「なにこれー!?」
あまりにも巨大なその生きて動いている木に、ネフテリアは思わず叫んでいた。
その声に反応したのか、『スラッタル』が身を起こす。もちろん家を齧っていた体勢よりも大きく見える。
「新種? でもこんなのが近くにいたら目撃情報はもっとある筈よね……ここじゃ夜に凍って生きていられるわけがないわ。特殊な植物かしら? それに……ピアーニャは?」
フレアがブツブツと推測を呟いている。ピアーニャの教え子だけあって、リージョンや生物には詳しいのだ。しかし、肝心のピアーニャはここにはいない。飛ばされた事を知らないので無理は無いが、新種の生物がいればどこでも駆けつけてくる性格だという事は、フレアもネフテリアもよく知っている。
考えていると、『スラッタル』が鼻をクンクンと鳴らし始めた。
「あれで匂い感じるのかしら? そもそも下の黄色いのからの匂いが……ってこれバルナバじゃないの?」
「ほんとだ、バルナバだし。いろんな大きさがあるし」
あまりの異常事態の為、何を踏んでいるのか確認を忘れていた様子。クリムとツーファンがバルナバの実を手に取り、殻を外した。中からは細長くふわっとした白い実が飛び出し、2人は躊躇なくかぶりついた。
「んむんむ……正真正銘のバルナバですね。なんでこんなに?」
「しばらくデザートには困らないし。アリエッタに甘いお菓子作ってあげなきゃだし~」
むふふとクリムが微笑んだ。
「って、なんかこっち来てません?」
「え?」
ゆっくりと匂いを嗅ぎながら、『スラッタル』は5人の方へと歩みを進めていた。近くまで来た所で足が止まり、さらに注意深く匂いを嗅いでいる。
ネフテリア、オスルェンシス、ツーファンが身構えた。
「お母様はクリムを! シスは背後から観察、ツーファンはわたくしと一緒に!」
『御意!』
「クリムさんはこっちへ。3人とも気を付けて」
防衛手段の無いクリムは、フレアに手を引かれて離れていく。王妃が護衛になるというのもおかしな話だが、ピアーニャを先生と呼ぶだけあって、そこらの兵士などよりはずっと強いのである。
「さて……大人しい動物だといいけどおおおおお!?」
いきなり前足を振り上げた『スラッタル』は、ネフテリアに向かって飛び込みながら前足を振り下ろした。大きすぎるせいで、前足とか頭とか区別する意味が無いただの突進となっている。
なんとか回避し魔法を撃ってみるも、少しは体が削れるが、大きさのせいでほとんど効果が見られない。
「えっと、これは討伐するということでよろしいですか?」
「ったりまえでしょーが!! 今潰されるかと思ったのよ!?」
「す、すみません! 懐かれてるのか襲われてるのか判断しづらく……」
「死ぬから! どっちにしても死ぬから! ひぃぃっ!」
執拗にネフテリアを狙う『スラッタル』は、バルナバの実の地面へと頭から突っ込んでいく。ひたすら逃げ続けるネフテリア。相手が巨大過ぎるせいで、何かされる前から全力で逃げる必要がある。
『スラッタル』の後ろでは、『スラッタル』自身の影から棘が伸び、何度も何度も後ろ足に突き刺さっている。オスルェンシスの影を使った攻撃である。しかし削れはするが、少しずつ元に戻っていく。現状足止めにすらなっていなかった。
「これなら」
ツーファンが鞄の中から小麦粉生地を取り出し、ネフテリアの前に出た。
そこへ再度『スラッタル』の頭が急接近してくる。
「【バゲット】!」
接触するよりも先にツーファンが『スラッタル』の口の下へと潜り込み、硬く長いパンを上に向かって伸ばした。
パンは『スラッタル』の顎部分を捉え、のけぞらせる事に成功。そこへ更に、
「【棘】!」
オスルェンシスの声が響いた直後、ツーファンの周囲から大きめの影の棘が複数伸びて、『スラッタル』に突き刺さる。巨体をよじって逃れようとするも、突き刺さった複数の棘からはなかなか逃れられない様子。影を物理的に曲げたり折ったりする事は、シャダルデルク人でもない限りそう簡単に出来ないのである。
その隙に3人は『スラッタル』の真下から離れた。
「ふぅ、助かったわ」
「しかしどうしましょう? 全力でやって足止めがせいぜいですよ?」
「うーん、せめてピアーニャがいてくれたら……」
「これだけ暴れてて来ないという事は、離れているか埋まっているかでしょうか。なんにせよあても無く探しにいくより、待っている方が確実に会えそうです」
「うん、これ目立つからね」
ピアーニャ達に限らず、こんな巨大なモノが動いていたら、戦える者や守る事を目的とする者は必ずやってくる。他に誰も来ないという事は、バルナバの津波によって来れなくなっているという事である。それならば呼びに行っても意味が無い。むしろ動けないところに巨大生物を引っ張っていくという危険性を伴う。
この場に残るという選択をした3人は、この後の作戦を練り始めた。
逃げながらとはいえ魔法はほとんど効果が無く、ツーファンの生地も手持ち全部使ってなんとか反撃。巨大生物の巨大な影を使ってようやく動きを止める事が出来るだけという戦果のみ。
「討伐するには手段が足りなさすぎるかも……」
「このまま動きを封じて、夜まで待つというのは?」
「……それが一番現実的ね」
「すみません、生地がもう……」
「ツーファンは気にしないでください。お陰様で止める事が出来たんですから」
生地が足りないのは、そもそもこのような巨大な相手を想定していないので仕方がない。
今は影で封じてはいるが、棘の上で暴れている『スラッタル』を見ると、このまま大人しくしているとは思えない。どうにかして巨大生物をこの場に留め続けるには、さらに追加で暴れるのを止める必要がある。
「シスの影であいつを包めたりしない? 生地みたいに」
「相手が大きすぎます。影を広げている間に力尽きてしまいますよ」
「そっかー」
作戦を考え始めてしばらくした時、スラッタルが急に動きを止めた。
「ん?」
と思った次の瞬間。
「ミュイイイ!」
ぶわっ
『スラッタル』の体から、大量のバルナバの実が生えた。そのままボロボロと下に落ちていく。
『こいつが原因かああああーーー!!』
3人は完全に理解した。離れて見ているクリムとフレアも同じ反応をしている。
「どうします?」
「ピアーニャが来たら確実に討伐、それまでに対抗策を見つけるわよ」
決意すると同時に、『スラッタル』が立ち上がった。下に撒いたバルナバの実を台にして、影の棘から逃れたのだ。
そして再びネフテリアを見た。
「なんでわたくしっ!?」
「なんか恨まれるような事でもしたんですか?」
「してないわよ! 木の動物に知り合いなんていないし!」
何故か確実に狙われるネフテリア。魔力を溜め、弱点を探るべく目の前の巨大生物を睨みつける。
その左右にいるオスルェンシスとツーファンが、『スラッタル』とネフテリアを見比べ、そしてお互いの視線を交わした。
「どうしたの2人とも、何か作戦が?」
「ええ」
「これしかないかと」
ネフテリアの疑問に、2人は真剣な顔で頷き合い……駆け出した。
『囮作戦ですっ!』
「王女が囮かあぁっ!!」
左右別々に走り出す2人に大声でツッコミをいれた。護衛とは一体。
「ってうわわっ! 危ないな!」
辛うじて『スラッタル』の顔タックルから逃げ、顔面に火の魔法を撃ちこむ。少し焦げるが、すぐに残り火と共に剝がれ落ち、ゆっくりと再生している。
「でもまぁ、わたくしが狙われてる以上、それしかないか……怖すぎるけど…ねっ」
諦めずに火を撃ちこんでいく。一応牽制にはなっているようで、火を出した瞬間と当たった瞬間は、少しだが動きを止めているのだ。その隙になんとか逃げ場を確保し、時間を稼ぐのだった。
一方周囲から観察をしているオスルェンシスは、後ろ足付近までたどり着き、打開策を探していた。
「生えてくるバルナバの実は巨大だし、それ以外は木で出来ている……燃やすしかないか?」
相手が植物であれば、燃やす事が出来れば楽である。しかし大きすぎるので大火事は必至だが。
しかし並みの火種や魔法では、表面だけが焦げるだけで、ほとんど効果が無い。
「ん、あれは尻尾? いっぱいあるが……斬ってみるか」
体が巨大であれば、尾もそれに比例して太くなる。いまや大木並みに太い蔓の尾になっていた。
その1本を影の刃を使って切断。しかし『スラッタル』は気にしてもいない様子だった。
「効果無しか……。全部斬り落とせたら何か反応するだろうか」
大木級の尾が大量に生えていて、1本落とした程度では何も起こらない。しかも既に再生が始まっている。
「参りましたね……」
どうしようか悩んでいると、唐突にツーファンの声が聞こえた。
「シス! 後ろ!」
「!?」
声に従って振り向くと、太い蔓の1本が迫ってきていた。
咄嗟に倒れ込むように下の影へと逃げ込み難を逃れると、声の主の近くに現れる。
「助かりました」
「いえ。しかし下からは何も見つからなそうですね。やはり上でしょうか……」
「これだけ大きいと昇るのも一苦労ですよ」
打開策が見つからず悩む2人。その時だった。
「どうやらお困りのようだな?」
「っ! 貴方は!」
背後から野太い声がかけられた。振り返り、その顔を見たツーファンが、鋭い目つきになって相手を睨みつける。男はニヤリと、口の端を吊り上げていた。
その頃、『スラッタル』の前方で囮になっているネフテリアがぼやいていた。
「はぁ…はぁ…早くも疲れたんですけど! 早くしてよーシスー!」
何度目かの突進を躱し、魔法を撃つ。同じ事の繰り返しだが、『スラッタル』が同じ事しかしてこないので、なんとか耐える事が出来ていた。しかし体力はそう続かない。
「まずいわね……援軍でも来てくれないかしら……」
魔法を構えつつ呟くネフテリアの希望に沿える者は……いた。
ズガッ
「!?」
真横から木が伸びてきて、『スラッタル』の顔に直撃。そのまま真横に殴り倒した。
いきなりの事で驚いたネフテリア。さらに上から声が聞こえる。
「ネフテリア様ぁー! ご無事ですかぁー!?」
「パルミラ!?」
伸びた木の上からパルミラが飛び降りてきた。そのまま着地──
ズブッ
「ぅおぼっ!?」
出来ずにバルナバの実の海に沈んでしまった。今は安定した地面が無いので、高い所から着地など出来るわけがない。
とりあえず見なかった事にして、木の伸びてきた方向を見た。
「ミューゼ! 助かったわ!」
手を振ったネフテリアに応え、ミューゼが手を振り返していた。
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