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レストランの窓から、ビル群を見下ろす。
さっきまで青空がのぞき、晴れていたのに、空は再び灰色に覆われ、雨を降らせていた。
――不安定な天気だな。
雨が降ろうが、槍が降ろうが、|麻王《あさお》の親族が集まる会食は絶対だ。
「|理世《りせ》。憂鬱そうな顔をするなよ。俺だって、仕方なく昼食会にきてるんだぞ」
――俺が憂鬱な理由の半分は、|悠世《ゆうせい》のせいだ。
ファッションビルの近くのホテルが、昼食会の会場で、ついでに立ち寄ろうと悠世から言い出した。
それで、こっちはアパレル部門の売り上げを確認していたのだが、気づいたら、悠世がいなくなっていた。
探しに行けば、人が大勢集まり、通路を塞ぐまでの混乱ぶりだ。
――まったく、自由すぎる。
それに、|琉永《るな》が働いているブランド、『|Fill《フィル》』の服を見るつもりが、それもできなくなった。
「俺はけっこう楽しんだけどね。ひさしぶりに雑多な空間を見た」
「雑多か。悠世が作る服とは違う」
「わかってるよ。それを考慮して、分析していたけど、気になったのは『|Fill《フィル》』だけかな」
――悠世は|琉永《るな》に気づいたのか?
いや、まさかなと思いながら、勘のいい悠世を完全に否定できなかった。
俺と悠世が、二人でなにを話しているのか気になる他の親族たちは、チラチラこちらを見ているのがわかった。
月一回の会食は、麻王グループ会長の祖父が決めた決まりごとのひとつだ。
会食の場を選んだのは、社長の父で、祖父が懇意にしていた料理人が調理長となったと聞いて、この和食レストランに決めたのだろう。
食事を楽しむというより、グループ全体の今後の経営の方針を確認するために行われる会食で、これも仕事のうちだ。
「理世。悠世の『|Lorelei《ローレライ》』はどうだ」
祖父は悠世ではなく、俺に尋ねる。
「売り上げは順調ですね。ローレライというイメージモデルが、ブランドの価値を上げてます。メディア露出はギリギリまでにし、止めていますが、オファーはたくさん来ています」
ミュージックビデオの撮影が、悠世の許した範囲で、映画もドラマもすべて断っている。
「悠世。もっとメディアに出せばどうだ? いい広告になるだろう」
父が悠世に言ったが、それを軽く笑い飛ばした。
「俺のローレライは、歌わないローレライですよ。人を惑わし、命を奪っては困る」
悠世のセンスは、誰もが認めるところである。
だが、一度決めたら引かない意思の強さも親族全員が知っている。
そして、どんな場所であっても。必ず――
「ローレライ。君はこのままでいいのかね? 悠世だけでなく、大勢の人と関わり、もっと有名になりたいとは思わないのか?」
ローレライを連れている。
さすがにファッションビルに連れて入るのは、危険だと思ったらしく、車で待たせていたが、昼食会は別だ。
ローレライは父の言葉が聞こえたはずなのだが、隣の悠世をちらりと横目で見る。
「父さん。ローレライは俺のものですよ。麻王グループの持ち物ではありません」
父は苦笑した。
見るからに若いローレライを誘拐してきたのでは、と父は心配し、興信所まで使って調べたのだが、ローレライは未成年ではなかった。
外見からは、美少女にしか見えないが、悠世と出会った時の彼女は二十歳。
時を止めたように、彼女は成長していなかったのである。
これでも、大人の体つきになったほうだ。
父も事情を知っており、息子が犯罪者でなくて安心したが、俺から見たら――
「悠世は犯罪ギリギリだからな」
「兄に向かって、ひどいこと言うなぁ」
「事実だ」
色素の薄い髪と瞳、白い肌をしたローレライは、大勢の前で一言も話さず、皿の上の照り焼きハンバーグをじっと見つめている。
「ローレライ。それは肉じゃないよ」
悠世が優しく彼女に声をかけ、ようやくハンバーグに箸を伸ばした。
肉を好まない彼女の皿には、肉の代わりに豆腐で作ったハンバーグが出されていた。
――悠世の優しい目も声も、ローレライだけに向けられている。
それがわかるからこそ、祖父はなにも言わない。
稼いでいるというのもあるが、悠世が(生意気で)難しい子供であったことは、親族全員の知るところである。
もちろん、弟である俺もたびたび、悠世に巻き込まれている。
――悠世に巻き込まれたという点では、ローレライも同じか。親族にすれば、同情のほうが強いな。
最初からローレライは無口で、ほとんどなにも話さない少女だった。
悠世は突然、彼女を『自分のブランドのイメージモデルにする』と言い出し、麻王グループのアパレル部門に新しいブランド『|Lorelei《ローレライ》』を立ち上げた。
そこからの勢いはすさまじく、あっという間にトップクラスのブランドに成長。
アパレル部門の売り上げのほとんどは、『|Lorelei《ローレライ》』で占められている。
「父さん。『|Lorelei《ローレライ》』は俺と悠世に任せてください」
「もちろん、そのつもりだが、理世。お前はそろそろ結婚相手を決めなさい。早いと思うかもしれないが、お前が麻王の次期社長だ」
父の言葉に周囲がざわついた。
――とうとうきたか。
ワイングラスに入ったスパークリングウォーターを一口含む。
まだ今日は仕事が残っているため、アルコールを口にしない。
祖父は白ワインを好み、白ワインが入ったワイングラスを揺らし、笑った。
「優秀な孫が二人。そのどちらかに、この麻王グループを任せるつもりでいた」
祖父の言葉に父がうなずいた。
老いたとはいえ、祖父の人脈が、会社には必要で、父は祖父を常に立てている。
「会長が言うように、アパレル部門を悠世に任せ、将来的には、グループ全体を理世に任せる。それでいいな? 悠世、理世」
「俺はいいよ」
「それで構いません」
父はホッとした表情を浮かべ、祖父を見る。
祖父はうなずいた。
「どちらも可愛い孫だ。二人の性格を考え、悠世は自由にやらせたほうがいいと思った」
麻王の長男である悠世がデザイナーの道を選んだ時点で、自動的に俺が麻王の跡継ぎになることが決まったようなものだった。
――遅かれ早かれこうなるのは、俺も悠世もわかっていた。
幸か不幸か、俺に固執するような夢はなにもなく、両親に決められた道をただ歩いてきた。
親族の評判も良く、扱いにくい悠世に比べ、扱いやすい俺に、好印象を持っている。
――そうなるように積み重ねてきただけだ。
俺は悠世よりも要領がいい。
信頼を重ねるだけ重ね、最後の最後で、俺は自分の望みを通す。
俺が望むのは、たったひとつだけ。
祖父も父も、俺の本質を見抜けていない。
「理世。お前が後継者だ」
「ありがとうございます」
父はやんわり悠世に嫌みを言うのも忘れない。
「優秀な弟がいてよかったな、悠世」
「そうですね。好きなことができるので助かっていますよ」
嫌みを言われても悠世は平然としていた。
父は『まったく、この息子は!』という顔で、母は黙って料理を楽しんでいる。
お嬢様育ちの母にとって、経営は父任せ。
機嫌良く料理を口に運んでいるところを見ると、息子が優秀でよかったと思っているに違いない。
「さて。後継者がどちらか決まり、今後の動きもはっきりしただろう。そこで、重要な話がある」
祖父は今日一番のいい笑顔を浮かべている。
――ああいう顔をしている祖父は、ろくでもないことを言い出す時だけだと決まっているんだよな。
「老い先短い身。死ぬ前にひ孫の顔が見たい」
「え? 当分、死にそうになさそうだけど?」
「悠世っ!」
父に叱られても、悠世はまったく気にしていない。
「だってさぁ。理世もそう思うだろ?」
「できることなら、少しでも長生きしてほしいですね」
祖父は真っ白な髪をし、着物姿で車椅子に乗っている。
膝が痛いというだけで、あとはまったく問題ない。
「長生きするつもりだが、明日、どうなるかまでわからん。どうだ。二人とも結婚して、祖父孝行してくれないか?」
「いずれ、結婚はしますよ。俺が気に入った相手とね」
「悠世、お前は麻王本家の長男なんだぞ」
「悠世さん。結婚相手だけはきちんとね?」
経営には口だししなかった母が、息子の結婚になると別らしく、口を挟んだ。
両親を悠世がからかい、他の親族がハラハラしている場面を何度も見てきた。
――今日は悠世で話が終わってもらっては困る。
「俺は近いうちに結婚するつもりですよ」
俺の言葉に、さっきまで騒いでいた父と兄が静かになった。
母も驚き、俺を見ている。
「相手さえ、イエスと言えば、すぐにでも」
「……理世? お前が結婚?」
「それはどんな美女だ?」
祖父と父の驚いた顔が、あまりに似すぎていたせいで、思わず、笑ってしまった。
仮にも麻王グループの会長と社長だというのに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「普通の女性です。職業はデザイナーで、まだ駆け出しの新人かな」
「デザイナー? 待て! 理世! お前の結婚相手は、いずれ社長夫人になるんだぞ! しっかり考えろ!」
父は血管が切れるのではないだろうかというくらいの勢いで、まくしたてた。
「理世。この麻王グループのトップに立つ男にふさわしい相手なのか!?」
――大騒ぎになると思っていたがここまでとは。
全員がざわつく中、悠世とローレライは落ち着いていた。
「理世が結婚か。それも、デザイナーとはね。てっきり、祖父か父が選んだ女性を妻にするんだと思ってたよ」
「その予定だったけどね」
「ふーん。お前が祖父と父に反抗してまで結婚したい相手か。ぜひ見てみたいな」
悠世が赤ワインを口にし、くすりと笑う。
――祖父と父が決めた相手でいいと思っていた。|琉永《るな》と出会うまでは。
きっと彼女は気づいていない。
俺と彼女が初めて出会った場所が、パリのカフェでなかったことを。
「一目惚れだったからな」
「お前が?」
「そう、俺が」
悠世と俺が笑うのを見た父は、顔を赤くして怒っていた。
「理世! きちんと説明しないか!」
「父さん。静かにしてもらえますか?」
俺の落ち着いた声音に、麻王一族全員が静かになる。
――積み重ねた『信頼』をすべて使って、君を手に入れよう。
「一目惚れした相手と結婚する。だたそれだけのことですよ」
慌てる祖父も父も俺の障害ではない。
すでに会社は、俺なしではやっていけない。
父も祖父が俺を頼るまで、静かに仕事をこなしていた。
そして、俺を後継者に選んだことで、時は満ちた。
――モデルのリセも兄のブランドを成功させるためのものだった。
穴をあけたモデルの代わりに、たまたま俺が出たというだけだが、悠世は俺に借りができた。
「悠世も賛成してくれている。結婚相手だけは、お前の好きなようすればいいってね」
「悠世。本当か!? お前は理世の結婚に賛成なのか?」
「……まあ、そうかな。そうするしかないね。俺はデザイナーとして生きるつもりだし、後継者は理世だけだよ」
祖父も父も諦めたのか、黙り込んだ。
「悪い男だね。ローレライ、ああいうのを悪い男と言うんだ。覚えておくといいよ」
積み重ねた信頼という名のカード。
それを使って、俺は欲しいものを手に入れる。
――琉永。俺は君に自由をあげよう。そして、俺は君をもらう。
窓の外は灰色に染まっていたけれど、彼女が着ていた青のワンピース。
青いワンピースに目がいき、それを着ていたのが、気になっていたデザイナーの|清中《きよなか》|琉永《るな》だと気づいた。
――同じ人に二度恋をした。
君は自分を駄目だと言うけど、俺はそう思わない。
服を着て、明るい空を思い出させる君は、特別なデザイナーだ。
悠世のように強いインパクトを持つタイプではなく、そこにいるだけで必要とされる存在。
周囲はいなくなってから、初めて彼女の価値に気づくだろう。
「俺の結婚に口出しは無用。それが、会社を継ぐ条件です」
ここにきて、全員がすでに俺の手の内にいることに気づいた。
一人一人の弱みはしっかり握っている。
それを俺は前もって教え、反対できないようにしてあった。
「怖い男だ」
悠世だけが笑っていた。