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「きゃああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
──それは悲鳴というにはあまりにも長く
咆哮というにはあまりにも高く、
天井を突き抜けて空に昇るほどの勢いで
二階から轟いた。
リビングにいた全員の肩が
一斉にビクリと跳ね上がる。
ティアナをブラッシングしていた
青龍の手までもが宙に止まった。
「レイチェルさん!?」
時也の声は瞬時に反応していた。
すでに椅子から立ち上がるという
動作すら挟まず
まるで〝跳ねる〟ように身体を滑らせて
音もなく廊下を駆けていく。
「っ──あ、おい!!⋯⋯行っちまった」
ソーレンが片眉を吊り上げ
片手で頭を掻きながら小さく舌打ちする。
「⋯⋯別にありゃあ
危険ってわけじゃねぇんだけどな」
「危険ではない⋯⋯?
あんな悲鳴だったのに、ですか?」
ライエルが驚いたように瞳を見開き
少しだけ首を傾げた。
その仕草はどこか無垢で
問いに混じる真剣さが
かえってその混乱を滲ませていた。
「ありゃな、レイチェル曰く⋯⋯
〝推しが尊い〟ってやつらしい。
魂の叫び、だとよ」
ソーレンは腕を組み直しながら
呆れたように息を吐いた。
「俺に聞くなよ?
俺もそれがどんな感情なのか
さっぱりわかってねぇ。
ただ⋯⋯本人が言うにゃ
感情が胸に収まり切らなくなって
溢れ出た音が〝アレ〟なんだと」
言いながら、彼はソファに背を預け
天井を見上げる。
「⋯⋯ほら、犬が嬉しすぎて
〝嬉ション〟する時あるだろ?
それに近いんじゃねぇか?」
「⋯⋯うれしょん?」
ライエルが、またもや小首を傾げる。
その動きは
一拍遅れて理解を追おうとする者の物であり
眉間にはわずかに皺が寄る。
視線は宙に泳ぎ
言葉の意味を探しあぐねている様子が
明らかだった。
「そ。嬉しい+ションベン。
⋯⋯なんで俺はこんな説明してんだ⋯⋯」
ソーレンは額に手を当てながら
苦々しい顔をして紅茶のカップを取り直す。
その横で
青龍は気を取り直して
ティアナの長い尻尾のブラッシングを
再開していた。
ティアナは〝またか〟とでも言いたげに
一つ大きく欠伸をし
しっぽを小さく揺らす。
リビングには再び静けさが戻ったが
二階のどこかではまだ
レイチェルの叫ぶ魂の絶叫が
微かに続いていた。
⸻
「ご無事ですか、レイチェルさん!?」
重く閉ざされていたレイチェルの自室の扉が
風を巻くように勢いよく開かれた。
時也の姿が
鋭い光を背負って廊下から飛び込んでくる。
レイチェルの部屋は
少女趣味と機能性が程よく混ざった空間だ。
ピンクと白を基調にした壁紙
窓際には小さな観葉植物が並び
机の上には文房具と資料の山。
だが今、その空間は
異様な緊張と混乱に満ちていた。
「───え゙っ!?
ちょっ、待っ……時也さん!?!?!?」
突然の来訪に、レイチェルの声が裏返る。
彼女はベッドの上に座り
脚の上には大型の液晶タブレット
その画面には、まだ未完成の
極めて〝親密な二人〟の線画が
表示されていた。
一目で〝ただならぬ何か〟を
描いていることは明白だった。
「ご、ごごご、ご無事ですともっっっ!!
ほらっ!見てのとおり──
無傷、健康!!!
絵に描いたような平穏無事よっ!!」
咄嗟に液タブを抱きかかえ
布団にねじ込むようにして押し込みながら
レイチェルは満面の笑みで
だが明らかに焦りを滲ませた
挙動不審な返事をした。
「そ、そうですか⋯⋯よかった⋯⋯!」
時也は心から安堵したように息を吐いた。
眉間に寄っていた皺がふっとほどけ
背中から力が抜ける。
(恐怖や怒りではない⋯⋯
むしろ、異様な程まで感情が昂ってる。
ならば安心しても良さそうですね⋯⋯)
読心術は働いていた。
だが
レイチェルの内心はあまりにも入り組み
〝興奮〟とも〝恍惚〟とも
〝羞恥〟ともつかぬ熱量に満ちており
肝心の内容までは
時也の解釈が追いつかなかった。
「⋯⋯ですが
叫び声があまりにも激しかったので⋯⋯
怪我でもされたのではと」
「あはは、いやいやいやいや!
そういう叫びじゃないの、あの叫びはね!?
あれは、ほら⋯⋯こう、心の底から⋯⋯
うおおおお!!ってなる時
あるじゃないですか!
ね?⋯⋯ねぇ!?」
時也は一瞬きょとんとしたが
すぐに頷いた。
「⋯⋯えぇ、多分ありますね
そういうことも」
とりあえず頷く。
人の心は多様である。
叫ぶほど感情が昂ることもあるだろう、と。
「失礼しました。
お騒がせして申し訳ありません。
なにかございましたら
すぐにお呼びくださいね?」
「は、はいっ!了解しましたぁっ!!」
時也がそっとドアを閉めていく。
その背に
レイチェルは背筋を正して深々と頭を下げた
扉が完全に閉まった瞬間
レイチェルは音もなくベッドに倒れ込み
液タブを抱えたまま
頭から布団をかぶった。
「っっぶなぁあああああああああ!!
死ぬかと思ったぁああああ!!」
顔は真っ赤、心臓はばくばく
頭の中では再生された数秒前の修羅場が
何度もリピートされていた。
レイチェルの夜は
別の意味で嵐のように
更けていくのだった──⋯。