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あの日、着信履歴に残った番号から琳奈に電話を掛けた偉央は、結葉の目の前、穏やかで優しい他所行きの顔と声音で、巧みに同窓会の誘いを断った。
「結葉、自分では上手く断れなかったって言うものだから、すみません。出しゃばってしまいました」
そんな風に締め括って「これからも結葉と仲良くしてやってくださいね」とにこやかに微笑んで受話器を置くなり、結葉の目の前で琳奈の電話番号を〝迷惑電話リスト〟に加えてしまう。
「結葉の気持ちを汲めないで一方的に何かを押し付けようとする相手なんて、友達とは言えないでしょう?」
偉央の横に呆然と立ち尽くす結葉の頬を優しく撫でながらそう言う偉央に、結葉は頭の中でぼんやりと(じゃあ、偉央さんはどうなの?)と言えない言葉を投げ掛けていた。
琳奈で何人目だろう。
結葉が昔から親しくしている友人たちを、連絡不可にされてしまったのは。
今ではきっと、幼い頃から何度も何度も掛けて記憶している山波家の実家の番号と、番号を教えてもらった時に嬉しくて穴が開くくらい眺めていた想の携帯番号くらいしか、家族以外で掛けられそうな相手はいなくなってしまった結葉だ。
とは言え、他の男性と結婚した身で、今更想に電話を掛けることは出来ないから、実質結葉がホッとした気持ちで会話ができる相手は己れの両親ぐらいしかいない。
それにしたって、両親には心配を掛けたくない結葉が、偉央との婚姻生活における諸々の不安事を話すことだけは出来なかったのだけれど――。
***
偉央の愛撫が、頬から顔のラインをゆっくり辿るようにして、結葉にとっては性感帯のひとつ――耳の後ろに移動してきたのをぼんやりと感じながら、結葉は(偉央さんの指先からの刺激に集中しなきゃ)と思う。
思うのに、頭の片隅で、
(夕飯、食べ掛けのままだけど……きっともう食卓には戻れないよね)
と違うことも考えてしまっていた。
視界の端、自分の茶碗に残されたままのご飯がチラリと見えて、そんなことを思った結葉だ。
おかずも、ほんの少しつついただけのお行儀の悪い状態で、食卓に並んでいる。
そう言えば、と思って視線を転じたら、偉央の方も筑前煮の小鉢にまだ人参や蓮根が残っているのが見えた。
一緒に出したブリの照り焼きも全部は食べ切れていないみたいで。
「偉央さん、お夕飯の続きを……」
そのことに一縷の望みを掛けて偉央にそう問うてみた結葉だったけれど、「先に結葉を食べさせて?」と囁くように言われて口ごもってしまう。
それでも何とか「でも、あの……それでは冷めてしまいます」とつぶやいた結葉だったけど。
「結葉が僕を不安にさせたのが悪いんだよね? キミを補充させてもらえないままじゃ、僕は不安で食事なんて喉を通らないんだけど」
そう間髪入れずに声を低められては、引き下がらざるを得なかった。
「食事は後で温め直せばいいよ?」
耳元、「これ以上その話は無しだ」と言外に含められて、結葉は小さくうなずいた。
***
こんなことがあった日の偉央は、結葉をいつも以上に激しく求めて、酷く抱く。
偉央が満足した頃には結葉はグッタリとして動けなくなることが常で。
だけどそうなってしまった、主婦としては役立たずの結葉を、偉央は決して責めたりはしないのだ。
温かなお湯で湿らせたホカホカのタオルで結葉の身体中を綺麗に清めてくれた後で、
「結葉はゆっくり休んでおいで? 家事は僕がやっとくから。お風呂も溜めておくから動けるようになったら入ってね」
散々偉央に泣かされて乱された結葉の長い髪の毛を一房持ち上げて、ふわりと労わるような口づけを落とすと、そう言って結葉の頭を愛しくてたまらないと言った手付きで優しく撫でる。
そんな彼に、嬌声を上げ過ぎて掠れた声で「偉央さ、ごめ、なさ……」と答える結葉に、偉央は「謝らなくても大丈夫だよ。結葉は妻としての務めをしっかり果たしたんだから、僕に気を使う必要なんて微塵もないんだ」と慈愛に満ちた視線を投げ掛けてくる。
御庄偉央という男は、結葉に「妻」としての役割は過剰なほどに求める代わりに、「専業主婦」としての役目はそれほど求めては来なかった。
あくまでも偉央にとって結葉は「女」であって「家族」という枠組の中での彼女の存在価値は希薄なんだろう。
「元々僕は家事とか嫌いじゃないからね」
最初のうちはそれでも偉央に家事をさせてしまうことを気にしていた結葉に、偉央がニッコリ笑ってそう告げたことがある。
その言葉の通り、偉央は料理もとても上手で、結葉なんて足元にも及ばないようなご馳走をさらりと作れたし、掃除洗濯など、他の家事も卒なくこなしてしまう男だった。
「僕が結葉と結婚したのは、家政婦としてのキミを欲したわけじゃないから」
必要ならば金でハウスキーパーを雇えばいいと言い切った偉央に、結葉は殊、情事の後の自分の不能ぶりについては目をつぶることにした。
あまり言い募ったら、偉央は本当に家政婦を雇ってしまいかねないと思ったからだ。
「夫婦の時間を確保するのが何よりも大事だからね」
それが、偉央が結葉に求める唯一無二の役割なのだと、いつしか結葉も諦めるようになっていて。
そこにはきっと「母親」としての結葉は想定されていないし、当然「父親」としての偉央も居ないように思われた。
飴と鞭と言うのだろうか。
酷く抱かれた後、そんな風に甘やかされるたび、結葉は分からなくなってしまうのだ。
自分が偉央に性奴隷のごとく虐げられているのか、ひとりの女性として大切に愛されているのか。
「愛してるよ、結葉」
結葉が戸惑いに揺れる瞳で偉央を見上げるたび、まるで結葉の不安を見透かしたように偉央が愛の言葉をくれるから。
結葉は結局「愛されている」のだ、と自分を納得させるしかなかった。