テニスボール事件から8年。瑞留が伝えたい本当の思い
2018.11.26
2007年8月新南瑞留(みずる)(仮名)という名前の15歳の少年がいた。瑞留はテニスを習っており、検定受かるように頑張っていた。だが、2008年6月その試験には落ち、ライバルの青木颯太(15)と南鳥実句(15)に抜かされた。抜かされた後も成績が伸びることなく、抜かされたままだった。だんだんライバルたちに煽られるようになってきた。2009年3月この時に怪我をさせる思い別名(傷意)が芽生え、どんどん怪我の計画が進んだ。この時から勉強も、習い事にもついていけないなり、テニスは休んだことが多かった。2010年11月26日、ついに事件の時を迎える。この時は1年ぶりにテニスクラブに所属した。瑞留はテニスボールを一球持ち背中に当てて骨折してやろうと思った。当時、瑞留は野球をやっていたので送球のスピードは100キロ超。当たったら骨折しかねない。午後7時30分送球スピード101キロ(自称)の玉が颯太の背中に当たった。すぐに颯太は倒れ、何にも言えない状況だったという。骨が明らかに曲がっていたので救急搬送された。瑞留は担当コーチと責任者、オーナーと状況を話していた。
1時間後家族や担当コーチの話を受けた瑞留は家に帰り26日夜は家で眠った。
27日の朝すぐに颯太が行った病院に向かった。診察の結果は心筋骨骨折、背骨骨折。こうなったばかりに颯太は心筋梗塞を発症。2年半の入院のなった。瑞留は29日の朝に未成年補導施設に留置となった。事件から2年半の2013年4月、ようやく颯太が復活した。二人とももう、20歳になっていた。瑞留は未成年補導施設から出所した。2013年9月、瑞留はテニスを辞め、勉強を頑張り、頭のいい大学を修了した。
【この話はフィクションです】