テラーノベル
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昼下がりの研究室は、いつもより少し明るい。
外では風が木々を揺らし、葉の影が窓際にやわらかく揺れている。
静かな空気の中で、機器のかすかな駆動音だけが一定のリズムを刻んでいた。
くられはパソコンに視線を落とし、昨夜のデータを整理していた。
徹夜明けのはずなのに、不思議と眠気はない。
何度か指先に残る感触を思い出して、そのたびに息を整える。
――思い出すほどのことでもないのに、と小さく笑った。
ドアがノックされ、ツナっちが顔をのぞかせた。
「先生、お昼食べました?」
「ああ、忘れてたな……気づけばもうこんな時間か」
「やっぱり。パン買ってきました」
「心配性だなぁ。大丈夫だよ」
「またそれ言うんですか」
ツナっちは呆れたように笑いながら、紙袋を机に置いた。
中にはサンドイッチと、少し冷めたコーヒー。
「ほら、エネルギー補給っす。昨日の徹夜、顔に出てますよ」
「そうかな」
「はい。データより自分のメンテも大事ですよ」
くられは軽く笑い、紙袋を開けた。
昼の光が机にやわらかく差し込み、湯気の立たないコーヒーが静かに香る。
ツナっちは先生の横に立ち、画面をのぞき込んだ。
「先生、ここの線、なんかギザギザしてません?」
「うん、少しサンプルが荒れてるね。補正かければもう少し滑らかになると思う」
「へぇ……やっぱ、先生ってすごいっすね」
「そんなことないよ。ただ、長くやってるだけだよ」
くられはマウスを動かしながら微笑んだ。
指先が動くたび、画面の中のグラフが静かに形を変えていく。
その光がツナっちの横顔を照らし、反射した光がくられの瞳に一瞬映り込んだ。
「……ほら、こんな感じに…」
「ほんとだ、全然違う」
「形が整うと、少しだけ気持ちも落ち着く気がするよね」
ツナっちはその言葉に小さく笑い、頷いた。
くられもつられて微笑み、マウスから手を離す。
静かな昼の空気が、二人の間をゆるやかに満たしていく。
ツナっちは机の上の紙袋からサンドイッチを一つ取り出し、くられの前に置いた。
「じゃ、俺が見張ってますから。食べ終わるまで席立っちゃダメっすよ」
「見張るって言い方、少し怖いな」
「じゃあ、監視にしときます」
「それも物騒だよ」
くられは笑いながら受け取り、パンの包みを開けた。
パンの端をかじりながら、ツナっちは先生の手元をじっと見つめる。
目が合うと、くられは少し困ったように笑った。
「……そんなに見られると、食べづらいな」
「確認っすよ。ちゃんと食べてるか」
「心配性だなぁ」
「言いましたね、また」
軽口を交わしながらも、空気はどこか穏やかで柔らかい。
窓の外の風がまた木々を揺らし、午後の光が白衣の裾を照らす。
「先生、最近ほんとに無理してません?」
「どうして?」
「顔色、ちょっと悪いです」
「そうかな……君に言われると、そうかもしれないって思えてくるね」
「じゃあ少しは休んでください。俺がちゃんと見てますから」
「頼もしいな」
ツナっちは肩をすくめて笑った。
その笑顔に、くられはつられて微笑む。
けれど、胸の奥のどこかがわずかにざわめいた。
――ただ隣にいるだけなのに。
昼の光のせいだろうか、それとも。
沈黙が落ちた。
外の風が窓を叩き、光が机の上を滑っていく。
ツナっちは立ち上がり、椅子を軽く押し戻した。
「じゃ、あっち見てきますね」
「いってらっしゃい」
「……先生も、ちゃんと休憩してください」
「心配性だなぁ」
その言葉に、ツナっちは微笑んで頷いた。
けれど、その笑みの奥には、小さな確信が灯っていた。
扉が閉まり、研究室に静寂が戻る。
くられは手元のマグカップを見つめ、指先をそっと包む。
ついさっきまで隣にあった体温が、まだそこに残っているような気がした。
外の風がやさしく揺れ、午後の光が淡く差し込む。
その穏やかな静けさの中で、くられは胸の奥のざわめきに目を伏せた。
「……本当に、なんだろうね」
その声は小さく、昼の光に溶けて消えていった。
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