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「稲川先生の『REIKO』ってやつも怖いって噂聞くんだけど、そっちは見付かんなくて。もぅ、絶対みたいのに!」
「イナガワセンセイ……?」
ラングドシャとクッキーを交互に食べながら、有夏は呆れ顔だ。
「うま! フランスバターのクッキー、もう1個買っときゃよかったな……ぉお!?」
幾ヶ瀬の腕の力が強くなり、有夏は呻いた。
痛いと言っても、彼は画面に夢中だ。
次々と映し出される怪異の映像と効果音に、心なしか血の気を失っている。
「これ……思ってたのと違う…………」
「は?」
「こ、怖すぎる……」
有夏の首筋に顔をうずめて、しかし視線だけはちゃっかりテレビの方を向いている。
成程。
幾ヶ瀬の言う人情味のある怪談話というより、これはジャパニーズホラーの枠に入る作品のようだ。
しかもかなりレベルの高い。
病院を舞台にした理不尽な恐怖体験を、ドラマ仕立てで描いたものであり、幾ヶ瀬の表情が見る間に強張っていくのが分かる。
「はぁぁ……ぁぁぁ…………ありかぁぁ!」
声が可哀想なくらい掠れている。
悲鳴にすらならないらしい。
「そんなになるなら見なきゃいいだろが。土台、作り物なんだし」
「ちょっ、台無し! そういうこと言わないでよ! 心霊映像の中には本物も混ざってるんだよ!」
麦茶を一口飲んで、有夏はちらりと幾ヶ瀬を見上げる。
「まぁ、中には本物もあるかもな。実際、そのテの話はよく聞くし。幾ヶ瀬……」
「な、何?」
意味深な沈黙ののち、有夏は呟いた。
「知ってる? ここのフロ場ってさ……」
「えっ、ここのお風呂場がなに……?」
「実は……」
「あーーー! いやぁぁぁぁ!! やぁーめぇーてぇぇー!!!」
絶叫に有夏、ニヤリと笑う。
「頭洗ってるとき、背後で……」
「あぎゃーーー! うぎゃーーー!!」
有夏が爆笑し、ようやく幾ヶ瀬は我に返ったようだ。
「ひ、ひどい……。有夏、嘘だよね? やめてよ、本当に。怒るよ?」
有夏は目をこすった。
笑いすぎて涙が出たらしい。
大騒ぎしているうちにビデオは終わり、自動で巻き戻しを始めた。
「本当に怖かったけど、有夏がうるさくしてくれたおかげで、気分も紛れたよ」
「うるさくしたのは幾ヶ瀬だけなんだけどな。第一、怖い気分を味わいたいがために、わざわざ金払って借りてきたんだろうが」
小さく呟いて有夏は微笑む。
やわらかな笑みは、整った容貌とあいまって誰もが見とれるものだったろう。
「え? 何なの、有夏……」
だが、幾ヶ瀬は知っている。
この笑顔を見せる時、有夏はロクでもないことを考えているのだと。
「フロ、入れよ?」
「えっ、いや、その……」
「フロ、入れよ!」
完璧な笑顔に、幾ヶ瀬の表情が引きつる。
1時間後。
いくぶん恐怖が薄れた幾ヶ瀬は、有夏に促されるがままに風呂に入った。
「『てるてる坊主』本当に本当に怖かった。稲川淳二先生を見る前に、お風呂入っときゃ良かったよ……」
脱衣場でも何度も口にし、風呂の蓋をあけながらもまた同じ台詞を口にする。
一緒に入ろうと誘ったものの、夕飯前に入浴を済ませた有夏には「は?」と返されてしまう。
気持ちを紛らわせるために、か細い声で鼻歌など口遊みながらシャンプーを泡立てている。
背後なんて気にするまいと、歌は陽気なものをセレクトしたようだ。
「♪ときはなてぇ~こころにねむるぅすべてのパワーをぉぉとざ……え? えっ?」
下手くそな歌が途切れ、彼は恐る恐る背後に視線を送った。
「き、気のせいだよな」
何か音がしたような気がしたのだ。
有夏の脅しを脳裏から振り払うように、体を前後に揺すってリズムをとる。
「♪とざされたぁ~さだめのりこえぇおお……きゃっ!?」
幾ヶ瀬の悲鳴。
気のせいなんかじゃない。
「今……いま……」
コンコンと音がした。
とっさに周囲に視線を走らせるも、音がどこから聞こえたかは分からない。
見られている──そんな気がするだけ。
風呂から出たい。
さっさとシャンプーを洗い流してしまいたいが、それすらも怖い。
最早、眼前の鏡から目を逸らすことすらできない。
全身を硬直させた彼に、更なる恐怖が襲い掛かる。
コンコンコン。
「ヒッ!」
その音が激しくなったのだ。
現世と霊界との境界を横切るような、まるで扉を叩くような音──そこまで考えて、幾ヶ瀬はチラと横目で扉を見やる。
擦りガラスにうっすらと人影が映っていた。
腕が扉にのびる。
コンコン。
「あり、か……?」
力の入らない手で何とかドアを開けると、しゃがみこんだ有夏が顔をあげた。
何ということはない。
音の正体は、恋人の仕業であったのだ。
「有夏、本当やめて……。悪戯がすぎるから。何でそんなにイキイキとしてるの?」
有夏、良い笑顔で立ち上がり、こちらを見ている。
「いたずらじゃないかも? 実際さっき、幾ヶ瀬の背後に……」
あーあーあーーっと幾ヶ瀬が吠えた。
「そ、そんなこと言う有夏には、お、俺のロケットお化けが襲っちゃうぞ!」
「ロケットオバケ…………」
「……って引かないでよ、有夏。不適切な発言でした!」
チラと下を見て、有夏の笑顔は薄笑いへと変じる。
「ロケットって……萎えっ萎えじゃねぇの」
「う……」
自称「ロケット」の萎え具合。
低い笑い声と不躾な視線に、ソレはますます可哀想な状態になってしまった。
「復活を待ってるよ。ベッドで。ハハッ……」
幾ヶ瀬が早々に風呂を出たのは、言うまでもない。
「夏のなごり」完
※次回は「有夏邸 脱・GM屋敷!」というお話です※
【予告】「有夏邸 脱・GM屋敷!」
本格的に始まった有夏邸の大掃除。
(と言ってもアマゾンの箱を潰すだけの作業なんだが)
ゴミの中で何号か前のジャンプを発掘して読みふける有夏。
幾ヶ瀬の出勤時間まで8時間を切ったというのに、
2人は部屋にこもって…。