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🫧第3章「泡の庭と、音の果実」
図書館の扉をくぐると、そこには泡でできた回廊が広がっていた。
壁には無数の鏡。
その中で、ふたりの姿が少しずつ変化していた。
聖名(みな)は、自分の制服がやわらかな水色のワンピースに変わっていくのを見た。
泡の模様が裾に揺れ、髪にはスプーンの形をしたリボンが絡んでいた。
首元には鍵の形のペンダント。図書館の奥にあった“記憶の扉”とよく似ていた。
「この服……夢で見たことがある。
名前を持たないわたしが、泡をすくって歩いてた姿」
律もまた、制服が白とグレーの衣装に変化していた。
胸元の懐中時計は微かに揺れており、耳元には小さな金属製の“時感測器”がきらめいていた。
目元を覆う淡いメッシュのヴェールには、“言葉になる前の時間”が記されていた。
「泡の時間を守るのが、ぼくの役割らしい。
君が忘れてしまいそうな音を、ちゃんと拾いにきた」
その姿はまるで――アリスと時計うさぎだった。
泡でできた回廊を、ふたりは並んで歩き始めた。
泡の庭園は静かだった。
泡果(ほうか)と呼ばれる果実が、宙に浮かぶ枝にぶら下がっていた。
それぞれの果実には、感情の名前が刻まれている。
「懐かしさ」
「言えなかった好き」
「誰にも届かなかった怒り」
「笑ったふりの寂しさ」
聖名(みな)は、ひとつだけ選んで口に運んだ。
それは「律くんへの声にならない好意」――泡果の甘さが、胸の奥に広がる。
律はそれを黙って見ていたが、自分も「失われた旋律」の泡果を手に取り、静かに齧った。
感情が口の中で泡立ち、記憶の形になっていく。
ふたりは、お互いの目を見て笑った。
「食べられる感情って、不思議だね」
「泡にならなかったものを、ちゃんと味わえるってことだね」
庭園の奥には、大きな泡時計が立っていた。
その時計の針は逆回りで、ふたりが食べた泡果の記憶を巻き戻していく。
律は聖名(みな)に向かって静かに言う。
「ぼく、夢の中で君と出会ったとき――
時間が止まってくれたらいいのに、って思ったんだ」
聖名(みな)は一歩近づき、スプーンのリボンをそっと撫でた。
その指先に、泡がふた粒ほど浮かんだ。
「律くんがいたから、わたしも自分を泡にしなくて済んだ。
夢の続きにいるなら、名前じゃなく感情で話せるから」
ふたりの衣装は、泡の風にふわりと揺れた。
泡アリスと時計うさぎは、泡果の庭を越えて、次の記憶へ向かって歩いていった。
泡は割れずに、空に残った。
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