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僕は隔離された部屋で、静かな時間を過ごしていた。
話し相手は、動物や妖精たちくらいしかいない。妖精たちは時折、優しく囁きかけてくれるが、それもほんの一瞬の慰めにしかならなかった。
そんな日々の中、部屋にある本のページをめくる手を慎重に進めていた。
「これで、少しでも力に……」
だが、目の前に広がる文字たちは、難しいものばかり。魔法の理論や歴史、古代の呪文――どれもこれも難解で、読むことすらままならない。
「これじゃ…ダメだ。はぁ、唯一読める本はこれだけか…」
それは、遠い過去の物語だった。
「精霊と人間の恋物語。なんでこんな所にあるんだろう?まぁ、考えても仕方ない」
僕は本を閉じ、静かな部屋の隅に置かれた古びた木製の剣を手に取った。剣の柄に手を添えると、自然と身体が反応するような感覚を覚える。剣術を学んでいたわけでもなく、ただ無心で振るっていた日々が懐かしく思えた。
「この剣が、何かを変える力になるはず…!」
僕は剣を軽く振り、足元に視線を落とす。そのまま一歩踏み出し、急に身体をひねりながら斬りつけた。風を切る音が耳に響く。だが、無心で振るうその動きには、どこか力強さとともに悲しみが滲んでいた。
「まだ足りない…」
僕は更に剣を振り上げ、何度も斬りつけた。しかし、その動きに力がこもっても、何か物足りなさを感じる。
(どうすれば、もっと強くなれるんだろう…)
僕の心にはぽっかりと穴が空いていた。母を失い、父は人が変わった様に冷徹になり、何もかもが空回りしているように感じる日々。何をしても、自分の力ではどうにもならないという思いが胸に積もっていた。
ある日、僕は父の命令でラナの魔法の訓練相手を務めることになった。
屋敷の広い訓練場に立たされ、真正面に向き合うのは、まだ幼さを残す妹――ラナ。
「お兄様、ごめんなさい……」
震える声が聞こえた。
彼女は父の期待に応えるため、僕を的にして魔法の精度を高めなければならなかった。
だが、僕はすでにこの役目を何度も与えられている。
「……気にするな」
静かにそう返し、構えを取った。
――水球が放たれる。
直撃する瞬間、僕は歯を食いしばった。
痛みが走る。
そして、それ以上に心が蝕まれる。
(父上は、一度でも僕を見たことがあるだろうか……)
父の冷たい視線は、僕には決して向けられない。ただ、そこにいるのは訓練のための道具としての「アレン」としてしか認識していないようだった。
「……いつか、僕も……」
ぼそりと零れた言葉は、虚しく空に消えた。
僕は、心優しいラナの苦しみを理解していた。
兄を慕い、傷つけたくないという気持ちと、父の命令に従わなければならないという現実。その狭間で揺れ続けるラナの心。
「お兄様、本当は…私……!」
言葉を飲み込むラナの姿を見て、アレンはそっと微笑んだ。
「大丈夫だよ、ラナ」
本当は大丈夫なんかじゃない。
それでも、妹を安心させるために、僕は笑うしかなかった。
――妹を守りたい。
その想いは日を重ねるほど強くなり、 一方で、僕が魔法を使えないことで、ラナ1人に父の期待を一身に背負わせてしまったという自分への不甲斐なさ、怒り、悔しさも増していった。
訓練後、 屋敷の廊下を歩きながら、ふと昔のことを思い出していた。
〜〜〜〜
ラナはよく僕の部屋に忍び込んできては魔法の成果をみせてきたものだ。
「お兄様!今日ね、新しい魔法を覚えたの!」
無邪気な笑顔でそう言いながら、僕の前で小さな水の魔法を披露してくれた。
「すごいな、ラナ!」
「えへへ、お父様に褒めてもらえるかな?」
当時のラナは、父の期待に応えようとしながらも、まだ普通の少女らしい一面を持っていた。
魔法を成功させれば嬉しそうに笑い、失敗すれば少し涙ぐみ、それでも懸命に努力する――そんな姿を、僕は何度も見てきた。
〜〜〜〜
あの日々が遠い過去のようだ。
2年後。
僕は、剣の鍛錬を終えた後、庭に佇むラナの姿を見つけた。
(今日は外での訓練なのか)
水が激しく渦を巻き、氷の刃が宙を舞う。精密に計算された軌道で的に命中し、砕け散る氷片が光に反射してきらめいた。
「――遅い」
父の低い声が響く。
「水流を操る速度が足りん。敵が回避する隙を与えてどうする」
「……申し訳ありません」
「もう一度だ」
ラナの返事は淡々としていた。
彼女はすぐに魔力を練り直し、今度は鋭い氷の槍をいくつも作り出す。
一瞬の迷いもなく、それを的へと放った。槍は寸分の狂いもなく命中し、氷の破片が静かに散る。
「……今日はこれで終いだ」
父の言葉には、ほとんど感情がなかった。
ラナはそれを当然のように受け止め、ただ静かに頷く。
僕は、その様子を遠くから見つめることしかできない。
(ラナ……)
かつての妹の姿と、今の彼女が重ならない。
今のラナは――まるで感情を押し殺すように、淡々と訓練をこなしている。
そこに、かつてのラナの笑顔はもうなかった。
しばらくすると、訓練を終えたラナが僕のそばを通り過ぎようとした。
「ラナ」
思わず名前を呼んでしまった。
ラナは足を止め、ゆっくりと振り向いた。
僕は、少しでも昔のような彼女を取り戻せないかと願いながら、優しく微笑んでみせる。
「よく頑張ってるな。すごいよ」
一瞬、ラナの瞳が揺れた気がした。
だが、それもほんの一瞬。
「……そう」
短く返しただけで、彼女はすぐに背を向けた。
僕はしばらく、ラナが去った後の静けさの中に佇んでいた。遠くに響く足音が次第に小さくなるのを聞きながら、胸の中にわずかな痛みが広がる。
(ラナ……)
彼女の笑顔がもう戻らないことを、アレンは確信していた。
「……僕にできることは、何もないのか」
僕は目を伏せ、今はただ、手の中に感じる冷たさを確かめるように、剣を握りしめた。
ある日、父に連れられ出かけることになった が、行先はまったく知らされていなかった。
「父上、どこに向かわれるのですか?」
返答はなかった。
父はただ前を向いて馬車を進めるだけだった。僕は、だいぶ街から離れてきたことに気づき、ふと不安が胸をよぎった。
(どこに行くのだろうか…)
そんなことを考えているうちに、気づけば眠りに落ちていた。
気がつくと、馬車が止まった音で目を覚ました。
目の前に広がっていたのは、真っ暗な森の中だった。
「…出ろ」
父は冷たく言い放ち、その目は僕を見ていなかった。
「ここでいったい何をするのですか?」
僕が問いかけても、返事はなかった。ただ、その後に続いた言葉が、まるで雷に打たれたような衝撃を与えた。
「…お前はもう必要ない。魔獣に襲われて死んだことにする。」
その言葉が耳に届いた瞬間、僕は言葉を失い、心臓が止まるかと思った。
「……ぇ?」
父の目には、ただ冷徹な無情さが漂うだけだった。 そして、剣と魔除けの粉だけを残し、無言で去っていった。
(なんで……)
僕はひとり、暗闇の中に立ち尽くしていた。
ーー突如、背筋を凍るような気配が走る。僕は急いで魔除けの粉をポケットに入れ、剣を構える。
「……っ!」
息を呑んだ瞬間、森の闇から滑るように現れる影。
グルルルゥゥ
【シャドウウルフ】ーー鋭い牙を持つ狼型の魔獣が3匹、音もなく包囲するように現れた。獲物を狙う残忍な瞳が、ぎらりと月光に反射する。
「狼……!」
低く唸りながら、じりじりと距離を詰めてくる。
しかし、狼の一匹が苦しげに後退し、他の二匹も一瞬動きを止める。
(飛びかかってこない? そうか、魔除けの粉の効果か……!)
手にした魔除けの粉が微かに光を放ち、狼たちの動きを鈍らせている。
「……逃げなきゃ!」
僕は剣を握りしめ、全力で駆け出した。
しかし、次の瞬間には獲物を逃がすまいと疾風のごとく襲いかかってきた。
(クソッ! 森の外まで持てば──!)
だが、魔法の粉の効果が薄れ、狼たちの唸り声が鋭さを増す。次の瞬間、素早く跳躍した一匹が襲いかかる。
「くっ──!」
反射的に剣を振るうが、狼の動きは予想以上に速い。斬撃が空を裂くより早く、鋭い爪が肩を掠め、熱い痛みが走った。
「ぐっ……!」
だが、怯むわけにはいかない。僕は振り向きざまに剣を振り抜く。
シュッーー!
手応えを感じる。しかし、それは狼の毛皮をかすめただけ。狼は体勢を崩しながらも、すぐに体勢を立て直し、低く身を構えた。
(マズい……このままじゃ……!)
焦りが冷たい汗となって背を流れる。その時だったーー
狼たちが突然、ピタリと動きを止めた。
「……?」
それまでの獰猛さが嘘のように、狼たちは耳を伏せ、わずかに後退する。
(何か……来る……?)
ーーゴゴゴゴ……!
大地が震えた。
いや、違う。何か巨大なものが、この森を踏みしめているーー!
視線を上げた僕の目に飛び込んできたのは、暗闇を引き裂くような巨大な影。
「な、なんだ……!?」
ドンッ!!
木々を薙ぎ倒し漆黒の森から姿を現したのは、3メートルを超える巨体な熊型魔獣。
【ブラッディベア】。
巨大な鉤爪を持ち、返り血を浴びたような赤黒い体毛、全身に戦いの傷を刻んだ、獰猛なる覇者。
その圧倒的な威圧感に、シャドウウルフすらも恐れをなして逃げていく。
だが、僕には逃げ場なんてない。
「……っ!」
ブラッディベアの瞳が僕を捉えた瞬間、それは獲物を見つけた肉食獣の目だった。
次の瞬間、大熊は地を揺るがす勢いで踏み込み、それと同時に巨大な爪を振り下ろした。
「くっ……!」
アレンは咄嗟に剣を振り上げ、全力で受け止めるが。
ガキィンッ!!
「なっ……!?」
剣はあっけなく砕け散った。
残ったのは無力な己の両腕。そして、振り下ろされる死の一撃。
「……ぐっ!!」
次の瞬間、凄まじい衝撃と共に僕の体は軽木のように、宙を舞い地面を数回転がり岩に激突し止まった。
「……がはっ……!!」
全身を駆け巡る激痛。 右肩から左脇にかけて大きな傷と滝のように流れる血。呼吸が詰まり、視界が霞む。
それでも意識を失うわけにはいかない。
(……まだ、戦えっ……!)
だが、ブラッディベアはトドメを刺そうと近づいてくる。
巨大な爪が、アレンの視界を覆いーー
ーー世界が、闇に閉ざされた。