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地下道の空気は鉛のように重く、カビと腐敗した泥の悪臭が肺の奥深くにまでこびりつく。
頭上からは、機動隊がマンホールの蓋をこじ開けようとする硬質な金属音が
歪んだ残響となって虚しく響き渡っていた。
俺と志摩は、膝まで浸かる冷たい汚水を掻き分け、ただひたすらに闇の奥へと進んだ。
出口も分からぬ迷宮、だが地上に居場所などもうない。
「……おい、止まれ。肩の傷を見せろ」
志摩が歩みを止め、懐中電灯の細い光を俺に向けた。
光に照らされた肩口のシャツは、溢れ出した鮮血でどす黒く染まり
腕を動かすたびに神経を直接炙られるような熱い痛みが走る。
「こんなのかすり傷だ。ほっときゃ治る……それより志摩…あんた、さっきの写真に写ってた『二十年前の事件』…本当は何があった」
俺は痛みを噛み殺しながら、前方の闇を睨んだまま問い詰めた。
志摩は一瞬だけ、吐息を漏らすように足を止めた。だがすぐに光を前方の闇に向け直し、重い口を開いた。
「……ある大規模な開発利権に反対していた、市民団体のリーダーが変死した事件だ」
「変死だと?」
「ああ。警察は早々に心不全として処理したが、実際は榊原組の刺客による、完璧に計算された暗殺だ」
「当時、捜査一課にいた俺は……中臣、当時はまだ若手議員だった奴の秘書から、数えきれないほどの札束を受け取った。そして、証拠の捏造に手を貸し、真実を闇に葬ったんだ」
志摩の声は低く、地下道の湿った壁に吸い込まれるように消えていく。
その声には、長年抱え続けてきた澱のような後悔が混じっていた。
「俺は正義の味方なんかじゃない。ただの薄汚れた犬だ。だが、拓海があの封筒を俺に託そうとしたとき……あいつのあの真っ直ぐな目が、俺の中の『人間』としての最後の良心を抉りやがったんだよ」
皮肉なもんだ。
極道の俺が復讐のために「人間」を辞め
汚職警官だった志摩が、死んだ一人の極道のために「人間」に戻ろうとしている。
「和貴、止まれ」
不意に志摩が灯りを消した。
一瞬にして、完全な静寂と闇が俺たちを包み込む。
闇の先から、カサリ、と微かな音がした。
ネズミが這い回る音じゃない。
固い軍靴が、慎重に泥を噛む音だ。
「……掃除屋か?」
「いや、動きが違う。警察の特殊工作員……通称『S』だ。機動隊が表を固めている間に、地下から俺たちを確実に仕留めに来たんだろう」
俺は腰のドスを抜き直し、暗闇に目を凝らした。
この逃げ場のない閉鎖空間じゃ、銃声一つで鼓膜が弾け飛ぶ。
なら、勝負は一瞬。引き金が引かれる前に懐に入るしかない。
闇の中から、細い緑色のレーザーサイトが一本、死の宣告のように俺の喉元をなぞった。
俺は志摩の胸を力任せに突き飛ばすと同時に、汚水の中へと身を沈めた。
「……潜ってろ、志摩。ここからは極道の十八番だ」
光の消えた地下道。
音と気配だけがすべてを支配する、原始的な暴力の世界。
俺は、自分が冷たい汚水に溶け込んでいくような感覚に浸った。
かつて親父に叩き込まれた、呼吸すら殺す「殺し」の技術が、脊髄から溢れ出し全身の筋肉を支配する。
敵は二人。
プロの足取りで、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
俺は水底に溜まった泥を掴み、あえて三メートルほど離れた壁に向かって放り投げた。
ビチャッ、という小さな着水音。
敵の銃口と注意が、わずかコンマ数秒
その音の方向へ逸れた。
その刹那。
俺は汚水の中から、獲物を狩る水底の死神のように爆発的な勢いで飛び出した。