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考えてみれば、自分以外の人間――例えば荒木羽理や法忍仁子、屋久蓑大葉、もっといえば五代懇乃介なんかにもそういうところが見受けられる。
|岳斗《がくと》は、自分には欠落しているそういう損得勘定抜きの行動を、ついさっき会ったばかりの人間にも向けてくれる|杏子《あんず》にますます惹かれていることを自覚した。
杏子は食事中、それこそ自分の失恋のことにすら岳斗を気遣ってか触れようとしなくて。仕事のことなど当たり障りのない話ばかりを振ってくれた。
実際は岳斗の傷心なんて所詮はまやかし。元々大したことはなかったし、どちらかといえば杏子の心の傷の方が出来立てほやほやで痛ましいくらいのはずだ。
(僕が嘘をついて誘っていなかったら……色々聞いてあげられて、杏子ちゃん、少しはデトックス出来たのかな?)
ふと、杏子目線に立ってそんなことを思ってしまった自分の変化に、ちょっとだけ驚いてしまった岳斗である。
結局、杏子の心を慰めるきっかけが掴めないまま、仕事のことを中心に何ということのない、取り止めのない話をしてしまったのだけれど。
そうする中で、杏子が事務用品を扱う会社の経理課に所属していることが分かっていつの間にか、「わー、僕も経理課を取りまとめる財務経理課長なんだ。なんか縁があるねー」と大いに盛り上がってしまった。
業種は違っても、経理というのは大抵やることが同じというのも良かったんだろう。
もし一緒に行っていたのがアルコールありきの店だったなら、酒の力でもっと別の話に展開していけたのかもしれないが、ソフトドリンクばかりが並ぶファミレスのドリンクバーではそこまではのぞめなかった。
だが食事に行く前は、アパート前まで送るのが関の山だと思っていた杏子が、「すっかり遅くなっちゃたし、部屋へ入るところまで見届けさせて?」という岳斗の願いを聞き届けてくれただけでも上々だろう。
(わー、これは結構ニアミス)
彼女を部屋前まで送り届けてみて分かったのだけれど、杏子は荒木羽理の部屋の、ちょうど真下の部屋に住んでいた。
隣室とかでなかっただけマシなのかも知れないけれど、恋人の部屋へ屋久蓑大葉が結構頻繁に出入りしていることを思うと、心がざわついてしまった岳斗である。
(先手を打っといたほうがいいかな)
生来の腹黒さ発動で、そんなことを思ってしまった。
***
――もしよろしければ、お茶でも飲んで行かれませんか?
今現在フリーの異性を部屋まで送ったのだ。
結構打ち解けることが出来たと思うし、岳斗だって男だ。そんな誘いを期待していなかったわけじゃない。けれど、杏子はそこまで身持ちの緩い女性ではなかった。
「あの、岳斗さん。……本当におごって頂いてよかったんでしょうか?」
自宅ドアをほんの少し開けた状態で戸惑ったようにノブを手にしたまま岳斗の方を振り返った杏子が口走ったのは、岳斗が期待したような〝お誘い〟ではなかった。
だけどそこがまた杏子らしくていいな? と思ってしまった岳斗だ。
それと同時、独身女性が、一人暮らししている部屋の扉を開けて自分を送ってきた男に声を掛けるだなんて、無防備過ぎるな……と不安も覚えて。
(僕が送り狼だったら……部屋に押し入られて襲われちゃってるよ?)
心の中で吐息交じり。そんなことをつぶやきながらも、岳斗は表情にはおくびも出さずにニコッと微笑んだ。羽理が長いこと騙されていた、倍相課長のほわんとした〝人畜無害〟な笑みである。
「もちろんいいに決まってるよ。だって、食事に誘ったのは僕だからね」
「でも……」
たかだかファミリーレストランでの微々たる支払いを、岳斗が杏子の分まで済ませただけ。
下手したら夕方に法忍仁子へ持たせたフレンチの方が、値が張ったくらいだ。
なのにそんなことをずっと気に病んでいる様子の杏子に、岳斗は『ならばこのチャンスに便乗させてもらおうかな?』と心の中でほくそ笑んだ。
何より岳斗はまだ、杏子の連絡先さえ聞き出せていないのだ。
「――だったらさ。えっと、僕、また杏子ちゃんとこんな風に話せたら嬉しいな? とか思ってるんだけど……今度待ち合わせしてカフェとか行かない? その時には僕の分を杏子ちゃんにご馳走してもらって、今回の分をチャラにするとかどうだろう? ダメかな?」
当然、岳斗としては杏子におごってもらう気なんてさらさらないのだけれど、こういう誘い方をすれば経理課配属で、やたらと律儀な性格の彼女なら乗ってくるかな? と賭けに出たのだ。
もちろん、『ダメかな?』と小首を傾げて眉根を寄せたのだって計算づく。
あえて恐る恐る、杏子の出方を窺うように……といった雰囲気を漂わせながら携帯を差し出しながらそう問い掛けたのだってそう。
だから、「あ、はい! ぜひ!」と杏子から色よい返事をもらえて、やっと彼女の連絡先をゲットすることが出来た時には、胸の内で『よし!』とこぶしを握り締めた岳斗だったのだけれど。
「その時はまた、課長さんの視点で色々相談に乗って下さいね? 今日も凄くためになるお話ばかりで私、目からうろこでした」
ニコッと笑いながらそう告げてきた杏子は、残念ながら岳斗のことを異性として認識してくれているようには思えなかった。
そこがちょっぴり不満な岳斗だったけれど、思えば屋久蓑大葉を好きになる女性は、きっとみんなこんな感じ。向けられる好意に疎くて手強いに違いない。
(荒木さんにしてもそうだったし……きっと杏子ちゃんも相当鈍感な子だ……)
異性から個人的に食事やお茶に誘われて、下心を感じない子は珍しいと思う。
現に、岳斗が食事に誘えば、大抵の女性は岳斗がその先を望んでいることを察知してすり寄ってきたものだ。
だからこそ、羽理の時と同じ轍を踏むつもりはさらさらない岳斗である。
(今度こそまどろっこしい真似はしないで、直球で勝負しよう)
杏子と別れてすぐ、大葉に意味深なメッセージを送ったのだって、実はライバル(?)に対する〝牽制〟のつもりだった。
何せ、杏子と荒木羽理は家が近過ぎる。もしものことが起こってからでは遅いのだ。
――貴方が手放した女の子、僕が頂きますので、もう手出しはしないでくださいね?
腹黒っぽさを発動させて、大葉にそんなことをしてしまったのは、自分に自信が持てないからに他ならない。
大葉が荒木羽理以外の女性に見向きもしないことは承知の上で、それでも下手なことをして杏子ちゃんの心をかき乱すような真似だけはしないで欲しいと、岳斗は心の底から希ってしまったのだ。
さて、牽制を掛けた屋久蓑大葉から岳斗に電話が掛かってきたのは、杏子をアパートの部屋前まで送り届けた後。――岳斗が、「さて、帰るか」と少し離れたコインパーキングに駐車してあった車に乗り込んだときのことだった。
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