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家から少し離れた所の、ちょっと大きな総合病院。俺の担当医はデブのジジイ。顔より小さな老眼鏡がこめかみに食い込んで痛そうな、よく見るタイプのジジイだ。
クズ仲間には縁を切られ(そいつの後ろにいるだろう、絶対ヤバい奴等から何も無かったのはラッキーだ)、親にもとっくに縁を切られてた俺にとっての、唯一の社会との接点がその病院とジジイ。
俺は、そのジジイの都合の良い日に病院に通い、薬を貰って飲んで、安静に暮らす日々を送る。死ぬ迄それを繰り返す。もはや人生終わってる。
そんなある日の事だった。
長い長い会計と、院内処方の薬が出来上がるのを待って、ようやくその日の病院行動が終わり、外来出口を出た時だった。
「!」
女が居た。
太った女。見覚えのある顔。前より少し細くなったか。
「コウ君・・・」
女はそう呟いて固まった。
俺が、騙した女の1人。名前はもう忘れた。だが名前以外は覚えてる。
女は処女だった。初めてを俺に捧げた女。太った体がコンプレックスで、男に積極的になれなかった可哀想な子。
最初は俺の目もまともに見れなかった。終始オドオド。手を握って、正面に座って、笑顔で話し掛けた。
髪が綺麗だった。よく見ればまつ毛が長くて可愛い顔立ちをしている。
「良い所いっぱい有るのに、自分で気付いてなかった?」
俺から見た、女の綺麗な所、可愛い所、一つ一つ教えてあげた。握った手は暖かく、柔らかくて、触れたところから安心が流れ込んで来た。
女は泣いた。俺はその涙を舐めた。脱がして裸にして、どこがどう感じるかを一つ一つ教えてあげた。
徐々に解けて行く心と身体。
沢山の女を抱いたけど、俺との行為で一番感じてくれた女。名前は忘れた。でも、それ以外は、全部覚えてる。
「どうして、どうして今更現れるの?」
女は泣きながら言った。
「何度も何度も、会いたいって、話したいって呼んだのに。全部断って!あれ以来一度も会ってくれなかった癖に!」
「え・・・」
呼んだって何?俺、知らないよ?
一晩寝て、写メ撮って、それで終わりだろ?
「私、発病したわ!死ぬのよ!コウ君のせい!全部コウ君のせいよ!」
女は叫ぶ様に言った。言って、鞄から何かを取り出す。グッチでもシャネルでもヴィトンでも無い、安物の、ノーブランドの鞄から。
キラッとそれが光った。女の涙もキラッと光る。走って来る女。太った体の体重全部乗っけて俺にぶち当たって来る。
俺は吹っ飛んだ。背中が壁に激突する。背中が痛いはずなのに、腹が熱くなって、それ以外何も感じなくなってた。
「好きだったのに。初めてこんなに人を好きになったのに」
これも、罪か?哀れな女に人を殺させた罪?
それとも、罰か?哀れな女を騙した罰?
そして、気付いた時には、この辺鄙な世界に立っていた。
「何を育てているの?」
花壇の世話をしているとカナデが聞いてきた。カナデから話しかけて来るのは珍しい。俺は嬉しかった。
「秘密」
別に興味も無いんだろう。マトモに咲くかどうかも分からないし、俺は何だか照れ臭くて、何を育てているのかを言わなかった。
カナデは不愉快そうだった。不貞腐れた口元が、今迄見た事のない新しい表情で、また嬉しい。
しばらくの間、夢中で雑草を抜いていると、横に居たカナデが居なくなっていた。事務所に行ったんだろう。
俺は、カナデの後を追わずに土いじりに熱中してしまった事に若干落ち込んだが、済んだ事はまあ仕方ない。
立ち上がって手を洗い、事務所の方向に向かって歩き出した。
カナデの帰宅にぶつかるだろう。そう思って。
家と事務所の間に一本川がある。そこに掛かった橋を渡って行き来するのだが、その橋の真ん中にカナデはいた。
俺は声を掛けようとした。だけど出来なかった。
カナデは、泣いていた。
川面を見詰めながら、静かに、声も無く泣いていた。
零れ落ちる涙を拭き取る事もなく。
俺は、胸を締め付けられた。
ジェイの事を、思っているんだよな。
その綺麗な涙は、あいつの事を思って流しているんだよな。
ダメだ、俺。
何故だか、太った女の顔が脳裏を掠めた。
本気で誰かを想い、苦しみながら流す涙。
『その涙を止めたいんだ』
俺は、痛む胸と、何も思考出来なくなった頭を抱えて、そのまま家に帰った。
しばらく部屋に篭ってウダウダし、そして思い立ってデリバリーを頼んだ。
庭に出て花壇をいじり、デリバリーから頼んだ物を受け取って、キッチンに戻りそれらをしまった。また庭の花壇に戻って水を撒き、夕方カナデがカーテンを開けるのを待った。
カナデ、もう泣かないでくれ。