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「ま、まさか」レモニカは己の身を隠すことなくまじまじと見つめ、歓喜を胸に跳び上がる。「呪いが解け……」
レモニカが飛び上がってユカリから離れた途端、再び女焚書官の黒衣に覆われる。
レモニカは悲嘆する。「どうしてですか? 呪いが解けたのではないのですか!?」
「今のは呪いのせいなのか。そ、そんなことより」サイスがどもりながら言う。「君が魔法少女だったのか。エイカ、ラミスカ、いや、ユカリ」とサイスは少し残念そうに言う。
「秘密にしておいてくださいね」ユカリは後ろめたそうに冗談を言うしかなかった。
「馬鹿を言うな!」何かから気をそらすようにサイスは言い立てる。「僕は救済機構の僧侶として――」
「あ、もしかして」とレモニカは言って、魔法少女の手を取る。
するとレモニカは再び裸の娘になった。背はユカリの元の姿よりは低いがベルニージュよりは高い。体のあちこちが肉付き、丸みを帯びて、新たな季節へと移りつつあった。
「救済機構の僧侶として何?」ベルニージュがサイスの方を振り替えりつつ言う。しかしサイスは背を向けて逃げ出していた。「あれ? 逃げるの?」とベルニージュが追い打ちをかける。
「意地悪が過ぎるよ、ベル」とユカリがたしなめる。
遠ざかっていくサイスは叫ぶ。「うるさい! 僕らは焚書機関の焚書官だ! 最たる教敵である魔導書を焼き捨てる者だ! 魔法少女は専門外なんだよ!」
その間もレモニカはユカリの手を掴んだまま、自分の肢体をしげしげと眺めている。腕を伸ばし、足を反らし、首を曲げて、腰を折って、表も裏も、これで最後であるかのように丹念に見つめる。
レモニカは自らから目を離さず言う。「自分の体を見るのも触るのも生まれて初めてですが、何だか自分のものではないように感じますわね」
「たぶんレモニカの他にその気持ちを分かってあげられる人はいないだろうね」ユカリは握るレモニカの手を見て言う。「にしても魔法少女の姿で触ってる時だけ呪いが解けるって、前からそうだったのかな? 気が付かなかっただけ?」
ベルニージュが可笑しそうに微笑んで言う。「じゃあこの三か月。魔法少女の姿で一度もレモニカに触らなかったってことになるよ?」
ユカリは首を傾げつつ、頷く。「まあ、ありえないことはない、かな。それよりレモニカ。もういいでしょ。早く服着なよ。前に買った衣服があるでしょ。寒くないの?」
寒風吹きすさぶ岬の先に三人は立っている。
「ユカリさまに寒さを心配されるなんて」と言いつつレモニカは自分の体から目を離せない。「わたくし、まさに生まれたままの姿ですものね。動物の時の裸とは少し感じが違いますわ」
「初めての裸の感想は後で聞くから」と言って、ベルニージュは背嚢から、いつかユカリが買ったレモニカの衣服を取り出す。
レモニカは嬉しそうに、ただしユカリと常に触れつつ、苦労して着替える。
「わたくし、服を着るのも生まれて初めてですのよ? 産着すら着たことがないのですから。何だか窮屈ですわねえ」
その後その場で試せることを試し、やはりこの姿はレモニカの本来の姿だろうと三人は結論を下した。本来の姿の時に来た服は変身すると消えてしまい、元に戻ると元通りだ。おおむねユカリが魔法少女に変身する時と同じようになる。
ユカリが今日はこの無人の王宮に宿泊することを提案し、他の二人は特に興味もなかったが了承した。生き残りの焚書官たちも今日ばかりは休息を取り、残る魔物の討伐は明日以降に周辺地域、あるいはサンヴィア会議の協力を取り付けてから行うことになった。
魔法少女であることがサイスにばれ、ラミスカとユカリが同一人物であることも救済機構に知られ、他にも多くのことが起きたせいか、ユカリは少し自暴自棄になっていた。しかしレモニカもベルニージュもそれを咎めるつもりはなった。その日一日ユカリは魔法少女の姿でいたが、焚書官に咎められることもなかった。しばらくは休戦ということだ。
レモニカが人生初めての食事――砂糖をふんだんに使った林檎の菓子さえも用意できた!――を終え、人生初めての湯浴みを行い、人生初めての睡眠を行うべく、王族の寝室らしき豪勢な部屋へとやって来て、三人とも同じ寝台に潜り込んだ。
真っ暗闇の中、しかしレモニカは興奮冷めやらぬ様子で言葉を尽くし、ユカリとベルニージュもその相手をするだけで幸を分けてもらえるような気分になった。
「人生初めての夢が楽しみですわ」とレモニカは野原の子兎のように声を弾ませる。
「夢くらい見たことあるでしょ」と魔法少女ユカリは寝るには向かない衣服を着たまま言った。
「自分の体では初めてですわ」とレモニカは答えた。
似たようなやり取りをこの一日ですでに百回は行っている。
そうして他愛もない会話を繰り返したのち、ユカリが天井を見上げながら言った。
「レモニカはこれからどうするの?」
レモニカはすぐに口を開く。「それはもちろん――」
「知っての通り、完全に救済機構を敵に回した」ユカリは言い聞かせるように淡々と言って、小さなため息をつく。「まあ、元々敵に回してたんだけど、今までは魔法少女に変身したり、偽名を使ったりして何とか誤魔化せてた。けど、たぶん、もう通用しない。ユカリはエイカで、エイカはラミスカになった」
「正直なところ、今まで通用してたのが幸運だったよ」とベルニージュが付け加える。
レモニカが答えあぐねていると、ユカリが再び口を開く。
「私はこれからも魔導書を探す旅を続ける。それに、自分自身のことをもっと知りたい。あと、ルキーナが産みの母エイカだと分かって、もう一つ分かったことがある。エイカが謎の闇に飛び込む前、お母さんが生きてることを教えてくれた。自分のことを言っていたのだ、と最初は思ったんだけど。お葬式もした、ってルキーナが言っていたことを思い出したんだ。でもおかしいでしょ? 私は、実母は私が生まれた時に死んだって聞かされてたから、お葬式のことなんて覚えているわけないのに」
レモニカにはいまいちユカリの言いたいことが分からなかった。
「では、なぜそのようなことを?」
「エイカが生きているって伝えたかった母っていうのは私とエイカの義母、ジニの方じゃないかなって」とユカリは消え入りそうな声で言う。
ベルニージュが優し気な声で言う。「その可能性はあるし、気持ちは分かるけど。強く期待できるほど確かではないよ。あまりその考えに囚われすぎると、もしそうではなかった時に傷つくことになる」
「優しいね、ベルは」ユカリ自身も気づかないほど少しだけ、レモニカの手が強く握られる。「でも、うん、その通りだと思う。だから義母を、ジニを探すための旅はしない。言いたかったのはそんなところ」
「じゃあ、次はワタシ。でも大きくは変わらない」ベルニージュは言って、空いている方の拳を天井に向けて突き上げる。「魔導書越えの最高の魔法使いを目指す。このサンヴィアで得たことといえば、やっぱり深奥を見出し、究めれば魔導書を越えられそうっていう知見くらいかな」
「ベルも透け透けになって光り輝くの?」とユカリが無邪気に言うのでレモニカはくすくすと笑う。
「必要ならね。世界を遍く照らすよ」とベルニージュが淡々と言うのでレモニカは噴き出す。「それと、これ」
そう言ってベルニージュは突き上げた拳を開く。ベルニージュの指の間から椿の花を咥えた燕の襟止めが現れる。
ユカリが跳ね起きそうな勢いで言う。「え!? それって魔導書の衣の襟止め!? どういうこと? 一緒に封印されなかったの?」
「この襟止めだけ魔導書ではなかったんだろうね。長い時を衣の姿で人の手から人の手へ移る内に誰かが付け加えたんだと思う。たぶん、レモニカはこの襟止めに尻尾の呪いをかけてたんじゃないかな」
レモニカが感心してため息をついて言う。「わたくしてっきり魔導書を呪うことに成功した大魔法使いになったのかと思いましたわ」
三人で冗談を言い合い、ひとしきり笑うと、静寂が王家の寝室に満ちて、レモニカを促す。レモニカはこれからどうするのか、と尋ねてくる。
「わたくしは、この呪いを完全に解きたいですわ。わたくしの、この呪いはわたくしに突き立てられた短剣のようなものです。ですが、同時にこの短剣は多くの人を刺し貫いたものでもあります。この短剣を捨て去ったところで、他者を刺し貫いた過去を捨て去れるわけではありません。ですがわたくしにはやるべきことがあります。その為にはこの呪いが邪魔です。こうしてずっとユカリさまの手を握っているわけにもまいりませんし、それに、謝らなくてはいけない方たちが、感謝しなくてはいけない方たちが沢山います。ですけど、ですので……」
どう言えば良いのか分からない。なぜ、どう言えば良いのか分からないのかすら分からない。
「それじゃあワタシたちとは旅の目的が重ならないね。痛っ」とベルニージュが薄暗闇の向こうで言う。
「それはレモニカが決めることだよ」ユカリはレモニカの手を強く握って言う。
一人ではどうにもならないから。
最も可能性の高い手段が魔導書だから。
否。
それとは別の願望が自分の中にあることをレモニカは知っていた。
「わたくしはお二人と共にいたい、一緒に旅がしたいです」レモニカもユカリの手を強く握り返す。「ただそれだけですわ」
「やったあ!」そう言ってユカリが両腕を振り上げる。もう一方の手にはベルニージュが捕まっていた。「私もそう思ってたんだ! ここでお別れって言われたらどうしようかと思ってた」
「レモニカにもやりたいことができたんだね」とベルニージュがしみじみと言う。
「はい。この旅で素敵なものを沢山見聞きして。ですが、己の呪いを知るまでも、それらは確かにわたくしの周りにあったものですわ。わたくしは、こうしてはいられない、と思いましたの」
弾む声でユカリは言う。「そうだよね。生まれてからこのかた何も好きにならずにいられるわけないもん。それじゃあ、今度こそ教えてよ。レモニカは何が好きなの? 食べ物とか」
少し考えてレモニカは答える。
「食べ物なら、林檎が好きですわ」レモニカはそこにはいない誰かを見つめて言う。「わたくし、林檎が好きです。大好きです」
ユカリの意図した問いとは違うと分かっていたが、レモニカはそう答えたかった。それは、この旅の始まりに好きになったのだった。
レモニカは林檎のことを想うだけで、コドーズの所から逃げ出してから、最初に食べた林檎の甘みを思い出す。早朝の冷ややかな空気と洗われたような心の爽やかさを思い出す。そして戒められることのない心と体の、解き放たれたような感覚を思い出す。
夜が更けても、なお三人は沢山の言葉を交わした。微睡みと夢がその部屋に忍び入ったのは東の空が白み始めた頃だった。
レモニカがうつらうつらとしていると、ユカリとレモニカの声が遠くに聞こえる。
「それで? 具合はどうなの?」とベルニージュが尋ねる。
「お見通しかあ」とユカリは答える。「大丈夫だよ。今のところ何ともない」
その会話をレモニカが思い出すのはもう少し先のことだった。