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貧乏草か。
今の自分に相応しくて泣けてくるな、と思いながら、連休明け、のどかは会社の図書室で本を見ていた。
道端の雑草辞典だ。
ヒメムカシヨモギ。
一、二メートルも伸びる草なので、たくさん生えてくると、荒れた感じになるから、貧乏草とも呼ばれる。
……なるほど。
ヒメムカシヨモギとか。
名前だけ聞いたら、お姫様が十二単着て座ってる屋敷に生えてそうなんだが。
あっ、ハルジオンも貧乏草なのかー。
よく見かける白く可愛らしい花が咲く草なのに。
……なにっ?
摘むと貧乏になるっ?
そんな都市伝説がっ。
ちっちゃい頃、いっぱい摘んで遊んでたのにっと食い入るように本を見たとき、
「おい」
と頭の上から声がして、顔を上げた。
一緒に貧乏草を摘んでいたはずなのに、何故か社長の海崎綾太が立っている。
少し天然パーマが入った栗色の髪。
瞳の色も茶がかっていて、色も白いので、子どもの頃は愛くるしい王子様のようだったが。
なんかちょっと顔に一癖ある性格が出てきたな、と改めて幼なじみを眺めて思う。
「あ、社長。
お疲れ様です」
「なにやってるんだ」
「ああ、残務整理をしに来たんですけど。
昼からは家を片付けようかと思って、有給取りました。
使い切れないくらい残ってるので」
今、ちょうど仕事の切れ目でよかった、と思いながら、のどかは言う。
「それで帰る前に、図書室に寄ってみたんですよ。
もう此処にも来れなくなるなと思って。
まだ私、月末までは席があるみたいなので、本借りて帰ってもいいですか?」
ああ、と言う綾太に、ありがとうございます、と言って、のどかは貸出帳を広げる。
のどかが書いている間、綾太は黙ってそこに立っていた。
「……訊かないのか」
「はい?」
「何故、お前に顔も見たくないと言ったのか」
書く手を止めたのどかは、
「いや~、いつもの癇癪かと」
と笑う。
「だって、社長、UNOで負けたらいつも……」
「昔の話を持ち出すなっ」
と会話の途中で遮られた。
「お前、本当にこのまま辞めて出ていくつもりなのかっ?」
いや、貴方がクビにしたんですけど……。
あばら屋に住めと言っておいて、本当に此処に泊まる気かという成瀬社長といい、社長という人種はおかしな人が多いようだ、と思いながら、のどかは言った。
「なんだかわからないですが。
社長が私に出て行けと言ったとき、すごく本気で言ってたみたいなので、出て行くことにしたんです」
幼なじみの勘だ。
理由はわからないが、綾太があの一言を言ったとき。
口調はいつもの癇癪だったが、本当に顔も見たくないという雰囲気が漂っていた。
「私、社長を怒らせましたか?」
「……いや。
そうじゃない」
と言ったとき、
「社長」
と入り口で声がした。
秘書の中原が立っていた。
「さっき鳴ってましたよ」
中原は、はい、とスマホを綾太に渡す。
「ああ、ありがとう」
と綾太はそれを受け取り、廊下に出た。
なにか仕事の話をしている声が聞こえてくる。
そちらをなんとなく見ていると、中原が自分を見下ろし、言ってきた。
「まだ居たんですか、胡桃沢さん」
……私、この人、苦手なんですけど。
綾太より二つ上のクールなイケメンだが。
言動がクール過ぎるうえに、社長の幼なじみという立場ののどかを、職場の雰囲気が乱れると言って、疎んでいる。
まあ確かに、私が居ると、綾太がみんなの前で、昔のようにキレたりするからな……。
「本借りに寄っただけです。
もう帰ります」
とそそくさと逃げるように立ち上がり、本を手に取ると、中原は、チラとのどかの手にある本を見、
「……雑草?」
と鼻で笑った。
「会社をクビになったから、雑草でも食べて暮らすつもりですか」
……丁寧な言葉で話すっていうのは、相手に敬意がある場合が多い気がするんだが。
この人の場合は、相手を突き放し、距離を取るためだな、と思い、のどかは聞いていた。
「いやいや、まだ貯金ありますし」
とのどかは強がってみたが、中原は、
「私は貴女が呑み会で、通帳の残高が141,421円でヒトヨ ヒトヨニヒ、までだ、と言っていたのを聞いた気がするんですが」
と言ってくる。
……ええ。
ちょうど、ルート2だったんですよ。
「一桁、いや、二桁違いませんか?」
と真剣な顔で中原は言ってきた。
「そんな話しましたっけ……?」
「してましたよ。
貴女は酔うと隣の人が誰だかわからなくなるようですね」
……私、貴方に話してたんですか、その話。
エリート秘書様にそのようなくだらぬ話を、すみません、と思ったとき、綾太が電話を切って戻ってきた。
容疑者に、逮捕の前に身内と少し話をさせてやる刑事のように、情けをかけてか、中原はなにも言わずにそっと廊下に出てくれた。
「じゃあ、社長、失礼します」
と綾太に挨拶すると、綾太は語り出す。
「……覚えているか。
昔、お前が小学校の図書室で、『日本不思議探検』の本を譲ってくれたのを。
あれが俺とお前の最初の――」
「えっ?
そうだったっけ?」
とのどかは話の途中で、思わず言ってしまい、
「とっとと帰れっ。
中原っ。
こいつに退職金なんて出さなくていいからなっ」
と綾太が廊下に向かい、叫び出す。
はいはい、と開いた扉のところから、中原が苦笑いして聞いていた。
なんだかわからないが、思い出に泥を塗ってしまったようだ……と思いながら、のどかは雑草図鑑を手に歩いて会社から出た。
あやしいあばら家に向かって歩くと、街から突然、住宅地っぽくなり、時折、空き地も見えてくる。
売地の看板が立っているので、そのうち、そこにも家が建つのだろうが。
この辺まで来ると、土と草の匂いもするなーと思いなから、のどかは初夏の空を見上げた。
令和らしい、いい天気だ。
……いや、令和らしいってのも変だが。
新しい時代にふさわしい爽やかな空だった。
そういえば、真っ昼間にこうして、空を見上げて歩くってなかなかない。
あ、此処も売地とのどかは草原を見る。
その手前、アスファルトの脇にある細い水路には、ちょろちょろとぬるそうな水が流れていてその上を雑草が覆っていた。
のどかは、その手に雑草図鑑があるにも関わらず、
なんかわかんないけど、いっぱい草!
とだけ思って、それがなにかを確かめることもなく、通り過ぎかけたのだが。
ふと、なにかが気になり、戻ってみた。
途中から水路に蓋がしてあったのだが、その四角く暗いコンクリートの穴を水が流れていくのが目に留まる。
そこを見つめていたのどかの頭に洞窟の前で探検隊のような格好をした少年少女のイラストが頭に浮かんだ。
『日本不思議探検』の表紙だ。
そういえば、綾太に譲ったっ。
小学一年のとき。
私はもう何回も読んでるからって。
あの頃から親しくなったんだった、と思い出し、綾太に、
「思い出したよっ、『日本不思議探検』っ。
先に読みなよって渡したんだったよねっ」
とチャットアプリで送る。
するとすぐに、
「今かっ。
死ねっ」
と返ってきた。
……なんだろう。
この中高生のようなやりとり……。
でもまあ、社長となった今、このテンションで会話できるのは、社内では私だけだったのかもな。
それがよくもあり、悪くもあったのだろうが、と思いながら、のどかは明るい日差しの中で、たどり着いた我が家を見た。
こうして見たら、なにも怖くない、ただの草むらの中のあばら家だ。
のどかはとりあえず、全部の窓を開け、明るい光と風を通して、掃除してみることにした。
いや、風は通さなくても勝手に通っているんだが……。
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