テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
入浴後、濡れた髪をタオルで拭いながらリビングに戻ると、ソファに腰掛けてパソコンを立ち上げた。ビールを片手に、東雲から受け取ったUSBの中身を改めて確認する。
その中には、片桐課長のひき逃げ事件に関する記事が数枚収められていた。
夕刻の薄暗い時間帯、天気は曇り。資料によれば、車は突然課長に向かって猛スピードで突っ込んできている。目撃情報も少なく、車のナンバーも偽装されていたため、犯人に繋がる直接的な手掛かりは乏しい。警察は今も犯人の行方を追っているが、捜査は難航しているようだった。
「……」
事故の状況は、今回の瀬名の件と酷く酷似していた。ブレーキ痕はなく、未必の故意による犯行だと思われる。同一人物によるものか、はたまた組織ぐるみの犯行なのかは定かではないが、瀬名をあんな目に遭わせた犯人を捕まえないことには気が済まない。
思わず缶を握る指先に力がこもり、ぐしゃりと嫌な音が響いた。溢れ出したビールが手を伝い、テーブルに液だまりを作る。理人は慌ててタオルでそれを拭った。
「チッ……」
小さく舌打ちをして、理人は新しい缶ビールを開けると、苛立ちを鎮めるように勢いよく喉へと流し込んだ。
翌日、病室へ向かうと、看護師から瀬名が二人部屋へ移ったと知らされた。入院が長引けば差額ベッド代も嵩むだろうし、仕方のないことだとは思うが、随分と急な話だ。
昨日はそんな兆候もなかったのに……といぶかしみながらも、理人は指定された病室へ向かった。
ノックに対して「どうぞ」と聞き慣れた声が返り、扉を開ける。そこには、ベッドに腰掛けて隣の住人と楽しそうに談笑している瀬名の姿と、見慣れない綺麗な女性を連れた萩原がいた。
「あ! 部長、お疲れ様です!」
「なんだ、君も見舞いに来ていたのか」
理人が声を掛けると、萩原は何とも言えない複雑な表情を浮かべて理人を見た。
「ええ……。僕は片桐課長のお見舞いに来たんですけど、そしたら瀬名さんが隣にいたんで、今びっくりしていたところだったんです」
「えっ?」
そこでようやく、理人は瀬名の隣のベッドにいる人物が片桐であることに気が付いた。
「部長は瀬名君のところには毎日来ているそうだが、私のところには全然来てくれないんだなぁ」
「す、すみません! 決して蔑ろにしていたわけではなかったんですが……」
瀬名のことで頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかったとは口が裂けても言えない。理人は冷や汗を流しながら、なんとか言い訳を紡いだ。
「ふふ、冗談だよ。それにしても、こんな場所が初対面になるとは思ってもみなかった。部長がベタ褒めする社員なんて珍しいから、一度会ってみたいと思っていたんだ」
「ちょっ、片桐課長!」
「へぇ……。理人さんが僕のことをそんな風に。……嬉しいなぁ」
「う……っ。ま、まぁ……私だって人を褒めることくらいある」
「でも俺、部長が人を褒めるのなんて見たことないですけどね」
「……っ」
萩原の追い打ちに言葉を詰まらせる。どいつもこいつも、余計なことばかり言いやがって! 理人は恥ずかしさを隠すように、わざと不機嫌そうに顔を歪めた。
「あ、理人さん。もしかして照れてます? 可愛いなぁ」
「馬鹿を言うな! 照れてなどいない!」
理人が否定すればするほど、瀬名は面白がってからかってくる。そんな二人の様子を、片桐と萩原は微笑ましそうに眺めていた。
「いやぁ、今日はいい日だ。萩原君の奥さんも拝めたしね。正月明けの復帰が楽しみだよ」
「もしかして、退院が決まったんですか!?」
片桐の言葉に、理人は思わず身を乗り出した。
「ああ、無事に今日、退院許可が下りたんだ。年越し直前になってしまったが、間に合って良かった」
片桐によれば、定期的なリハビリは必要だが、明日にはもう退院できるという。
「そうですか……。良かった。おめでとうございます」
理人は心の底から安堵し、胸を撫で下ろした。これでひとまず、仕事の負担も少しは減るだろう。
「復帰したからといって、あまりこき使わないでくれよ? 鬼塚部長は人使いが荒いからなぁ」
「なっ!? いくら何でもそこは配慮しますよ!」
「ふふ、冗談さ。冗談」
「……ったく」
すっかり毒気を抜かれた気分で、理人はひっそりと嘆息した。 片桐課長が復帰するとなれば、あとは――あの「事件」の主犯格をどうにかするだけだ。
それから暫くの間、病室に満ちる穏やかな空気を楽しんだ後、理人は萩原と共にその場を後にした。