「なにを…っ」
突然のことで腕を引くこともできなかった。
ドレスの袖が肘までめくり上げられ、禍々しい蔦のような痣が現れた。今や上半身全てに絡みついた黒い蔦。左半身に痣が出現した時は、綺麗だなどと言ってたリアムだけど、今の僕の姿を見たら、さすがに嫌だと思うだろう。本当に化け物みたいな姿なのだから。
「やはりな」
リアムが僕の腕の痣を指でなぞりながら頷いている。
「隣国の王子、その手を離してください。とても失礼なことをされているとわからないのですか?そして…やはりとはどういう意味ですか」
僕に注意をされて黙っていたラズールが、低く静かに声を出す。
僕はリアムの手を離そうと腕を引くけど、握られた手の力が強くてビクともしない。
リアムは「フィー」と呟いて、僕の痣にキスをした。
その瞬間、僕の全身が歓喜に震えた。
僕は姉上のフリをしなければならないのに、ちっとも上手くできない。リアムの言葉一つに、リアムの些細な動作に、心が揺れてしまう。
リアムは顔を上げると、ラズールを鋭く睨んだ。
「フィーは左半身に痣がある。痣が出現する瞬間を、俺は見てたんだ。だから…おまえはフィーだ。フィー、俺と一緒にバイロン国に帰ろう」
「リアム…王子…」
リアムが、今度は僕の左手の甲にキスをする。
嬉しい。リアムとバイロン国に行きたい。煩わしいことは何もかも捨ててリアムと暮らしたい。でも…真っ白な顔でベッドに横たわる姉上の姿が頭から離れないんだ。
僕は固く目を閉じて開けると、毅然とした態度で言った。
「この痣は、フィルの命をもらった時に私の身体にも現れたのです。ですから痣があっても何の証にもなりません。何度も言います。私はフェリです。フィルはもう死んでいません。呪われた子ゆえ、すでに荼毘に付してしまいました」
「まことの話か」
「はい。リアム王子には、わざわざ我が国まで来ていただき感謝しております。ですがあなたの目的は果たせません。どうか早々に国に戻られますよう。そして我が国の騎士を返してくださいますようお願いします」
リアムは僕の顔を黙って見つめた。
僕も目を逸らさずに見つめ返した。
かなりの長い間、見つめ合った。まるでこの場所に、僕とリアムだけしかいない錯覚に陥るほどに。
二人だけの空間は、ラズールの声によって終わりを告げた。
「フェリ様、部屋へ戻りましょう。まだ怪我も治っていないのです。休まなければ悪化してしまいます」
「…わかってる。ではリアム王子、私は失礼します。帰国への道中、どうかお気をつけて…」
「待て。ひとつ聞いてもいいか?その怪我はどうしたのだ」
「これは…足を滑らせて階段から落ちたんです。ぼ…私、抜けてる所があるから」
「そうか。大事にな」
「ありがとうございます」
僕が言い終わるより早く、ラズールが僕を抱き上げた。そしてリアムに軽く頭を下げると、大股で扉へと向かい部屋を出た。
「ラズール、これ脱ぎたい。今日はもう人と会うことはないだろ?」
「そうですね。着替えてもいいですよ。ただ休憩の後に、今後のやるべきことの説明をしたいのですが」
「わかった」
「では昼食後に呼びに来ます」
「ん…」
ラズールが頭を下げて出て行った。
僕は息を吐くと、椅子から立ち上がり背中のボダンを外そうと手を後ろにやる。
「しまった…ラズールにこれ外すの手伝ってもらえばよかった」
ラズールが去った扉を見つめながら、なんとか小さなボタンを外していく。ドレスの袖から腕を抜き、ドレスを下にストンと落として横に移動する。脱いだドレスをそのままに下着姿で窓に寄ると、両手を組んで伸びをした。
ドレスは腹回りが絞られているから窮屈で嫌だ。これから僕の正体を知る人以外と会う時は、ドレスを着なければならないと思うと憂うつだ。
「でも…僕は王様だし、少しくらい勝手を言ってもいいよね。他国の賓客と会う時以外は、男の格好でいいかな。後でラズールに頼んでみよう」
ブツブツと誰にともなく言ってみる。
ラズールが許してくれれば、大宰相も大臣も文句は言わないだろう。というか僕は王様なんだから、どんな格好でいたって自由じゃないか。きちんと役目を果たす代わりに、それくらいは自由にさせて欲しい。
ふいに寒気を感じて、僕は身体を震わせた。
窓から射す陽が暖かいとはいえ、この姿でいてはさすがに寒かった。急いで棚の上に畳んで置いてあるシャツを手に取り袖を通す。その時に腕の痣が目に入り、一瞬動きを止めた。
まだ下半身には広がっていないけど、いずれは黒い蔦が僕の全身を包みそうな気がする。そうなった時、僕は死ぬのだろうか。それとも本物の化け物になるのだろうか。
僕は目を閉じて首を振ると、素早くシャツを着てズボンを履いた。
床に脱ぎ捨てていたドレスを椅子にかけると、もう一度窓に寄り外を眺めた。
リアムはもう、城を出たかな。二度と会うことはないのかな。もしもリアムが結婚したなどと聞いたら、僕は耐えられるのかな。
青い空を眺めて長い息を吐く。息を吐き出したと同時に、涙も出た。
この城に戻って来てから、泣いてばかりだ。十六で城を出るまで辛いことがたくさんあったけど、それでもラズールの胸でたまに泣くだけだったのに。リアムと出会ってから僕の涙腺が確実に弱くなった。幸せを知ると涙もろくなると知った。
「きっとリアムのせいだ…」
ふふっと笑って濡れた頬を袖で拭く。両袖を目に押し当てて涙を止めていると、窓に何かが当たる音がした。
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