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新旧双黒短編集一話目。
カップル表現はつけるつもりないですが、根っこが中太と敦芥信仰者なので一応タグつけておきます。
春の陽光が、多摩川の河川敷を穏やかに照らしていた。柔らかな芝生の上に広げられた大きなレジャーシートの上には、色とりどりの弁当箱や飲み物が並んでいる。本来であれば、白昼堂々この両組織が顔を合わせれば火花が散るのが道理だが、今日に限っては、太宰治の「たまには日光浴でもしないと、中也の背がこれ以上伸びなくなっちゃうからね」という余計な一言から始まった奇妙な停戦協定が結ばれていた。
シートの端で、中原中也は不機嫌そうにワイングラスを傾けていた。隣では、太宰が機嫌良さそうに蟹の身を突っついている。
「おい、太宰。なんで俺がわざわざ休日に、青鯖の顔を見ながら外で飯を食わなきゃならねえんだよ」
「おや、中也。私の顔を見るのが嫌なら、あっちの騒がしい若者たちでも眺めていればいいじゃないか。あっちの方がずっと『活気』があって面白いよ」
太宰が指差した先では、案の定、新世代の二人組が火花を散らしていた。
「……芥川! 君、さっきから僕のおいなりさんを狙ってるでしょ! 自分の卵焼きを食べればいいじゃないか!」
「黙れ、人虎。僕の羅生門が、その軟弱な米の塊を排除すべき対象だと認識したまでのこと。そもそも、貴様がそのように無防備に食餌を摂っているのが悪いのだ」
「言い訳が苦しいよ! あ、待って、今僕の箸を弾いたよね!?」
中島敦が必死に弁当箱を死守しようとし、芥川龍之介が外套の裾をぴくぴくと動かしながら、無表情のまま執拗に敦の陣地に侵入を繰り返している。傍から見ればただの子供の喧嘩だが、二人とも真剣そのものだ。
「おい、人虎。貴様、先ほどから僕の茶に埃が入らぬよう、不自然に手を動かしているな。小癪な真似を……」
「それは君の飲み物にゴミが入らないように気を遣ってるんでしょうが! お礼を言われる筋合いはあっても、怒られる筋合いはないよ!」
「貴様の慈悲など、僕には不要だと言っている!」
そんな二人のやり取りを、少し離れた場所から眺めていた中也が、呆れたように鼻で笑った。
「……相変わらずだな、あの二人は。殺し合うか、ああやってガキみたいな喧嘩をしてるかどっちかだ」
中也の言葉に、太宰はふふっと喉を鳴らして笑った。
「いいじゃないか。あんなに全力で相手の行動を観察して、一挙一動に反応し合っているんだ。あれを仲良しと言わずになんと言うんだい?」
「あ? あれのどこが仲良しなんだよ。今にも羅生門で人虎の首を撥ねそうな空気だぞ」
「おや、中也は相変わらず観察眼が鈍いねぇ。芥川のあの外套を見てごらんよ。本当に攻撃するつもりなら、あんなにゆっくりした動きはしない。あれはただの『構ってほしい』のサインさ。それに敦くんだって、本気で嫌ならとっくに虎の脚で逃げ出しているはずだよ」
太宰はそう言って、手元のグラスを軽く揺らした。
「まるで、昔の私と中也を見ているみたいだ。懐かしいなぁ、中也が私の靴を舐めそうになったあの頃を思い出すよ」 「誰が舐めるか! 捏造してんじゃねえ、青鯖! 俺がやってたのは、てめぇの脛を蹴り折る準備だけだ!」 「ほら、今の中也の反応だって、敦くんそっくりじゃないか。結局のところ、気になって仕方がない相手なんだよ、お互いにね」
中也はチッと舌打ちをして視線を逸らしたが、否定の言葉は続かなかった。実際、目の前で繰り広げられている若者たちの喧嘩は、どこか微笑ましく、平和そのものだったからだ。
「……芥川、もういいよ。僕の卵焼きを半分あげるから、その怖い顔をやめてよ。はい、あーん」
「な……貴様、僕を愚弄しているのか!? そのような子供騙しに……むぐっ」
「ほら、美味しいでしょ? 鏡花ちゃんが作ってくれたんだから」
「……悪くない味だ。だが、次からは僕が直接奪う」
「なんでそうなるんだよ!」
強引に口に放り込まれた卵焼きを律儀に咀嚼している芥川を見て、敦が力なく笑う。その光景は、戦場での彼らを知る者が見れば腰を抜かすほどに平和なものだった。
太宰はその様子を見届けると、満足げに背後の桜の木に寄りかかった。
「新旧揃って、平和なことだ。かつての『双黒』がこんな風に川べりで並んで座る日が来るなんて、誰も予想していなかっただろうね」
「……ああ。全くだ。てめぇがポートマフィアを抜けた時は、まさかこんな風に酒を飲むことになるとは思ってなかったぜ」
中也がぼそりと呟く。それは、普段の罵り合いの中には決して出さない、本心に近い言葉だった。太宰はそれを聞き逃さなかったが、茶化すことはせず、ただ穏やかに目を細めた。
「中也。あの子たちは、私たちよりもずっと上手くやっていくよ。敵対しながらも、こうして笑い合える時間を、彼らは無意識に守ろうとしている。それは私たちが教えたことではなく、彼ら自身が見つけた答えなんだろうね」
川風が吹き抜け、桜の花びらが数枚、シートの上に舞い落ちた。
「……おい、太宰。お前、さっきから自分の弁当の煮物、俺の皿にこっそり移してねえか?」
「おや、バレたかい? だって、中也は小さいから、もっとたくさん栄養を摂らないといけないと思ってね。私の深い慈悲だよ」
「ふざけんな! 嫌いな椎茸を押し付けてるだけだろうが!」
再び始まった旧双黒の言い争い。それを見て、今度は少し離れたところにいた敦が顔を上げた。
「あ、見て芥川。太宰さんたちも楽しそうだね。やっぱり、あの二人ってすごく仲が良いんだね」
「……ふん。太宰さんの深謀遠慮を、あのような低俗な喧嘩と同一視するな。だが……」
芥川は少しだけ言葉を切り、中也に怒鳴られている太宰の、どこか楽しげな横顔を見つめた。
「……太宰さんが、あのように屈託なく笑っている姿は、僕がマフィアにいた頃には一度も見せなかったものだ」
「そうだね。僕も、太宰さんが中也さんといる時が一番、なんだか……『人間』っぽく見える気がするんだ」
敦の言葉に、芥川は否定しなかった。二人はしばし、自分たちの師匠とその相棒が繰り広げる、レベルの低い喧嘩を黙って眺めていた。
「おい人虎。いつまで見ている、次はこの僕が、貴様のその握り飯を……」
「あー! また始まった! もう、本当に二人ともそっくりなんだから!」
夕暮れが近づき、空がオレンジ色に染まり始める。 河川敷には、四人の笑い声と、絶えない罵倒と、そしてそれらを包み込むような穏やかな春の空気が満ちていた。 殺伐とした殺し合いも、裏切りも、今日だけはこの場所には存在しない。 ただ、新しい世代と古い世代の二組の「相棒」たちが、不器用ながらも同じ時間を共有している。
太宰は、隣で顔を真っ赤にして怒っている中也の帽子を指先で弾きながら、心の中で思った。 この光景を守るためなら、多少の厄介事も悪くはない、と。
「中也、見てごらん。新双黒の二人が、こっちを呆れた目で見てるよ。恥ずかしくないのかい、年長者として」
「てめぇが原因だろうが! ……ったく、帰るぞ。酒が切れた」
「賛成だ。じゃあ敦くん、芥川くん、後片付けは君たちに任せたよ!」
「「ええっ!?」」
最後まで理不尽な先輩たちに振り回されながらも、敦と芥川は文句を言い合いながら片付けを始めた。 その背中を見送りながら、太宰と中也は並んで歩き出す。歩幅は驚くほど合っており、その影は長く伸びて、一つに重なっているようにも見えた。
春の夜風が、今日一日の穏やかな記憶を運んでいく。 新旧双黒という名で呼ばれる彼らの間には、言葉にするには気恥ずかしく、けれど決して切れることのない、強固で平和な絆が、確かにそこに存在していた。