テラーノベル
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翌朝
遮光カーテンの隙間から残酷なほどに眩しい陽光が差し込み、私の意識を引きずり出した。
覚醒した瞬間、昨夜の断片的な記憶が、制御不能な濁流となって脳内に流れ込んできた。
(…待って。私、アルくんに「好き」って言わなかった!?)
それに、あの……口移しで、お水を……!
唇に残る微かな、けれど確かな熱を帯びた感触を思い出し
私は布団の中で声にならない絶叫を上げ、のたうち回った。
顔が火が出るほど熱い。
あんなに破廉恥で
甘くて、心臓が止まりそうなことを、あの聖母のように穏やかなアルくんがしたなんて。
◆◇◆◇
「……いつまで死体みたいに転がってるの、エマ。今が畳み掛ける最大の、そして最後のチャンスよ!」
早朝から合鍵で部屋に乗り込んできたアイラに背中を強烈に叩かれ
私は這うような足取りで、アルくんが待つ庭園へと向かった。
アイラの助言は、非情かつ合理的だった。
「昨夜のことは酔った勢いの失態だと切り捨て、一気にステップ3───『他の男に乗り換える宣言』を突きつけ、彼の独占欲を根こそぎ引きずり出しなさい」と。
噴水の水音が心地よく響く、白亜のベンチ。
そこに、背筋を伸ばして座るアルくんと並んで腰を下ろした。
朝の空気はどこまでも澄んでいるのに
私たちの間には、昨夜の熱を孕んだ気まずい沈黙が、重く、分厚く横たわっていた。
「……あの、アルくん。昨夜は、介抱してくれてありがとう。……でも、その」
私は膝の上でドレスの裾をぎゅっと握りしめ
喉の奥から絞り出すように、用意していた最大の「嘘」を口にした。
「ごめんね。昨夜のことは、全部お酒のせいだから忘れてほしいの。…それと、もう魔力酔いの治療も、アルくんじゃなくて『他の人』に頼むことに決めたから。今まで、たくさん迷惑をかけてごめんなさい」
隣で、空気が一瞬で凍りつく音がした。
アルくんが、ゆっくりと、機械的な予備動作すらなくこちらを振り向く。
その瞳には、今まで一度も見せたことのないような
昏くドロりとした執着と激情が渦巻いていた。
「……他の人って。…もしかしてあの、カイル伯爵のこと?」
低く、地を這うような、背筋が凍りつくほど冷徹な声。
「え? そ、それは、えっと……具体的に誰とかじゃなくて……」
あまりの威圧感に言葉を詰まらせた瞬間、視界がぐるりと回った。
気がつくと、私はベンチの上に押し倒され、アルくんの逞しい体に組み敷かれていた。
背中に当たる木製の硬い感触と
目の前にある彼の、余裕をかなぐり捨てた男の顔。
「エマちゃんさ……。僕より、ああいう男の方が好きなんだよね?だから他の男のリボンを受け取って、僕の手を振り払って……」
攻守逆転。
ハニートラップを仕掛けていたはずの私が、彼の嫉妬という名の
甘美で猛烈な毒にあてられ、頭が真っ白になる。
彼の瞳に映る自分が、あまりに無防備で情けなくて───
「ち、違うの!今までのは、全部作戦で……っ!」
押し寄せる心細さに耐えきれず、私は思わず最悪のタイミングで口を滑らせてしまった。
「……作戦?」
アルくんの動きが、ぴたりと止まる。
私は観念して、アイラに協力してもらったこと
彼を振り向かせ、一人の女性として意識させるために、わざと嫉妬を煽る「ハニートラップ」を仕掛けていたことを、震える声ですべて白状した。
「最近、様子がおかしいなって思ってたけど…そういうことだったんだ」
アルくんがポツリと呟き、ゆっくりと私を解放した。
私は慌てて起き上がり、乱れたドレスを整えながら
「ご、ごめんね、困らせるつもりはなかったの!」
と謝るけれど、彼はどこか意地悪な
楽しげですらある表情を浮かべて、私を逃がしてくれない。
「どうして、僕にハニートラップなんて仕掛けようと思ったの?」
「えっ?!そ、それは…っ」
「…ねえ教えて、エマちゃん」
有無を言わせぬ圧。
私は顔を林檎のように真っ赤にしながら、蚊の鳴くような消え入りそうな声で、真実を絞り出した。
「アルくん……に、ちゃんと……ただの幼馴染じゃなくて、一人の女の子として…見てほしくて……」
「……どうして?」
「へ?そ、それは…ア、アルくんのこと……っ、す、す……」
勇気を振り絞って言いかけたところで、彼は「ああ」とわざとらしく、心底可笑しそうに声を上げた。
「『好き』って、昨日の夜も酔って言ってたよね。ああいう大胆なこと、僕以外の男にもしてるのかなって、少し心配になっちゃった」
「ち、違うよ?!私、アルくんに振り向いてもらいたくて必死だっただけで……っ、その、なんていうか……!」
必死に否定すればするほど、自分の秘めていた想いを自ら暴露していることに気づき
私の声はどんどんボリュームが小さくなっていく。
羞恥心で胸がいっぱいになり、もう彼の顔を見ることも、目を合わせることもできない。
俯いて肩を震わせる私のプラチナブロンドの頭に、ふわりと、大きな手が添えられた。
「ふふ、ごめん。……少し、いじめすぎちゃったかな」
耳に届いたのは、いつもの
あの世界で一番大好きな、春の日差しのような優しい微笑みを孕んだ声。
え……?と驚いて顔を上げた瞬間
そこには今まで見たこともないほど慈しみに満ちた、熱い瞳で私を見つめるアルくんがいた。
「……僕、そんなハニートラップなんて仕掛けられなくても、エマちゃんのこと……ずっと、ずっと前から好きだったんだよ?」
朝日を背負って穏やかに微笑む彼の、あまりにも直球な告白。
私の心臓は、これまでのどんなステップよりも、今日一番の大きな音を立てて跳ね上がった。
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