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深冬芽以
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ペンが紙を削る音が、静寂を切り裂く。
私の指先からノートへと叩きつけられた文字は
インクを超えた「意志」となって施設の電子回路に逆流していく。
【扉、開放】
書き終えた瞬間
磁気ロックが弾け飛び、重厚な鋼鉄の扉がゆっくりと開いた。
アラートが鳴り響く廊下を、私は裸足で駆け抜ける。
目指すのは、地下3階にある特別隔離病棟。
そこに、九条さんがいる。
「栞さん、止まりなさい!それ以上の抵抗は、あなたの身の安全を保障できない!」
廊下の角から、防護服に身を包んだ警備員たちが現れた。
だが、彼らが銃を構えるより早く、私は壁の配電盤のカバーに直接ペンで一文字、【停電】と書き記す。
バチィィィッ!という激しい火花と共に、階層全体の照明が落ちた。
非常用の赤いライトだけが回る中、私は暗闇を味方につけて走り続けた。
ついに辿り着いた、強化ガラスに仕切られた最深部の部屋。
そこに、彼はいた。
「…九条さん……!」
私はガラス越しに彼を呼ぼうとしたが、喉はまだ音を拒んでいる。
部屋の中に座っていた九条さんは、ゆっくりと立ち上がり、私の方を振り返った。
だが、その瞳に、私を案じる光はない。
彼の右耳には、政府が開発した「情緒抑制デバイス」が埋め込まれ
機械的な電子音が彼の脳に常に命令を送り続けているのが見えた。
九条さんは無造作に、腰のホルスターから拳銃を抜き、迷いなく私に銃口を向けた。
「……対象、特定。排除命令を受理」
その声は、かつて私を抱きしめてくれた時の温度を完全に失っていた。
九条さんは、政府の「空白の処刑人」へと作り替えられてしまったのだ。
私は逃げなかった。
ガラスの表面に、震える手でペンを走らせる。
【思い出して。……あの海の色を】
九条さんの指が引き金にかかる。
その時
私のスマホの画面に、かつて療養所で彼と一緒に撮った
ぼやけた海の写真が浮かび上がった。
私の「記述」がネットワークを伝い、彼の視覚野に干渉しようとしたのだ。
「……う、…ぐ…あ……」
九条さんの銃口が、わずかに震える。
彼の右耳のデバイスが、負荷に耐えきれず赤い警告灯を点滅させた。
「……シオ、リ…?」
一瞬だけ、彼の瞳に「人間」の揺らぎが戻った。
だが、その背後のスピーカーから、冷酷な男の声が響く。
『九条巡査長、強制上書きプログラムを実行せよ。……彼女は人間ではない。パンドラの残滓だ。…撃て!!』