テラーノベル
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冬の朝は、寒いよりも、痛い。
分厚いタイツで守っても、悴んで痛い足の先。電車を降りて、それを庇うように歩いていると……見渡す街は、もうクリスマス一色だ。
(坪井くんと、あの合コンで会った時はコートもいらなくて……肌寒いくらいだったのにな)
心は未だ、動き出せないままでも。時間も、季節も、当たり前のように進んでいる。
大判のマフラーをくるくると巻いて耳が隠れるくらいに暖を取っても、まだチクチクと寒い。
(夜も綺麗なのに、全然眺めてる余裕なかったなぁ)
朝だからキラキラとしたイルミネーションはまだ息を潜めているけれど、至る所にツリーが飾られて。
横切るお店の窓にはサンタやトナカイのスッテカーが貼られていたり。
でも実際には。
大人になると、この時期は仕事納めも近く、忙殺されていることが多いと知ってしまっている。
けれど、知っていても。
何となく心が踊ってしまう、季節。どこかで非日常や奇跡を願う季節。……なのだけれど。
(今年ばっかりは……全然かも)
どんよりとした心を引きずるように、真衣香は会社へ向かった。
***
まだ誰もいない更衣室でぼんやりしながら制服に着替える。
ぼんやりの理由なんて、もちろん考えるまでもない。週末の、金曜日の出来事のせいだ。
(……に、しても今日は冷えるなぁ、寒い)
エアコンが効いていないため、寒くて仕方ない。真夏や真冬は、次に着替える人たちのためにエアコンのスイッチを入れるのが、出勤の早い総務の日課だ。
真衣香は少々寒さに怯みながらも、これまた日課の掃除を始めるために、分厚い前開きのカーディガンの袖を豪快に捲し上げた。
ぶるっと身体が寒さを訴えるけれど、気が引き締まるのも確かだった。
更衣室と同様、各部署も大体の人が出勤してくる時間帯に合わせて空調を調整するのだが。営業部に限っては必要としないことが多い。
どちらの時期も繁忙期だからだ。
今日も例外ではないようで、一階はすでに暖かくなっており、もちろん電気もついて。すでに数人が出勤しているようだった。
人が少ないうちに、手をつけられていなかったフロア端にある応接間の掃除に向かったのだが。
しかし、そのすぐ隣にある給湯室の前で、立ち話をする人物を視界に入れた途端。
“しまった“と、真衣香は固まった。
真衣香に気がついた長身の二人の男性。
そのうちの、グレーのスーツをピシャリ着こなすメガネの男性が、まず声を発した。
「おや、朝から会えるとは嬉しいですね。おはようございます、立花さん」
「……お、おはようございます。高柳部長」
小さく会釈してから、随分と恐怖心が薄まった高柳を見上げた。しかしまだドキドキする。
「おはよ、立花。今日も早いね、掃除?」
続いて爽やかな声。緊張している真衣香の方がおかしいのではないかと錯覚しそうな程に、余裕のある挨拶をしてくれる。
「坪井くんも、おはよう……。うん、営業部は最近皆さん早いから、なかなか掃除できてなくて」
「そっか、いつもありがと。ちょうど10時くらいからここ使うから……小野原さんにでもお願いしようと思ってたんだよね」
まだマフラーをつけたまま、この間と同じ黒のダウンも着込んだままで。今、出勤してきたばかりなのだとわかる。
そんな坪井がにっこりと満面の笑みを見せた。
直視できず、チラチラと坪井を見ていると。高柳が、まだ緩めたままだったネクタイをキツく締めながら、真衣香にそっと耳打ちした。
「この間は、あまりゆっくり話せなかったようですね。先程問いただしたら歯切れ悪かったもので」
「う、ひゃ……!?」
不意打ちの吐息、背中に力が入る。あまりにも長く耳元で囁かれた為だ。
高柳が離れた瞬間、恥ずかしさのあまり耳元を押さえた。
「おっと、失礼しました。予想以上に可愛らしい反応で俺も驚いてしまいました」
「……ちょっと、部長何してるんですか、絡むのやめて下さいって本気で」
僅かに苛立ったような声で坪井が言うけれど、愉快そうに口角を上げて、高柳は返事をする。
「何もしてないだろう。少し内緒話をしただけですよね、立花さん」
一瞬張り詰めた空気に、ただ笑顔を浮かべることしかできない真衣香。できれば会いたくなかった人たちとの会話で朝一からどっと疲れてしまったように思う。
「じゃ、じゃあ!小野原さんにお手間かけないうちに終わらせますね」
その場から逃れる為に、手早く掃除を開始しようと動き出した。
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