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母・祥子とともに支度の整ったお茶と茶菓子を応接間へと運ぶことにする。
茶請けには母親が予め用意してくれていた色とりどりの金平糖をガラスの小皿に載せた。
袋から器に取り分ける際、金平糖が皿の上で小さく跳ねてカラカラと涼やかな音を立てるのが心地よくて。
作業がとっても楽しかった天莉だ。
桜茶はほんのりとし塩味のある薄茶なので、茶請けは金平糖や落雁、砂糖コーティングされた豆菓子などのような干菓子系が合う。
桜茶の入った湯飲みに湯蓋をして茶托に載せたものは祥子が運ぶと言うので、天莉は金平糖を取り分けた小皿が載った盆を手に母の後へ続いた。
***
「あら、バナナちゃん、高嶺さんの上で気持ち良さそうね」
手にしていた品々を各自の前に出し終えて盆を横に避け置いてから着座すると、祥子が開口一番バナナに視線を向けて。
「バナナちゃぁーん、ママの所においでー。ほらほら、こっちよー?」
ポンポンとひざを叩きながら懸命にアプローチをしたのだけれど、尽に喉を撫でさすられてご満悦のバナナは、祥子からの猫なで声をスルーした。
「わしもさっきから呼んでみてるんだがな。バナナのやつ、よっぽど高嶺さんのことが気に入ったのか完全無視を決め込んどるんよ」
父・寿史がどこか残念そうに母へ説明して。
天莉は、そんな両親に「彼、猫たらしさんなの。誰も敵わないと思う」とつぶやいて、尽に抱かれたバナナの頭にそっと触れてみる。
「――そう言えば私の住んでるアパート近くにね、何度顔を合わせても全然寄って来てくれない外猫ちゃんがいたの。でも、常……じ、んを見かけた途端駆け寄って来て当然のようにすり寄るんだもん。あれには正直妬けちゃったなぁ」
バナナが、天莉から撫でられるのが不服みたいにフイッと顔を背けるのを見て苦笑したら、尽が即座に「キミが妬けたのは猫に対して? それとも俺に対して?」と続けてきた。
その言葉に、天莉は思わずすぐ隣に座る尽を見て。
存外近い距離でにっこり微笑まれたことにドギマギしてしまう。
「ふふっ。天莉ちゃんは本当に高嶺さんのことが好きなのね」
その様子を見て祥子がそんなことを言って笑うから。
天莉は「お母さん!」と母をたしなめながら、心の中で密かに(ごめんなさい、偽装なんです)と付け足した。
尽はそんな祥子に、「私も彼女を想う気持ちに関しては天莉さん自身にだって引けを取るつもりはありませんがね」だなんていけしゃあしゃあと答えるから。
天莉は(冗談が過ぎます、高嶺常務!)と思わずにはいられなかった。
***
「そういえば高嶺さんは娘の前だと〝俺〟なんですね」
寿史の言葉に、天莉は尽の化けの皮を剥がされたみたいな気持ちがしてドキッとしたのだけれど――。
すぐさま祥子が横合いから「お父さんだって私の前だと〝わし〟じゃないですか。ほら、現にさっきだって……」とクスクス笑うから、確かに……と思ってホッとする。
二人とも余所行きの一人称は〝私(わたし)〟らしいのだけれど、天莉は父親が「わたし」と自称しているところをそんなに見かけたことがなかったので、尽に「貴方と話してるとき、お父さん、『わたし』だった?」と問いかけてみた。
父が「こら天莉っ」と娘をたしなめる声と、尽が「さてね」とお茶を濁す声とが重なって。
祥子が「まぁまぁ。ちょっと私たちが台所でお茶の準備をしてる間に男性陣ふたり、やけに仲良くなっちゃって」とコロコロと笑った。
その上で――。
「私も高嶺さんともっともっと仲良くなりたいと思っているのであえてお聞きしますね。高嶺さんは……うちの娘とは同期、ではありませんよね?」
と声の調子をがらりと変える。
天莉は、母が先程キッチンで話途中になっていたことを切り出しやすいように、場の空気を変えてくれたのを感じた。
***
「あのね、じ、ん。お母さんが向こうでお茶の支度してるとき、私たちの馴れ初めとか聞きたいって言ってて……」
母・祥子のくれた機会をダメにするわけにはいかない。
とても率直なセリフで何のひねりもないけれど、天莉は尽にそう切り出した。
「お父さんもお母さんも……私が同期の男性と付き合ってたの知ってて。なのにバタバタしてて別れたことを話してなかったから……今日はてっきり博視が来るものだと思って待ってたみたいなの」
そこで誰も桜茶と金平糖に手を付けていないことに気が付いた天莉は、「あ、あの……これ、飲んでもいい?」と母を見詰めて。すぐさま「もちろんよ」と頷かれた。
そっと湯飲みの蓋を開けて、ふわふわと漂う湯気の下、淡いピンク色をした桜が花開いているのを確認する。
天莉は茶蓋を茶托の向こう側へ置きながら、そっと隣の尽を窺い見た。
願わくは、このお茶がここにあることの意味に気付いて欲しいと希いながら。
桜茶――桜湯――は晴れの日に出されることが多いお茶だ。
博識の尽ならば、きっとそのことを知っているだろう。
訪れたのは期待していた同期の男性とは違う人だったけれど、祥子は当初の予定通りこのお茶を淹れてくれていた。
それは、尽のことを歓迎していないわけではないという気持ちの表れだと天莉は信じている。
突然不躾な質問を投げかけた両親だけど、根っこの部分では高嶺尽のことを歓迎したいと思っているのだと、尽自身に信じて欲しい。
「あ、あの……、みんなも飲まない?」
話し始めたらきっと長くなる。
「せっかくのお茶が冷めちゃうのも勿体ないし……私だけで飲むのも、何だか緊張しちゃうんだけど……な?」
尽に桜茶を見て欲しい一心の天莉は、話の腰を折る感じになるけれど、あえてそう添えてみた。
「ああ、そうだな。折角用意してもらったんだ。温かいうちにいただこう」
尽は天莉の気持ちを汲んでくれたのか、すぐにそう言ってくれて。
両親も同じように頷いて茶器に手を伸ばしてくれた。
しん……とした室内に、湯蓋が湯飲みや座卓と触れ合って立てる、幽けき音だけが静かに響く。
その音に、グッと緊張が高まった天莉だ。
「桜茶か……」
ふと隣で尽が吐息を落とすようにそうつぶやいたのが聞こえて。
天莉はチャンスだとばかりに「桜茶だなんてお母さん気が早いよね」と返した。
桜茶は慶事の時に振舞われるお茶だ。
尽の両親や天莉の両親が一堂に会しての結納の席でもないのに……と言外に含ませたことに、尽は気付いてくれただろうか。
そのくらいの勢いで、高嶺常務は母から歓迎されているんだ、と伝わって欲しい。
「――そりゃあそうよ? お相手は思っていた同期さんとは違ったけど……お母さん、二人が幸せそうにお互いを見詰める視線、見ちゃったもの。だからね、事情は後から聞くにしても、ひとまずは最初の予定通り天莉ちゃんが大切な人を連れて来てくれたことをお祝いしようって思ったの」
天莉が尽に伝えたかったことに、祥子はすぐに気付いて助け舟を出してくれる。
そう言えば、幼い頃から母はそんなところのある人だったなと思い出した天莉だ。
まるで相思相愛のように言われたのは、偽装の身としてはどこか心苦しくもあるけれど……今は尽に、〝歓迎されている〟のだと伝わったことが何よりも嬉しい。