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ガヌロンはその劇の噂を初めて聞いた日、鼻で笑っていた。
どれだけ事実を訴えようと所詮物語、虚構の産物である。そんなものが現実に影響を与えるわけがない。人々の中で娯楽として消費され、やがて飽きられるだろう。
確実にガヌロンを糾弾するつもりならより直接的にヴィドール家を、ひいてはガヌロンを揶揄する内容にしたはずだ。まぁ、そんなことをしてきた日には逆に名誉毀損で訴えてやるし。事実無根であると言えばいいだけである。
証拠など、どこにもありはしない。
その上、目撃者はすべてガヌロンの腹心、それも領地を間接統治している間柄である。表だってヴィドール家に逆らうことができるものがいない以上、虐待の事実はいくらでも握りつぶせる。
そもそも、女子供を多少しつけたところで何が問題だというのだ。
どうでもいいことで騒ぎおって。
観劇から数日が経過してなお、ガヌロンは鼻で笑っていた。
笑っているうちにすべては飽きられ、流れていくはずだ。
そのはずだった。
「また? お父様、なぜお茶会に出られないの?」
まず、娘のアンナが茶会を断られるようになった。
断られるというか、そもそも誘いの手紙が届かない。
人づてに催しがあると知り、アプローチをかけてみても。なかったことにされたり、手紙を受理してくれないこともあった。
理由を問い質すと。皆、概ねこんなことを言う。
「ご冗談を、アンナ様は敵国の王子とご結婚されているはずです」
「私はもちろん差別しませんが、他のみなさんの目がありますから。敵国に嫁いだ令嬢をうちが主催の茶会に呼ぶわけにはいかないんですよ」
馬鹿な、嫁いだのはフェーデであってアンナではない。
その為にフェーデを捨て石に。
ガヌロンは即座に間違いを指摘しようとしたが、それはできない。
フェーデはまだ結婚できない年齢なのだ。
結婚が停戦条件になる和解の場に、結婚できない娘を連れて行く。
それは停戦などする気はさらさらないという意思表示になる。
和平を望む本国ランバルドの意思とはかけ離れた行為だ。
だから、結婚したのはアンナということになる。
そうでなければ理屈に合わないのだ。
「ぐっ」
本来のガヌロンの計画では、フェーデをフリージアに嫁がせ自殺させることでフリージアが娘を殺したという大義名分を作り、戦争を再開するはずだった。
だが、その計画は破綻した。
これまでどんな命令にも従ってきたフェーデがどういうわけか急に自我を持ったからだ。
その後の動きも想定外だった。
嫁いだ途端、フェーデを守る辺境城塞都市トロンは急激に経済を回復し、長い戦争で受けた傷を癒してしまった。最悪一息に殺し尽くせば良いという雑な案はここに破れることになる。
その結果、起こったのはこの奇妙な現象だ。
アンナは確かにここにいて、昔から今でもアンナであるはずなのに。世間的にはそうだと認識されていない。
「アンナ様はご結婚されているはずだ。敵国の王子と」
そう、誰もが思っている。
まずい、非常にまずい。
こうなると、もはやアンナがアンナとして結婚することはできない。
当事者のアンナは困惑するばかりだったが、継母は怒り狂った。
意味がわからない理由で娘が娘として認識されなくなってしまったのだ。
せっかくヴィドール公爵家に嫁いだのに、連れ子のアンナは誰とも結婚できなくなってしまった。
ここで連鎖的に問題が発生する。
そうなるとヴィドール家の跡取りがいなくなってしまうのだ。
どこからか養子をとるようなことでもあれば、継母の立場はかなり弱くなるだろう。
方法を二つ思いつく。
一つは、ガヌロンと夜伽を重ね。新しい子を産むこと。
見下し続けていた無能な男に組み敷かれる自分を想像して、継母は怖気立った。
そんなことは考えたくもない。
継母が求めたのは富と名誉であって、どうしようもなく弱い男のくだらない愛などではなかった。
もう一つは。
アンナに妹の名を名乗らせること。
実の娘ではなく、今は亡き前妻の娘。フェーデの名を名乗らせれば結婚は可能である。
だが、その場合でも継母の立場は弱くなるだろう。
何より、実の娘を他人の名で呼び続けなければならなくなる。
あの女の、娘の名を。
耐えがたい二択に継母の心はドス黒く燃え上がった。
政治に暗く、面倒事を他人に押しつけ続けてきたがために継母は真相に辿り着けない。
これは一体何だ? 何をされた? 何が起こっている?
何をされたかわからないが、絶対に何かされているはずだ。
フェーデ……! お前がやったのか!?
小賢しい女め!!
なぜこんなことになっているのかガヌロンに問い質しても、当たり障りのない言葉が返ってくるだけだ。ただ「俺にもよくわからん」とはぐらかし続ける。
この問題の原因を理解しているガヌロンは、自分がその原因の一端を担っていることを説明したくなかった。黙っていれば隠しおおせるだろう。そう高をくくったのである。