思い浮かんだ。
ホステスのお姉さんが、お客さんにごはんに連れていってもらうシーン。
それによく似ている……と思ってはっとする。
そうか、このお姉さんはいわゆる水商売の人で、これは「アフター」ってやつなんだ……!
あのドラマだと、こんな風にお客さんとお店を出た後は、どうなったっけ??
記憶を掘り起こし、その続きを思い出した瞬間、さぁっと顔から血の気が引く。
ドラマのふたりは、いい感じのお店で、横並びでごはんを食べ。
時々見つめ合って微笑み合い。
そして、夜景の見えるホテルの一室へ。
そして……。
(まっ、まさか)
お互いへの想いを言えず、ベッドで身を寄せ合って、カラダの関係に――――。
(いやいやいや、ま、まさかっ!)
反射的にぶるぶると首を横に振る。
だって山梨さんは私の運命の人だもん!
そんなこと、あるわけない!
猛スピードで脳内のイメージを打ち消していると、お姉さんが山梨さんに微笑みかけた。
「山梨様にお任せします。お誘い嬉しいですもん」
綺麗なスマイルを前に、私の王子様はすこし寂しそうな笑顔を見せた。
お姉さんとつないでいた手を離し、真正面に立って言う。
「アヤちゃん、俺が誘ったん、仕事として受けるつもりなん?」
「え……?」
そのセリフに、お姉さんだけでなく私も目をぱちくりする。
「俺はそういうつもりで言ったんちゃうで。わかってて、はぐらかされてるんかもしれんけど」
山梨さんの目はなんだか切なくて、真剣で、逸らしたらいけないような雰囲気だ。
そんな山梨さんを見つめながら、お姉さんから笑みが消える。
(ああぁぁぁ)
なんか、なんか……。
この雰囲気はなんかやばい気がする。
ふたりは真顔で見つめ合ったまま動かないし、どちらもなにも言わない。
お姉さんは今山梨さんが言った言葉の意味を考えて……そしてわかっているような気がする。
それでいて無言だから、どうなるのか気になりすぎて心臓に悪い……!
沈黙を先に破ったのは山梨さんだった。
ふっと息をついて笑い、目を細めた山梨さんは、さっきまでの雰囲気とはすこし違う。
寂しさを隠すような挑発的な目に、ドキッとした。
「……まぁ、アヤちゃんが仕事って割り切ってるんなら、行先は俺が決めるで?」
発言はどこもおかしくないのに、意味深に感じるのは、私の……気のせい?
尾行と緊張で汗だくだったけど、さっき以上にだらだらと汗が流れ始めた。
正直ふたりを見ていても、状況はあんまりわかっていない。
だけど今彼はすこし傷ついていて、それでいて遊びではない雰囲気なのは、お姉さんを見る目から感じる。
ど、どうしよう。
もしかして……。
山梨さんはこのお姉さんに本気ってこと……!?
(はっ!! もしかして!!)
マンガによくある、『心の痛手を負ったせいで、キャバ嬢にはまっちゃった』とか、そういうやつっ!?
き、きっとそうだ!
私の運命の王子様だもん。
きっと傷心で、ふらっと気持ちがキャバ嬢に向いちゃったに決まってる……!
見つめ合うふたりは、なにかのきっかけで恋に発展しかねない雰囲気が漂っている。
あぁ、目を覚まして王子様!!
心の傷は、私が癒しますからっ!
だから、どうかどうか、早まらないで―――!!
「……山梨様。これはアフターですから」
やっと声を発したお姉さんは、きれいな笑みを取り戻して言った。
非の打ち所がない完璧な微笑みは、お客とホステスだという線引きをしているように見える。
(ううう、私の王子様を手玉に取るなんて……お姉さん、やるなぁ……!)
「はー。ほんなら手当払うわ。言い値でええで。アヤちゃんの“ここ”、いくらなら渡してくれるん?」
山梨さんは右手を伸ばし、お姉さんの心臓あたりを指でトン、とついた。
はっと息をのんだのは私だけじゃない。
お姉さんも息をのんだようで、完璧な笑みも消える。
私の心臓もバックバク!
(なに、“ここ”って)
ここって……山梨さんの指さしているのは心臓?
心臓を“渡して”って、どういうこと?
(いや、さすがに「心臓抜いてよこせ」って感じじゃないし)
―――あっ!!
心臓って、ハートってこと!?
(じ、じじじじゃあ、ハートを渡してってこと!?)
しかも言い値って言ったよね!?
お姉さんのハート、お金で買うってこと!?!?
山梨さんの目は、お姉さんの心まで見透かそうとするような目だ。
そして、その不適な笑み。
だめだ、見てるこっちの息が止まっちゃう!
どうなるのっ。
どうするのっ。
はらはらしすぎて爆発しそうなところに、お姉さんがなにかを吹っ切ったように笑った。
「山梨様。……こう見えて私、結構高い女なんですよ?」
(えっ!? えぇっ!?)
妖艶な浮かべ、山梨さんの腕へ手を伸ばすお姉さんを見て、私はパニック寸前。
(ままま、まさか)
お姉さんのハート、お金で売っちゃうんですかっ!?!?
お姉さんの手が山梨さんの腕に触れる。
しなやかな白い手を見つめ、山梨さんは小さく笑った。
ふたりの視線は至近距離で絡み、もう勢いでキスでもしそう。
あぁぁぁ、なになになに、見てられないよ――っ!
ボカーンと心の中の沙織が爆発した時、別の声が割って入った。
「―――いくら?」