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#学パロ?
44
ユイ
51
昼間の騒がしい歓迎と、怒涛の配属手続きを終えた頃には、ラバウルの空は燃えるような夕焼けに染まっていた。
南洋の夜は、驚くほど急にやってくる。
昼間と同じ、建物の裏手。
僕はパイプ椅子に腰掛け、すっかり冷めてしまった二杯目の珈琲を眺めていた。
慣れない南方の日差しと緊張で、頭が少しぼんやりとする。
「おい、新入り。そんなところで何をしている」
また、あの声だった。
振り返ると、上着の第一ボタンを外し、少し崩した軍服姿の笹井中尉が立っていた。
手元には、昼間と同じ白いマグカップがある。
「あ、笹井中尉殿! すみません、涼んでおりました」
慌てて立ち上がろうとする僕の肩を、中尉は大きな手で軽く制した。
「座っていろ。任務外だ」
と言いながら、中尉は僕の隣の椅子に腰を下ろす。
「和歌山の白浜、だったな」
中尉が、西の空を見つめたまま呟いた。
「え……? はい、そうです」
「書類を見た。軍人一家の三男坊か。……故郷の親御さんは、よくお前を送り出してくれたな」
「いえ、母には猛反対されました。『お前まで行かれたら、誰がこの家を継ぐのよ』って、毎回。……僕の家、兄たちもみんな軍人なんです。正直、当時は受かるわけないだろって思っていたのに……受かっちゃって」
そこまで喋ってから、僕は口を噤んだ。
上官に対して、あまりにも軽率な身の上話をしてしまった。
しかし、笹井中尉はどこか愛おしそうな目で僕を見た。
「母親なんて、そんなものさ。俺の実家は東京でね。お前と同じように、お袋は俺が家を出る最後の朝まで、ずっと怒ったような顔をして飯を作っていた。……当時はそれが鬱陶しかったが、この空に上がって、初めて分かったんだ。俺たちが命を懸けて守る国っていうのは、あのうるさい母親たちのいる、あの家のことなんだよ、速中」
「……っ」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
その時だった。
少し離れた宿舎の暗闇の向こうから、ギチッ、ギチッ、と、不気味にきしむ重苦しい音が響いてきた。
見ると、月明かりの下、一人の下士官が、夜だというのに黙々と自分の体に太いロープを巻き付け、それを頑丈な木の幹に結びつけていた。
男は狂ったように、全体重をかけてそのロープを全力で引っ張っている。
その後ろには、僕と年齢の近そうな、小柄な少年兵が心配そうに佇んでいた。
「……あの、笹井中尉。あの方は、一体何をしておられるのですか?」
僕が怪訝に思って尋ねると、笹井中尉は空になったマグカップを弄びながら、ふっと苦笑いを浮かべた。
「ああ、あれか。……あいつは毎晩、ああして体にロープを縛り付けて、戦闘機がG(重力)で激しく旋回するときの筋力トレーニングをしているんだよ。どんなに過酷な空から帰ってきた日でも、一日も欠かさずにな」
「夜中に、あんな不気味な訓練を……」
驚く僕をよそに、暗闇の向こうから、ロープを引く男の静かな声が夜風に乗って聞こえてきた。
一緒にいる少年兵に向けて、諭すように語りかけている。
『いいか、井崎。どれだけ周囲に臆病者と罵られようとも、俺は何としてでも生きて帰る。故郷で待つ妻と、まだ見ぬ娘のために。死んでしまえば、残された者は一生泣き続けることになる。お前も、死ぬための訓練ではなく、生き残るための訓練をしろ』
命が蝋燭の燈のように軽いこのラバウルで、その見知らぬ男の言葉だけが、ひどく重く、暗闇の中に溶けていった。
「……変わった奴だろう」
笹井中尉が、静かに立ち上がった。
「だが速中、お前はまだ十六歳だ。あいつの言う通り、お前には何が何でも生きて帰ってもらわなきゃ困る。……さぁ、明日からは早いぞ。もう寝ろ」
中尉は僕の肩をポンと叩くと、先に闇の中へと歩いていった。
一人残された僕は、しばらくの間、遠くで黙々とロープを引き続ける「名前も知らない下士官」の背中を、ただじっと見つめていた。
コメント
5件
ほんとにおもしろいです! 読み漁ります…
みぅです🤍🥀 第4話、読み終わりました。 夕焼けのラバウル、笹井中尉との会話、そして夜の訓練…「生き残るための訓練」という言葉が胸に刺さりました。命が軽いこの地で、現実と向き合いながらも故郷を想う人たちの姿が、静かに、でも確かに伝わってきました。 みどりいろさんの描く「空と故郷」の距離感が、すごく好きです。次話も楽しみにしてます🥀