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大葉の家は会社のすぐ近く――徒歩圏内――だ。
対して、羽理の家から大葉の家までは車で約二十分と、そこそこ離れている。
マンションに立ち寄って、羽理のことを柚子にお願いしたりする時間も考えると、通院した体でここを後にするのは最低でも予定出社時間までに四十分以上ゆとりがある状態にしたい。
そんな思いのせいだろうか?
お互い有休を取っているくせに、時間を重ねないよう気を付けながら洗面所やトイレを使い分けた結果、いつもの出社時間に間に合う感じで支度が整ってしまった。
(イチャイチャする時間が残ったんじゃね?)
ホクホクしながらそう期待した大葉だったのだが、自分がすこぶる快調なせいで、羽理がズタボロなことをスッカリ失念していたりする。
加えて、羽理の家に置かせてもらっていた、着替えの中からきっちりとしたスーツを選んで身を包んでしまった結果、余りバカなことが出来ないな?と気が付いた。
(ジャケットだけでも脱ぐか?)
なんて思いながら玄関先にある姿見の前でチェックしていたら、大葉の服装が意外だったらしい。
「あれ? 大葉、今日は作業服じゃないの?」
ヨロヨロと壁を擦るように近付いてきた羽理が、キョトンとした顔でそう問いかけてきた。
大葉は、役職的には総務部長だが、基本的には作業服で出社することが多い。
現場の視察に行って、作業風景を見ていたらウズウズと我慢出来なくなって、手伝ってしまうことがままあるからなのだが、そこはまぁ臨機応変。
会社にはスーツも作業服も両方着替えが置いてあって、必要に迫られれば今みたくしっかりスーツに身を包む。
「ああ。今日は出社したらすぐ、社長室へ出向こうと思ってるからな」
作業服のままで社長と対面することもなくはないのだが、最初からトップの元を訪れるつもりなのだ。さすがに気持ちを引き締めてネクタイも締めるべきだろう。
だが考えてみれば羽理に認識されてからこっち、スーツを着たことはなかったな?と気が付いた。
「なんだ、ひょっとしてスーツ姿の俺に見……」
「社長室って……。あっ! 有給を頂いた絡みですか?」
羽理にカッコイイと言って欲しくて「見惚れたのか?」と、付け加えたかった大葉なのに、肝心な言葉へ被せるように別のことを質問されて、さすがに(こいつ、わざとだろ!?)と思ってしまった。
「お前、少しは俺の話聞けよ!」
「ちゃんと聞いて反応してるじゃないですか」
「だから……そっちじゃなく!」
「そっちって……どっちですか!?」
「もういい!」
***
ムスッとしてそっぽを向いてしまった大葉に、羽理は痛みも手伝って、(何なのもう!)とプンスカした。
大葉が鏡の前に立っているせいで、自分のコーディネイトチェックが出来ないことにもイライラしてしまう。
(せっかく頑張ってここまで辿り着いたのにぃ! 痛む身体を引きずって来た意味!)
頭の中で盛大にヤイヤイ文句を言いながら、でも何となく素直にそれが言えなくて、羽理は無言で圧を掛けるみたいに大葉の背後をキープし続けた。
「な、なんだよ……!」
「別に……」
お互いにムスッとして鏡の前――。
これが大葉の家ならばきっと……今頃足元にキュウリちゃんがテトテトとやって来て、『どうしたんですか?』と言わんばかりにつぶらな瞳で自分たちを見上げてくれているだろう。
そうして、キュウリちゃんを二人して気にしている内に、何となく話せるようになるのだ。
「キュウリちゃんが恋しいです……」
無意識にポツンとつぶやいたら、大葉がハッとしたように「なぁ羽理。それって……」とつぶやいて、期待に満ちた目で羽理を見詰めてくる。
(何故そんなキラキラした目で私を見詰めてきますかね!? さてはキュウリちゃんのつもりですかっ!?)
などと思いつつも戸惑いを隠せない羽理は、キョトンとした顔で大葉を見詰め返したのだけれど。
「あ、いや……、いい」
何をどう納得したのかは分からないけれど、大葉の機嫌はすっかり回復しているみたいだ。
羽理は心の中で(キュウリちゃん効果凄い!)と、ちょっぴりズレたことを考えていた。
***
鏡の前で羽理と二人。
何となく気まずい雰囲気になってしまっていたけれど、それを打開する上手い方法が見出せなくて、大葉は己の不甲斐なさを痛感していたのだけれど。
不意に羽理が「キュウリちゃんが恋しいです……」とかつぶやくから。
(それって、俺の家に住みたいってことだよなっ!?)
と、羽理が聞いたら『何でそうなりますかね!?』と言うであろう斜め上なことを思っていた。
実は、これからしばらくは羽理の身体の不調を理由に羽理を留め置けるとして、その後どうしたら同棲に持ち込めるだろうか?とか色々考えていた大葉なのだ。
(ここは遠すぎるからな)
車でニ十分の距離は離れ過ぎだと思ってしまうのは、それだけ羽理のことが愛しいからだろうか。
互いに自宅の風呂場に立って、「せーの!」で扉を開けたなら案外すぐに会えるのかも知れないが、そうなったところで〝帰り〟の心配は必ずしなくてはいけない。
それを思うと、この不思議現象は『ドラレもん』に出てくる、行きたい場所を念じて扉を開きさえすればそこへ連れて行ってくれる〝どこだってドア〟ほど便利ではないのだ。
帰りのルートが確保されていない気まぐれさ具合が、いかにも猫神様っぽいな?と思ってしまった大葉だったのが、考えてみれば『ドラレもん』だって猫型ロボット。
(ひょっとして猫神様も案外優秀なのか?)
あわよくば泊まってしまえ!とか……もっと言えば――裸で出会わせてくれている時点で――良からぬ間違いが起きてしまえ!と言う猫神様の思し召しがあった気がして、
(何せあのニヤケ顔のチェシャ猫だからな)
大葉は、実際には見たことのない猫神様の容姿を、昨夜見かけた三毛猫に抱いた怪しげな印象にかこつけて、エッチな神様に違いないと勝手に決めつけた。
(……だが、俺も羽理もアンタの予想に反して身持ちが固かったのは大誤算だっただろ!)
その上でそんな対抗心を燃やした大葉だったのだけれど、『羽理ちゃんはともかく、貴方のはヘタレと言うのでは? ――しかも結局昨夜、彼女を襲いましたよね?』と各方面からツッコミが入りそうなことをつらつらと思ってしまう。
(まぁ、けど……結局はエロ猫神のお陰で良い感じになったわけだし……落ち着いたら羽理と一緒に居間猫神社へお参りに行くか)
大葉は、鏡の前を羽理に譲りながら、最終的にはそう結論付けた。