テラーノベル
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エルクの表情が陰りを帯びるようになったのは、その日からだった。また、彼がぼんやりと空を見上げていることも増えた。
この地方のこの時期は特に、曇りがちな日が多い。エルクが空を気にしているのは、雨の心配でもしているからかと思ったが、そういう訳でもなさそうだ。彼がなぜそんな顔をして空を気にしているのか、ニックスにはさっぱり分からない。
そしてこの日も、エルクは家の前にある切り株に座って灰色の空を見上げていた。
ニックスは彼の傍に腰を下ろして、細工に使うための枝を選別していたが、その手を止めて彼に訊ねる。
「なぁ、エルク。近頃よく空を見てるけど、何かあるのか?雲の形が変わったり、鳥を見たりするのはなかなか面白いけど」
エルクは空に目を向けたまま答える。
「空というより、あの雲の間から伸びてる光、あれが気になるんだ」
「光?」
「うん。どうしてだろう。あの光のことをよく知っているような気がするんだ。それにね、あの雲の向こうで誰かが僕を呼んでいるような気もする。そんなわけないのに」
ニックスの心の中に、言いようのない不安が広がった。しかしそれを押し退けるように、あえて明るい声でエルクの言葉を笑い飛ばす。
「気のせいさ。だいたい、もしも本当に誰かに呼ばれていたとしても、エルクはどこにも行かないよな?俺を置いてどこかに行ったりはしないだろ?」
「もちろんだよ。僕の居場所はニックスの傍なんだから」
ニックスは立ち上がってエルクの傍らに膝を着き、その細い体を抱き締めた。
それに応えてエルクがニックスの首に腕を回しかけた時だった。
強い光が突然二人の頭上に降り注いだ。あまりにもまばゆい光に目を開けていられない。ぎゅっと目を閉じ、再びゆっくりと瞼を上げた時、二人はそれぞれの理由で驚いた。
エルクは、自分が全てを思い出したということに。
ニックスは、エルクの背に大きな白い翼があることに。
「エ、エルク、それは……」
エルクは哀しい目でニックスを見つめる。
「全部思い出した。あの中を通って地上に降りる途中で落ちたんだ。初めて見る世界に気を取られ過ぎて。だから帰らなきゃ」
「帰るって、どこへ」
エルクは空を仰ぎ見る。
「あの雲の上に」
「待って!お前の居場所は俺の傍だって、そう言ってくれたじゃないか!」
エルクは泣き笑いの顔をする。
「だけど、僕はこの世界の者ではないから。ここに居てはいけない存在なんだ。ごめん、ニックス、許して。愛してるよ」
「エルク!」
悲鳴のようなニックスの声を振り切るように、エルクは翼を羽ばたかせた。足元に風が起こり、二人の間に土埃が舞う。
それを避けるために目を細めて、ニックスはエルクに向かって手を伸ばした。しかしその手は届かない。頭上に伸びる光の中を上昇していくエルクの姿を、ただ見つめていることしかできなかった。
エルクの体を吸い込んで、自分の役目はこれで終わりとでもいうように、光は薄れ始める。
愛する人がいなくなるという突然の事態を、簡単に受け入れられるわけがない。呆然として地に手を着いたニックスだったが、そこに落ちていた一枚の白い羽に気づく。
「エルク、エルク……」
声が届かないことは分かっている。それでも呼ばずにはいられない。ニックスは滂沱として涙を流しながら、愛する人の名を何度も何度も呼び続けた。
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