町から視える小高い丘に町長の館はありました。イザベラのお誕生日会は、町長夫人の自慢のバラが咲き誇る中庭で行われました。
花冠を被るイザベラはまるでプリンセスのようで、ビーズや刺繍があしらわれたドレスが良く似合っています。
友人たちに囲まれ、贈られたプレゼントを開けては、皆の前で披露していました。
ご婦人方はテーブルに並べられた菓子やご馳走に舌鼓を打ち、世間話に花を咲かせています。町の男たちは町長と政治について議論していました。
けれど、その中に公爵様の姿はなく、まだ都からお戻りになっていないようすでした。
誕生会は町の中でも比較的裕福な人たちが集まりました。町外れで酒場を営む我が家はけっして裕福とはいえず、引け目に感じた私は来てしまったことを後悔するのでした。
正直な気持ちを申せば、イザベラの誕生日などどうでもよかったのです。いつのまにか私の心の中にあの方がいて、一目お会いしたいとばかりにお誕生会に出向いたのでした。
ですが、こうも考えました。イザベラやその友人たちの中から、公爵様が奥様を選ぶようなことがあったら……。その事実に私は耐えられるのかしらとも――。
「まぁ、タマラ、いらしていたのね。それにしても、そのドレスはまるで花嫁みたいだわ」 町長夫人が私の着ているドレスがこの場にふさわしくないといわんばかりです。
「これは母の形見なのです……」
この時私は改めて気が付きました。父親が出してきたドレスは母の花嫁衣裳だったのかと。
「まぁそうでしたの。男性は年頃の娘が着るドレスは判らないでしょうね。だから再婚するよう申しましたのに」
「ええ? 父に再婚ですか……」
「ええそうです。ずいぶん前の話になるけれど、奥様を亡くされてからというのも独り身でいるのもなんでしょうし、タマラに母親は必要だって助言したの。けれど、あなたのお父様は、いい縁談でしたのに断ってしまってね、取り付く島もないなかったのです」
母は私がまだ幼いころに亡くなりました。その後、父は男手ひとつで娘の私を育てたのです。
でも、まさかその父に再婚話があったとは、町長夫人から訊かされるまで、ついぞ知りませんでした。
一つ言えることは、父は今でも母を愛しているということ。その証拠に母の持ち物を処分することなく、大切にしまってあったのです。
私も父のように、自分を愛してくれる方と添い遂げたいと思うのでした。それが公爵様ならどんなに素敵でしょう。
分不相応の恋だと頭では判っていますが、気持ちはどうしようもなく望んでしまうのです。ですが、こうも考えました。イザベラやその友人たちの中から、公爵様が奥様を選ぶようなことがあったら……。
その事実に私は耐えられるのかしらとも――。
しかし、これらすべては取り越し苦労の無用な心配だったのです。都から到着された公爵様のおそばに、洗練されたドレスを身に着けた貴婦人がおいででした。
レースをあしらった帽子を頭に乗せて、目元を隠しておいででしたが、赤い紅の唇と、顎から耳にかけての見事な骨格から絶世の美女であるのは一目瞭然でした。
到底、田舎の娘が敵う相手ではありません。このとき、私はようやく父の言ったことが正しかったのだと悟るのでした。
イザベラも母親である町長夫人も思惑が外れて落胆の色を浮かべておいででした。
それでも、町長や町の実力者たちは公爵様に取り入ろうとしていましたので、私は少し離れた場所からその模様を視ているしかありませんでした。
「ねぇタマラ、公爵様に女性がいるなら、教えてくれなきゃ困るじゃない」
後ろ手に組んだイザベラが私の横にきて、小声で話しかけました。
「私も知らなかったのです……」
「そうなの? 知らなかったのなら仕方のないことだけど。それより、あなたの手にある包は、もしかして私へのプレゼントなのかしら?」
「あ……、ごめんなさい。渡そうと思っていたのに……。イザベラお誕生日おめでとう‥‥‥」
プレゼントの内容に自信のない私は、ためらいながらイザベラに渡しました。
「ありがとう」
イザベラはその場でリボンを解き、包みを開けました。私からの贈り物は貴重な砂糖でコーティングした、焼き菓子でした。
ですが、贅沢に育ったイザベラには粗末にうつったのかもしれません。
おそらくは気に入らなかったのでしょう。表情はみるみるうちにどんよりとした真冬の曇り空のようになってしまいました。
そこに、使用人たちが大きなバースデーケーキを運んできました。メレンゲや生クリーム、たくさんのベリーで美しく飾り付けられたケーキに、来賓から拍手と歓声があがりました。
焼き菓子に興味を失ったイザベラは、テーブルに放り出しました。
「皆さん、このお誕生日ケーキは、イザベラの祖母が、隣町から職人を招いて作らせましたのよ」
町長夫人がイザベラにロウソクを吹き消すよう言いました。運ばれたケーキを視ようと娘たちが駆け寄ります。
その中の一人がテーブルにぶつかり、私の焼いた菓子を落としてしまいました。無残にもアイシングが剥がれ、割れてしまった焼き菓子に、目を留める者はいませんでした。
私は仕方がなしに拾っておりますと、視界に黒ダイヤの指輪が目に入りました。
いつの間にか公爵様が私の傍にいて、一緒に菓子を拾ってくださるではありませんか。
「すみません」
「謝ることはない。そなたは何も悪い事などしておらぬではないか。それに、人の好意を無下にするとはいかがなものか……」
公爵様の見上げた先にロウソクを吹き消すイザベラがいました。不思議なことに、何度吹いてもお誕生日ケーキの蝋燭は消えません。
「イザベラ、強く息を吹きかけて!」
見かねた町長夫人が一緒になって息を吹き消します。それでも火は消えません。
「わたくしたちも、お手伝いいたしますわ」
娘たちが五人がかりで息を吹きかけました。ところが妙なことに、ロウソクは消えるどころか、わっと燃え上がり、ケーキに引火しました。
飛んだ火の粉がイザベラの自慢の髪を焦がします。チリチリに燃える髪が風に流され、今度は私の菓子を落とした娘の尻を焼きました。
「ハハハッ!これは面白い余興だ」公爵様は高笑いすると、冷たく言い放ちました。それどころか、皆の前で拾った菓子を口に入れたのでございます。
「これはうまい。これほどの腕前の菓子は、都でも食べたことがないぞ。豪華なケーキは駄目になってしまったが、皆さん、タマラの焼いた菓子はいかがかな?」
イザベラと母親は真っ赤になるやら真っ青になるやら。
「それでは、わたくしめも頂戴いたします」
飛んできた町長は土にまみれた菓子を食べました。
「これはうまい!」
私に向かって、夫人と娘の非礼を詫びるのでした。そのまま誕生日会はお開きとなりました。
「公爵様!お待ちください。町に唯一ある銀行の頭取が、もうすぐかけつけますから、しばしお待ちを」
町長は街に潤いをもたらすであろう公爵様を、躍起になって引き止めるのでした。
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