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「ッあ“ぁぁぁあ“ぁあッ!???!!!!」
自分の叫び声と、体が跳ねる感覚で目を覚ました。
「はぁっ、はぁッ、…っはぁッ……」
眠っていたはずなのに、息が荒くて苦しい。
何度も首を触って、それが繋がっていることを確かめる。
痛みを感じる間も無く、俺の命は途切れたはずだった。
でも、俺は今生きている。
昨日の会議が終わってからの記憶が無い。
処刑されたのは、俺が見た夢だったのか…?
困惑するようにあたりを見回すと、ここが、あの見慣れない木造りの家の中だということに気が付いた。
テーブルも椅子も、かまども水瓶も、何もかもが先程までと何も変わらないままそこにあった。俺は水瓶の前まで駆けて行って、柄杓に掬った水を思い切り飲み干した。
やけに喉が渇いていた。
いくら水分を体内に取り込んでも、喉が張り付くような感覚がずっと取れない。
口の中はいつまでもカラカラに干からびているのに、お腹だけがたぷたぷと膨れていった。
もうこれ以上は飲めないと、体の中からギブアップの声が聞こえてきたところで、俺は水瓶に蓋をして、その上に柄杓を置いた。
不意に、コンコンと優しく叩かれたノックの音に体が跳ねる。
誰かが来た。
誰だろう。
一瞬間前の記憶がまだ鮮明に残っていて、ドアを開ける勇気が出ない。
怖かった。
自分はたった今死んだはずなのに、生きていることが。
疑うように、怯えるように俺を見ていたみんなの目が。
痺れを切らしたようにもう一度鳴ったノックに、俺は躊躇いながらもゆっくりと、そのドアを手前に引いた。
そこには、フランスパンを籠いっぱいに提げた涼太が、優しい顔をして立っていた。
「りょ、りょうた……」
「佐久間、おはよう」
「あ、ぁ…っ、りょうたぁ…ッ」
さっきまで俺を冷たい目で見ていた涼太は、そんな出来事なんて何も無かったというくらいの、あったかい瞳を湛えながら、俺に声を掛けてくれた。
緊張の糸はその瞬間ぷつっと切れて、俺は嗚咽を漏らしながら涼太に抱き付いた。
よかった…。
やっぱり、昨日のことは全部夢だったんだ。
だって、涼太がこんなに優しい。
だって、処刑されたはずなのに、俺はちゃんとこうして、生きている。
俺はきっと、死ぬかもしれないってことが怖すぎて気絶したんだ。
みんなが俺を家まで運んでくれたんだろう。
きっとそうだ。
「佐久間?どうしたの?」
「ぇ“ぐっ、、ぐすっ…涼太、怖かったぁ…ッ」
「怖い夢でも見たの?よしよし、大丈夫だよ。大丈夫大丈夫、俺がここにいるよ」
「…ぁりがと…ずびっ……」
涼太は俺の背中を摩ったり、ポンポンと優しく叩いたりして、慰めてくれた。
上擦った呼吸は次第に落ち着いてきて、俺は涼太から体を離してからお礼を言った。
「どういたしまして、顔洗ってさっぱりしよう?はい、今日のパン」
「………ありがと」
二日目のパンを受け取ると、涼太は「あ、そうだ」と思い出したような声を上げた。
「今日の会議、ちゃんと時間通りに集合してね?遅刻しないでよ?」
「え、、今日もあるの…?」
あの地獄の時間が今日も続くのかと思うと、自然と声は硬くなり、体が強張った。
ところが、涼太は俺の反応を見て、きょとんと目を丸くした。
「今日も、って…会議は今日からの予定だったでしょ?」
「…へ?」
「もう、まだ寝ぼけてるの?ふふ、鐘が鳴る時間に村の集会所で集合だから。じゃあまたね」
「ぇ、ぁ、ちょっと…っ!涼太っ!」
何かがおかしい。
俺が過ごしていたあの時間は、「昨日」じゃない…?
俺が見ていたものは、本当に夢だったのか…?
涼太が言う「今日」は、俺の中の「昨日」で、すなわちそれは、俺にとっての「明日」を意味しているものだと思っていた。
訳が分からないまま、俺は家を飛び出し、 湖を目指して駆け出した。
そんなことが起こるわけがない。時間が巻き戻るなんてことが。
ポツポツと顔に降り注ぐ小雨が、ひどく冷たかった。
灰色の空を反射した湖面のそばには、やはりめめがいた。
めめは何をするでもなく、ただぼーっと遠くを眺めていた。
その瞳はなんだか寂しそうで、でもどこか、幸せな夢を見て惚けているかのようにも見えた。俺はその横顔を切なく思って、少し心細くなった。
「めめ?」
「ん?あぁ、なんだ佐久間くんか」
もしかしたらとは思っていたが、めめも涼太同様に「昨日」と同じ反応をした。
俺は、めめが腰掛ける切り株のそばの芝生に腰を下ろして、少し話をしてみることにした。
「ここでなにしてるの?」
「傘の妖精を待ってる」
「妖精?」
「うん、一回だけここで会ったことがあるんだ」
「この世界には妖精がいるの?」
「わからない。でも、俺にはそう見えたから、そう呼んでる。」
「そっか」
返ってきたものは、感覚で生きているようなところがある、めめらしい、そんな答えだった。
めめは、俺よりもその妖精さんとやらに会うことに意識が全て向いているようだったので、俺は「また後でね」と声を掛けてその場を後にした。
この世界の中での自分の家に戻り、何かメモできるものは無いかとそこら中を引っ掻き回した。
目に映るもの全てに馴染みが無くて、こまごまとしたアイテムはいくつかあれど、それが一体全体何に使うものなのか、皆目見当もつかなかった。
結局、俺の努力は虚しい結果に終わって、手に掴んだものを、全て自分の後方に放り投げるだけに留まった。
床中に転がった初めて見る道具たちを遠巻きに眺めてから、俺はベッドの上に寝転がった。
不思議な世界で過ごした時間は、体感としては2日程経っているように感じる。
俺はいつ、元の世界に帰ることができるのだろうか。
このまま、一生帰れなかったらどうしよう。
そんな不安は後から後から押し寄せていって、俺は何かに縋るように、そばにあったゴワゴワの薄い毛布を掴んで抱き締めた。
自分の身に起こっているいくつもの出来事を整理したくて、どこかに書き留めておきたかったのだけれど、この時代には紙もペンも無さそうだった。
スマホも勿論無いので、俺は文字に起こすことを諦めて、既に衝撃的なエピソードだらけで飽和した頭を目一杯振り絞ることにした。
昨日の出来事は夢ではなかった。
俺は一度死んだ。
それは恐らく間違いない。
しかし、誰かの、いや、何かの?大きな力でその時間が巻き戻され、俺の命が無くなったという事実そのものが無くなっている。
まるで、ゲームデータをセーブしないまま、もう一度電源を入れ直したみたいに。
でも、俺の記憶だけは引き継がれている。
これはどういうことなんだ?
もう一度、生き残るためのチャンスをもらえたってこと…?
一つずつじっくり考えていくと、少しずつ俺の頭の中は整理されていった。
少しだけこの状況に追い付けてきたような気がして、俺は再び気持ちを奮い起こした。
「っしゃぁ!諦めないぞ!」
ベッドから勢いよく起き上がって、一つ伸びをしたところで、遠くで鐘の音が鳴った。
「っぁ!?やば!!会議行かないと!」
急いで木戸を開けると、その先にふっかが立っていた。
「ふっか!おはよ!」
「おはよ!じゃねぇよ!会議するつったろ。ったく、毎回遅刻すんだから…」
「ごめんごめん!早く行こ!」
ふっかの言葉も「昨日」と同じだったことで、俺は確信した。
やはり、「今日」が繰り返されている、と。
俺はかまどの中に溜まっていた木炭をひとかけ摘んで、壁に線を一本引いた。
次に目覚めた時、この線が消えていれば過ごした時間はリセットされている。
消えていなければ、「明日」が来ていることの証明になる。
咄嗟の思い付きではあったが、この世界で起きていることを記録するための良いアイデアを手に入れられたことに、少しだけ気分が良くなった。
こんな状況でも、まずは元気を出さなければ。そうでなければ、何も良い方向へは進まない。
そんな風に考えながら、俺はふっかと並び歩いて集会所まで向かった。
照から渡された牛乳を飲んで、翔太とみんなが自己紹介をして、会議が始まった。
やはり、この場に阿部ちゃんはいなかった。
もしかして、もう既に人狼に襲われてしまったのだろうか。
そんな一抹の不安は、どんどん膨らんで大きくなっていった。
「そもそもっすけど、この中に人狼がいるって可能性は無いですか?」
めめが放った重苦しい疑惑に、また全員が動揺する。
俺は、場を取り持つように言葉を発した。
「みんな落ち着いてよ!俺たち以外にもこの村に住んでる人がいるなら、そっちの人たちにも聞き込みとかして、情報もっと集めよ?」
「いや、それは無理だね」
「んにゃ?なんでよふっか」
「今さっき、最後の村人が出てった。人狼が潜んでるようなとこでは暮らせないって。だから、今ここに住んでるのは、俺たちだけ」
「…マジで?」
「大マジ」
「ほんなら俺たちの中におるって考えた方が自然なんかぁ…。なんや、嫌な話やなぁ…疑いた無いねんけど…」
康二が、悲しそうな顔をして俯いた。
それに釣られるようにして、みんなの表情も曇っていった。
やっぱりどの世界線にいたって、みんなはみんなのままなんだ。
誰だって、お互いのことを疑いたいわけじゃない。どんな時も支え合ってきた大切な仲間だから。
そこに気付けただけでも、俺には十分に実りがあった。
「康二、俺もそう思うよ。とりあえず、めめから人狼のことも教えてもらえたし、今日はここまでにしよっか。みんな、今日の夜は外に出ないでね」
「はーい!」
「翔太、今日はうちに泊まってく?」
「おう、頼むわ。悪りぃな」
「いいのいいの。久々に会えたんだし、今日は葡萄酒でも飲みながらゆっくり話そうよ」
「そうだな」
「じゃあ俺たちは帰るね。また明日」
「じゃねー」
涼太と翔太が席を立った後で、俺たちも解散した。
今日は動揺しなかったし、話の方向もうまく逸らすことができたためか、処刑されることはなかった。
一歩前進できたような気がして嬉しかった。
家に戻って、先程出かける前に放り投げた木炭を、もう一度摘んで壁に向かった。
「んむむ…」
今日を切り抜けることは出来たが、このままちゃんと明日は来るのだろうか。
ここでまたリセットされてしまったらたまったものではないが、今の頭の中を整理するためにも、俺は壁中に、思い付く限りのことをメモしていった。
明日、この文字がちゃんと残っていますように…。
手を合わせ祈ってから、俺は眠りについた。
夜のうちに上がった雨の匂いが、家の中に入り込んできていた。
次の日、目を覚ますと、部屋の中は日が昇って少し経った頃くらいの明るさをしていた。
俺はすぐに起き上がって、壁の前に立った。
そこには、昨日、俺が大雑把に引いた横線と、文字の羅列がしっかりと刻まれていた。
「っしゃぁあッ!」
俺は部屋の中で大きくガッツポーズをした。
時間が巻き戻らなかったこと、処刑されずに次の日の朝を迎えられたこと。
その全てが嬉しかった。
目の前に来てくれた「明日」に心が躍った俺は、 散歩でもしようかと思い立って、もう一本横線を大きく引いてから外に出た。
昨日からの雨は止み、何層にも重なる霧に覆われた朝焼けが、幻想的な雰囲気を纏って地平線の向こうに浮かんでいた。
誰もいない村の中を一人で闊歩するのは、開放的な気分でもあったが、やはりどこか寂しいような気もした。
適当に辺りをぶらついて、ふと思い立ったように湖がある方へ足を進めた。
何故だかよく分からなかったけれど、今、どうしてもあの場所に行きたかった。
いや、行かなければいけないような気がしていた。
昨日めめが座っていた切り株を目指して歩いていくと、シンと静まり返った水面を見つめている誰かの後ろ姿を見つけた。
その人は、雨も降っていないのに傘を差していた。
こんな明け方に、一人で湖を眺めて何をしているんだろう。
少し気になったので、俺はその人に声を掛けてみることにした。
「ねぇ」
「…?」
「ぇ………」
ゆっくりと振り返ったその人は、阿部ちゃんだった。
「阿部ちゃん今までどこにいたの!?みんな心配してたよ!?」
「月のかけらを拾ったの」
「…はい?」
「空っぽだった入れ物の中に、一つ入った」
「あ、阿部ちゃん?大丈夫?」
「綺麗だね、白い髪。まんまるで、銀色の満月みたいだ」
何かが違う。
阿部ちゃんとそっくりなのに、この人は阿部ちゃんと全然違う。
虚ろな目で、不思議なことを言い続けている彼に、俺は少しの恐怖心を抱いた。
阿部ちゃん?との会話は、みんなとはまた別の意味で噛み合わなかったが、俺は出来る限り、不思議な雰囲気を纏ったその人と話をし続けた。
「あー…えっと…髪は色が抜けちゃったんだ。染め直そうと思ってたの」
「もったいない。せっかくの満月なのに。どんな色になるの?」
「ピンクかな」
「ふーん、そっか」
「それより阿部ちゃん、なんで傘差してるの?雨降ってないよ?」
「あと三回。大きな矢が動く時。もうすぐだよ」
「えっ?」
「またね、満月さん」
「えっ、ちょっと…!あ、阿部ちゃんっ…!」
阿部ちゃんに良く似たその人は、俺の前を通り過ぎて、森の方へと歩いて行った。
俺はしばらくその後ろ姿を見守っていたが、少しずつ小さくなっていく体は、瞬きの間にパッと消えてしまった。
目を逸らした覚えはなかったが、彼は何かに攫われたかのように、忽然と姿を消してしまっていた。
二、三度瞼を擦ってみたが、その姿はもうどこにも見えなかった。
家の方へ戻ると、村の中には少しずつ活気が生まれ始めていた。
この村の真ん中を射抜くようにそびえ立つ、大きな時計台がふと目に入った。
その一番上には鐘が吊り下げられていて、ここからあの音が鳴っていたのだろうと、俺は推察した。
大きな分針が、ゴトっとした動きを持って頂点へと一つ足を進めた。
その光景をぼんやりと見守っていると、またそれが上に向かって傾いた。
三度目の傾きがあったその直後、突然雨が降った。
「うわっ!?結構強いな!?」
俺は庇うように頭を押さえながら、急いで家に戻った。
中に入って、近くにあった麻地の布切れで、水気を含んだ髪をわしわしと拭いた。
用が済んだところでそれを首に掛けて、タンスの引き出しを上から順番に開けていった。
現代とこの世界とで様式がいくらか異なっていても、流石に服ぐらいはどこに身に付けるものなのかわかる。
先程まで着ていたものとそこまで変わらない黄身がかった薄いシャツと、綿のベストとズボンに着替えて、ベッドに寝転がった。
「………暇だ。」
やることが無さすぎる。
この時代の人たちは何をして一日過ごしていたのだろうか。
手持ち無沙汰で、寝ること以外、他に何も思い浮かばない。
昨日、手当たり次第に放り投げた数々のアイテムたちを片付けようかと思い立ったところで、俺の家のドアが勢いよく開け放たれた。
突然やってきたのは、ラウールだったが、いつもとどこか様子が違っていた。
息を切らせて、戸惑い、怯えるような目をしている。「どうしたの?」と尋ねると、ラウールは苦しそうに眉根を寄せながら、僅かに口を開いた。
「めめが…めめが……っ、、」
「めめ?めめがどうしたの?」
「…っ、めめが襲われた」
「誰に?」
「人狼に……」
ラウールの言葉に、俺は何も返せなかった。
恐れていたことが起きてしまった。
ただそれだけが、心の中にぽとっと落ちて、波紋を作った。
その輪は、どこまでも大きく広がっていった。
ラウールに手を引かれて着いた先は、さっき阿部ちゃんのそっくりさんが突然姿を消した、あの森の入り口だった。
昨日まで元気に生きていためめは、今、完全に動きも時間も止めてしまっていた。
みんなでめめの体を移動させて、雨に濡れてしまわないように、土の中に埋めた。
何故だ。
どうしてこうなった。
めめは昨日の夜、何故外に出たのか。
こんなところで何をしていたのだろうか。
食い荒らしたような大きな噛み傷が、めめの体中にいくつも残っていた。
こんなこと、とても人間の歯じゃできない。
何故めめだったのか。
めめでなければならない理由があったのか。
はたまた、無作為に決行されたものだったのか。
めめが眠る土の前でみんなで手を合わせてから、俺たちは照の家へと向かった。
この中に潜んでいるであろうめめを殺した犯人、人狼を見つけ出すために。
「じゃあ、まずはみんな、昨日の夜どこにいたか教えて」
照の問い掛けに、みんなが順番に答えていった。
「僕は、昨日めめと康二くんと一緒に、めめの家で人狼について話してたんだ。手掛かりが多い方が、後々役に立つかなって思って」
「おん、ラウの言うた通りや。俺たち、昨日はずっと三人で一緒におったんや。こんな不穏な状況で、一人でおるんは、いややったし…」
「なるほど。めめはいつからいなかったの?」
「分からないんだ。朝起きて、めめがいないことに気付いて、康二くんを起こして一緒に探してたら…っ、あそこに…いたの…っ、ぐすっ…」
「照兄、ここまでにしたってくれるか?今はあんまラウの心に負荷かけたないねん…」
「うん、わかった。ごめんね、ラウール。辛かったよね。」
「ううん…大丈夫…」
「他のみんなは?何してた?」
「俺は照と一緒にいたから、話せることはそれでおしまーい」
「うん、ふっかは昨日、俺と一緒にいたね」
「俺たちは昨日、ずっと一緒にいたよ。翔太が聞かせてくれる旅の話をお供に、葡萄酒を飲んでた。ね、翔太」
「おう。こいつ酒強いから俺の方が先に潰れて寝たけど、涼太が言ってる通り」
「宮ちゃん、起きてる間に何か物音とか、声とかしなかった?」
「うーん…酔ってはなかったから、昨日のことはちゃんと全部覚えてるけど、そういうのは聞こえてこなかったな」
「そっか…ありがとう。佐久間は?」
「俺は、会議の後まっすぐ家帰って、そのあと日が暮れてからすぐに寝たよ」
「じゃあ佐久間の夜の行動を見てた人は、誰もいないのか」
「え、あ、うん。そうだね…」
あれ。
雲行き怪しくなってきた?
この展開はもしかすると…。
「佐久間、昨日の夜、家から出た?」
「出てないよ…?」
「本当に?」
「う、うん…」
「…ごめん…信じられないわ。だって、お前以外の全員、昨日は誰かと一緒に過ごしてたんだよ?お前以外でめめを襲うことなんかできないよ」
…ですよねー!!
ってなれるかぁっ!!!
あぁ、もう…。
またこの展開かよ…。
昨日は運よく時間がリセットされて、どうしてか俺の命は繋がったが、今回も同じように生き返ることができるか分からない。
だから死ぬわけにはいかない。
元の世界に帰るためにも、抗わなければ。
「俺、マジで違うって…!」
「だからって、このまま何もしないでいて、今日の夜みんなが無事でいられる保証はどこにもない。この時間帯に、人狼かそうじゃないかを判断できる材料はどこにもない。なら、一番怪しい人を一人選ばないと、俺たちに明日は来ない」
「確かに俺が人狼じゃないって証明できるものはどこにも無いけど…ホントに違うんだって…!照!信じてよ!」
「佐久間くん…佐久間くんがめめを殺したの…?」
「ラウ!俺じゃないよ!」
「やったら、他に誰がおんねん!?さっくんしかおらへんやろ…っ!俺やって疑いたいわけやあらへんけど、さっくん以外に考えられんて…っ、」
「康二…っ、そんな…なんで信じてくんないの…」
「信じられるもんなんか、ここにはなんもねぇよ。こいつらのことも、お前のことも、もちろんお前らから見た俺のことも。確かなものは、何一つだってねぇ。だからこそ、一番「確実」に近いものを選んでかなくちゃならない。それが間違ってても、選択することが怖くても。残酷だけど、今の俺たちにできることはそれしかない」
「ふっか……やだ…お願い…」
「佐久間…」
「涼太…俺、まだ死にたくない…」
「ごめんね、庇える要素が何も無いんだ」
「ぁ…………」
あぁ…またダメだった。
昨日の記憶ぶりに捕らわれた断頭台の上で、喉を抉るように食い込むかさついた木板の感触を感じながら、俺は憎しみと疑いの視線を一身に浴びていた。
みんなが横並びに立つ中で、一人その列からはみ出るように一歩後ろに下がっていた翔太は、俺を眺めながら、またあの寂しい笑みを浮かべていた。
ガコッと鳴る音と共に鋭い刃が落ちてくるその刹那、
「もう一回」
と、またあの時と同じ声が聞こえてきて、俺の視界は暗転した。
「ッぅ“あ“ぁぁぁあ“あッ!??!!!」
首が落とされた瞬間に、また意識が引き戻され、俺は飛び起きた。
切れる息を短く吐き続けながら、何度も首を触った。
また生き返った。
命がある。
俺ははっとして、ベッドから飛び降り、壁の線を確かめた。
「……無い」
どこにも炭の跡は無かった。
俺が引いた大きな二本の線も、書き殴った文字も、綺麗さっぱり消えていた。
誰かが消したような痕跡は無かった。
また時間が巻き戻っている。
俺が死ぬたびに、始まりの日からやり直しになるのだろうか。
今の時間は正確には分からないが、夜明け前のようだった。
俺は、家を飛び出した。
まだ完全に日が昇っていないこの時間なら、人狼が獣の姿のままどこかにいるかもしれない。怖いけれど、この世界にずっと囚われているよりはマシだった。
人狼を止めたところで、元の世界に帰れる確かな保証はどこにも無いけれど、何もしないまま、またみんなに処刑されるのは、もう嫌だった。
昨日の朝、めめが殺されていた場所まで走って向かった。
足を忙しく動かしながら、めめのことについて考えた。
めめは、軍にいたと言っていた。
人狼という存在について詳しく知っているのはめめだけだった。
あのゲームに出てくる役職のように、今の俺たちにも何か役割があるのなら、きっと、めめは騎士だったんだ。
だから、狙われた。
騎士だけが、この世界で唯一人狼を倒せる存在だから。
そうとは知らずに、俺たちのためにと自分が知っていることを話してくれためめのことを思うと、泣きそうになった。
絶対に死なせるもんか。
そう決心して、俺は、今日の会議でめめが騎士だと人狼に気付かれないようにするために、どうやって話を逸らせば良いかと考え始めた。
しばらく走って、息も絶え絶えのまま、辺りを見回していく。
走るのは苦手だから、余計に時間がかかったように思えた。
特に怪しいものは何も無い。
夜と朝の真ん中に、俺だけが立っていた。
「はぁ、やっぱりそう簡単に手掛かりは見つかんないか…」
ため息を混ぜて呟いた俺の言葉に、
「今見つけたでしょう?」
と返ってくる声があった。
その音の先には、傘を持った阿部ちゃんのそっくりさんがいた。
「あ、あべちゃん…」
「また会ったね、満月さん」
「また…?俺のこと覚えてるの?」
俺の考え方が正しければ、リセットされるたびにみんなの記憶は元に戻っていないとおかしいのだ。
それが証拠に、リセットされるたびにみんなが俺に掛けてくれた言葉は、毎回同じものだった。
だから、記憶の引き継ぎは、俺だけがされているものだと思っていた。
阿部ちゃん…なのかどうかについては、今は脇に置いておくとして、目の前のこの人が、俺と同じ記憶を持っていることに驚いた。
「月のかけらが無くなっちゃったの」
「そうなんだ…」
「せっかく一つ集まったのに…」
阿部ちゃんは、ひどく落ち込んだように目を伏せて、俯いていた。
気休めにしかならないかもしれないが、俺はそう言って悲しそうにしている阿部ちゃんに声を掛けた。
「大丈夫だよ。信じてれば、きっとまた集められるよ」
「ありがとう。優しいんだね」
「阿部ちゃんの方が優しいよ。あ、そういえば、昨日、俺阿部ちゃんに雨降ってないよって言ったじゃん?そのあとすぐ雨降ってきたの!阿部ちゃん凄いね!マジで天気予報士さんじゃん!」
「てんきよほうしさん?」
「知らないか…。明日は晴れますーとか、明日は雨が降りますーとか、教えてくれる人がいんの。で、阿部ちゃんは、その勉強ずっと頑張ってて、こないだ合格したんだよ。すんごい難しいテストなんだって」
阿部ちゃんは、俺の話を聞いているのかいないのか、判別しずらいぼーっとした表情で俺を見つめながら、肩に乗せていた傘をくるっと一回転させて言った。
「ねぇ満月さん、覚えてて?」
「んにゃ?」
「空は、嘘を吐かないんだよ」
「え…?」
阿部ちゃんの言葉の意味が分からなくて混乱していると、強い風が吹いて、 俺は思わず目を瞑った。
次に目を開けた時、阿部ちゃんの姿はもうどこにも見えなかった。
また急にいなくなってしまった阿部ちゃんと入れ替わるようにして、気付けば、俺の隣にはめめが立っていた。
「今日も会えなかったか…」
「めめ…おはよ」
「ねぇ、佐久間くん、傘の妖精見かけなかった?」
「傘の妖精?もしかして、阿部ちゃんのこと?」
「見たの!?どこにいた!?」
「どこって…今さっきまでここで話してたよ」
「マジか…。遅かったか…」
「もしかして、毎日ここで待ってるの?」
「うん。一回見かけてから、なんでかわかんないけど、どうしても、もう一回会いたいんだ。今日の夜、もう一回ここで待ってみるか」
「ッ!?だめっ!!絶対だめ!!」
今日の夜、それはめめが襲われてしまう日だ。
危険を承知の上で、あの夜、めめが外に出た理由が分かった。
この湖のほとりで、めめは阿部ちゃんを待っていたんだ。
どうしてそんなに会いたいのか、そこまでは分からない。
でも、めめのそのひたむきさに、俺はなんでかとても切なくなった。
めめは、焦ったように大きな声を上げる俺を不思議そうに見ていた。
「え、なんで?」
「えーっと……ぁ、よ、夜は危ないから!あ、そうだ。明日の朝、一緒に行こうよ。阿部ちゃんと会うのは、いつも明け方だから。最近毎日のように会ってるし、もしかしたら同じくらいの時間に行けば、また会えるかもしんない!」
「マジで!?佐久間くんありがとう!」
「にゃはは!いいよいいよ!俺とめめの仲じゃんかー!」
今日の夜、めめが外に出ることはどうにか食い止められた。
これから、また会議が始まる。
俺は、両腕をどんよりと曇った空にぐっと伸ばして、気持ちを奮い立たせた。
もう一度、壁に把握していることを一から書いていこうと決めて、自分の家に戻った。
ドアの前には、一本のフランスパンが籠の中に入って置かれていた。
「いつもありがとう」
これを置いてくれたのは、きっと涼太だろう。
この場に本人はいなかったが、俺は涼太を思いながら、その籠をぎゅっと抱き締めた。
茶色い土壁の前で腕を組み、「うーーーん…」と唸りながら、人差し指と親指で木炭をこねくり回す。
今、俺が分かっていること、時の流れや、リセットの条件について考えられることを、昨日のようにもう一度、書けるだけ全部書き連ねていった。
・ここは人狼ゲームの世界
・俺が処刑されると一番最初の日に戻る
・みんなの記憶は引き継がれない
・俺だけが記憶を引き継いだ状態でリセシトされる
・阿部ちゃんもリセシト前の記憶を持ってる
・阿部ちゃんだけど阿部ちゃんじゃない
・涼太は多分パソ屋さん
・めめが騎士←人狼に役職を知られたらだめ
・めめが今日の夜、外に出たのは阿部ちゃんに会うため
・めめを夜、外に出さないようにする
・明日の朝、めめと湖に行く約束をした
・傘の妖精←阿部ちゃんのこと?
・一人で行動すると疑われるから、できるだけ誰かといるようにする
・「もう一回」って俺に言ってくるのは誰?
「あ、そう言えば…」
そこまで書いたところで、俺はまだ頭の中に残っていた疑問を思い出した。
翔太という存在。
人狼ゲームに旅人なんていただろうか?
ただ俺が知らなかっただけで、別のバージョンではそういう役職もあるのかもしれないが、翔太の存在は俺にとって、どこか稀有なもののように感じられた。
涼太だけは、翔太のことを知っていた。
少し異様ではあるが、だからと言って、翔太には他に怪しそうな様子も特段見受けられない。
何かのバグのようなものなのかもしれない。
他に判断材料もなかったので、翔太について考えるのはこれくらいにしておくことにした。
確証もないまま変に考え過ぎて、逆に疑うようなことになってしまえば、本末転倒だ。
・翔太は旅人としてこの世界にいる
・人狼ゲームに旅人って役職はあったっけ?
・涼太だけが、翔太を知ってる
・翔太もみんなと初対面だった
・翔太は今日、涼太の家に泊まる
最後に翔太に関係することをいくつか書いて、俺は柄杓の中で指を濯いでから、照の家に向かった。
少し遠くの方から、こっちに向かってふっかが歩いてくるのが見えた。
俺は、少し声を張り上げて、ふっかに伝えた。
「今日は遅刻しなかったよー!」
ふっかも大きな声で、「毎回そうしろよ!」と俺に向かって叫んだ。
遠くの方で、始まりを告げる鐘の音が鳴っていた。
「誰か、人狼の特徴とか知ってることとか、何か情報持ってる人はいる?」
照の問い掛けに、いつも通りの返答が次々に返ってくる。
俺は、めめが話し出す前に先手を打って口を開いた。
「人狼ってさ、昼の間は大人しいっぽいね。今日は朝から結構出歩いてたけど、そんなに危ない感じしなかったし…」
「確かに。じゃあ、夜のうちだけ警戒してれば、ひとまずは大丈夫そうだね」
よし、照が食いついた。
このまま、めめが喋るターンを無くして、みんなで一緒に行動するように話を持っていこう。
俺は、夜の時間をどう過ごそうか、といった具合の話題をみんなに振った。
「夜の間は、家の中にいたら安全なのかな?」
「だと思うけど…」
「せやけど、怖いわ…、なぁめめ、今日めめん家泊まってもええ?」
「えー…」
「僕からもお願い!一人で寝るの怖いよ…」
「…はぁ…分かったよ…」
「やったぁ!めめ!おおきに!」
「ありがとー!やっぱめめは頼りになるよね!」
「くっつくな康二。離れろ」
「なんで俺だけ!?」
「僕、今日の夜やりたいことあるから、少しだけ遅れて行くね!」
「確かに夜はみんなで固まってた方がいいかもね。ふっか、お前はどうすんの?」
「んぁ?あー、特に考えはないけど…」
「じゃあ、このままうちにいな」
「まじ?助かるわー」
「お前はほんとに…こんな時でも呑気だな…」
「悩み事が無いってことにしといて」
「はいはい」
「翔太は今日どこで寝るの?」
「あー、常に寝袋は持ってるし、どっかで野宿するつもりだったけど」
「危ないよ?しばらくうちに泊まったら?」
「え、いいの?」
「もちろん。うち、パンと薔薇しかないけど。葡萄酒でも飲みながら、旅の話聞かせてよ」
「悪りぃな。世話んなるわ」
よし!これで、みんなバラけずに今日の夜を乗り切れそうだ。
俺も、どこかの家に転がり込ませてもらおうと思い手を挙げたが、俺が話し出す前に、涼太が「佐久間もうちにおいでよ」と言ってくれた。
「え!いいの!?ありがと!」
「いえいえ、こんな時はお互い様でしょ?」
「マジで助かる!ありがと!じゃあ、今日は江戸川トリオで夜更かししようぜー!」
「エドガワ…?」
「ぁっ…ごめん、なんでもない…!」
初日に処刑されるという負のループをうまく回避できたことが嬉しくて、つい口が滑ってしまった。
今のみんなに本当の世界のことを話すのは、極力避けた方がいい。
俺は無理やり誤魔化して、涼太との話を終わらせた。
「日も暮れてきたし、今日の会議はこのくらいにしておこうか。」
照の言葉を合図に、俺たちは解散した。
どうにか誰も処刑されずに、また初日の会議をやり過ごすことができた。
「じゃあまた明日ねー」と、みんなで言い合いながら、照の家を出た。
照とふっかは、外に出ていく俺たちに手を振って見送ってくれていた。
涼太、翔太と連れ立って、三人で涼太の家に向かう。
俺は壁に線を引いてくるのを忘れていたことを思い出して、一度自分の家に寄った。
「後で行くから」と二人に伝えて、自分の家に入ろうとすると、後ろから突然、翔太に腕を引かれた。
「お前、あんま余計なこと言わない方がいいぞ」
小さな声で俺にそう囁くと、翔太は振り向きもせず、スタスタと歩いていってしまった。
余計なこと…?
どういうこと…?
翔太に言われた言葉の意味を全く理解できないまま、俺は壁に大きな一本線を引いてから、涼太の家に向かった。
涼太の家は、中も外も薔薇だらけだった。
一つの種から育てて、どんどん数を増やしていったそうだ。
涼太の忍耐強いところは、どの世界にいても変わらないようで、俺は改めて涼太を尊敬した。
「簡単なものしかないけど、よかったらどうぞ」
そう言って、涼太はシチューとバゲットを出してくれた。
ほかほかのご飯を食べるのは久しぶりで、俺と翔太は夢中になってそれにかぶりついた。
「うんま!うまい!」
「ぅま。腕上げたな」
「ふふ、ありがとう。作った甲斐があるよ」
涼太は縁の欠けたグラスをくゆらせて、葡萄酒に口を付けていた。
何をしても様になるのも相変わらずで、俺は元の世界の涼太やみんなの事を思っては心細くなった。
「佐久間?どうしたの?」
「へっ、ぁ…、な、なんでもないよ!」
「大丈夫だよ」
「え?」
「今日はこうして三人でいるんだから、みんなでお互いを守ってれば、きっと、怖いことなんて起こらないよ」
「あ、そ、そうだね…!」
俺を励ましてくれるその言葉が嬉しかった。
涼太はいつも、みんなを見てそっと声をかけてくれる。
涼太のそういう静かな優しさが、俺は大好きなんだ。
早くこんな世界から抜け出すんだ。
もう一度みんなに会いたい。
まだまだ手が届きそうにない不確かな光に強く身を焦がしながら、俺はシチューが入った木椀を両手で抱えて、一気に飲み干した。
「これは……、ッ大変…!知らせに行かないと…!!」
天高く昇る月と燭台に灯る灯りを頼りに、水晶玉を覗き込む一人の青年がいた。
二つの光を受けて仄かに光るその玉の先に、彼は何を見たのか。
青年は、慌てたように外へ飛び出し、目的の場所まで一直線に駆けて行った。
辿り着くまでの時間が、悠久の如く感じられる夜の中で、一度息を整えようと、膝に手を置いて浅い呼吸を繰り返す。
空気を取り込みたいと強く主張していた心臓が、ゆっくりとしたペースに戻って行くのを待ちながら、次第に落ち着いてきた呼吸を繰り返していると、ふと、自身の背後に何かの気配を感じた。
それは、息を殺しながら青年に狙いを定めていた。
風の音さえもしない静かな空の下で、 「グルルルル…」と喉を鳴らすような音が聞こえてくる。
頭のてっぺんからつま先まで震えそうになるのを、どうにか堪えるようにして、彼は思い切り後ろを振り返った。
彼が最期に見たものは何か。
それを知る者は誰もいなかった。
「消えた星の隙間から」
「一つ落ちる」
「月の破片」
「拾い集めて胸に抱く」
「硝子の小瓶が満ちるまで」
「ふふっ、楽しみだなぁ」
傘を差した青年は、大きな時計台の頂上に立ち、雲に覆われた月光の下で静かに微笑んでいた。
翌朝、ひんやりとした空気に体が震えて、目を覚ました。
明け方の冷たい太陽の光を感じながら、俺は涼太が用意してくれた布団から抜け出した。
二人が起きてしまわないようにと、音を立てずにそーっと歩いた。
俺も翔太も、それぞれ部屋を分けて寝かせてもらっていたから、二人に鉢合わせることはなかった。
静かに木戸を開けて、外に出た。
自分の家に戻って、まずは壁に線が残っているかどうかを確かめた。
壁には、大きな線が一つ横に引かれていた。
俺は安堵のため息を漏らしてから、その下に、もう一本線を付け足した。
新しい朝が来た。二日目の朝だ。
めめとの約束を守るために、俺はまた外に出て目的の場所まで向かった。
今だけは、この村に俺たちしか住んでいないことに感謝した。
めめがどこに住んでいるのかを、聞きそびれてしまっていたからだ。
きっと、普段からみんなで頻繁にお互いの家を行き来しているんだろうし、こんなに狭い村なんだから、いちいち聞くのもおかしいだろう。
そう思ったからこそ、聞くに聞けなかったのだ。
並び合った家の前に置かれた、簡素な作りの郵便受けの下にぶら下がっているプレートを、端から順番に確認していった。
“Tatsuya”
“Hikaru”
“Koji”
“Raul”
と書かれたプレートの前を通り過ぎた後で、“Ren”と彫られた木の表札の前まで辿り着いた。
ドアをそーっと開けて、中に入る。
ベッドの上の膨らみに触れて、それを揺すった。
「めめ、めめ。起きて」
「…ん?」
「阿部ちゃんに会いに行くんでしょ?」
「ぁ、佐久間くんか…ふぁぁ…。待ってて。顔洗ってくる」
小さく声を掛けると、めめはすんなり起きてくれた。
顔を洗い、椅子に掛けていた軍服を羽織ったところでめめの身支度が整って、俺たちは一緒に家を出た。
「んん〜、もう食えん…」
寝言を言いながら、何かを噛むように口を動かす康二を最後に振り返ってから、そのドアはめめによって閉じられた。
俺は、どうしてかその光景に漠然とした違和感を覚えた。
しかし、形の無いそれは、木戸が軋む音に掻き消されて、次の瞬間には霧散してしまった。
湖のそばの切り株まで来てみたが、阿部ちゃんの姿は見えなかった。
二日目のこのくらいの時間であれば、確かに俺は阿部ちゃんに会っているはずなのだが、どうしてだろうか。
「んー…阿部ちゃんいないね…」
「む……ぁ、この傘…」
「あれ?それって、阿部ちゃんがいつも持ってたやつじゃない?」
「どうして傘だけここにあるんだろう」
草むらの中に、一本の傘が落ちていた。
それは、いつも阿部ちゃんが差していたものだった。
傘はあるが、当の本人がどこにもいない。
俺もめめも、疑問符ばかりが頭の上に浮かんでは、ただただ首を傾げるばかりだった。
しばらく待ってみたが、阿部ちゃんは俺たちの前には現れなかった。
俺は、めめを阿部ちゃんに会わせてあげられなかったことに、とても申し訳なささを感じた。
何度もめめに謝ったが、めめは意外にも穏やかに笑っていた。
「そんな謝んないで。妖精と繋がってられるもの見つけたし、今はそれだけで十分だよ」
「いい奴すぎる…ほんとにごめんね…」
「ううん。平気。これ、俺が預かっててもいい?」
「いいと思うよ。持ってたら、阿部ちゃんがめめのとこに取りに来るかもしれないし」
「そうだね。大切なものかもしれないから、大事に持っておくよ」
そろそろ帰ろうかと、めめと一緒に村の方へ踵を返したところで、遠くから康二がこちらへ駆け寄ってきた。
「めめ!さっくん!!」
「んにゃ?どったの?」
「ラウがどこにもおらん!!!」
先程感じた違和感は、やはり気のせいなんかじゃなかった。
昨日、めめと康二と三人で過ごすと言っていたラウールは、さっきめめの家に入ったとき、そこにいなかった。
別の部屋で寝ているのか?とも思えるくらいの小さな違和感だったから、気が付かなかったのだ。
めめの家に、ラウールがいなかったことに。
急いで全員を呼び集めてラウールを探した。
ラウールは、一つ前の時間で殺されていためめと同じ場所に横たわっていた。
冷たくなったその体は、ピクリとも動かなかった。
なんで…、どうして…。
みんなでいれば大丈夫じゃなかったのかよ…!
言葉にできない苦しさと、未来を何も変えられなかった自分への苛立ちが募った。
ラウールを土の中に還して、そこに十字を立てた。
みんなで目を瞑ってラウールを想ってから、俺たちは照の家に入った。
息が詰まるようなずっしりとした空気が流れる中で、康二がポツポツと話し始めた。
「ラウ、昨日来なかったんよ…。やりたいことがあるから後で行く、言うて、結局俺らが寝る時間になっても来んかった…」
「うん、康二の言ってることは正しいよ。確かに昨日、ラウールはうちに来なかった。こんなことになるなら、迎えに行けばよかった…っくそ…ッ!」
ラウールが襲われてしまったことに、二人は相当の責任を感じているように見えた。
二人が自分を責めることなんて無いのに…。
俺は俺で、また人狼の襲撃を止められなかったことに、かなり落ち込んだ。
ラウールは一人で何をしていたのだろうか。
そこに、次なる一手があるような気がする。
今日の会議が終わったら、ラウールの家に行ってみようと考えていたところで、唐突に翔太が俺に向かって声を発した。
「佐久間、お前、今日の明け方どこ行ってた?」
「え?どこって…」
「すっとぼけんじゃねぇ。お前が夜明け前に涼太の家から出てくの、気付いてたぞ」
「佐久間くんは、今日の朝、俺と湖に行く約束してて、起こしに来てくれたんすよ」
「それいつ頃の話だ?」
「えーっと、陽が昇った頃だったと思います」
「俺が気付いたのは陽が昇る前だ。目黒を迎えに行くまでには大分時間があったよな?何してたんだよ」
「そ、それは…」
「言えないことしてたってわけか?」
なんて言ったらいいんだろう。
確かに、俺はめめを迎えに行く前に自分の家に寄って、壁の文字を見返していた。
僅かに昇った陽の光を頼りに、目を凝らして見ていたから、時間はかかっていたかもしれない。
ただ、それを馬鹿正直に言ったところで、証拠を見せろと言われても困ってしまう。
あの壁には、この世界のみんなが読んでも理解してもらえないようなことも書いてしまっているから。
どちらかと言うと、この一連の流れを操作している側の存在に見られてしまう可能性もある。
どう転んでも疑われてしまうだろう。
翔太が発した言葉に呼応して、この場にいた全員が俺を睨みつけた。
俺は、その視線をどこか他人事のような気持ちで眺めながら、この先に待っているあの断頭台の感触を思い出していた。
そうだよね、みんな、ラウのお兄ちゃんだもんね。
そりゃ俺が憎いよな。
あぁ…またやり直しか。
虚ろに眺めた視界の端で、翔太の左端の口角がゆっくりと上がっていくのが見えた気がした。
目を閉じて、もう慣れつつある衝撃を待ち構えた。
待っていたわけではないが、いつも聞こえてくるあの声が聞こえてこないことに気付いて、俺は死を覚悟した。
はぁ、ここでゲームオーバーかぁ…。
大きな刃が首を掠めて、俺の意識は途切れたかに思えたが、それは変わらずここにあった。
次に目を開けた時、俺の体は宙に浮いていた。
少し下の方を見ると、そこには真っ二つになった自分の首が転がっていた。
「うわ!?グロ!?やば!!」
見たものの衝撃が強すぎて思わず声を上げたが、これは一体どういうことだろうか。
徐々に冷静さを取り戻しつつある頭で、ゆっくりと考え始めた。
生きているのか、いないのか、そこについてはよくわからなかった。
時間が巻き戻っていない、ただそれだけは分かった。
何が起きているのか、それを確かめるために、俺はふよふよと漂う体を自分の家の方へ向かわせた。
木戸をすり抜けて中に入ると、壁にはびっしりと、自分が書いたメモと二本の横線が、 くっきりと壁に残っていた。
やはり時間は巻き戻ってはいない。
「・俺が処刑されると一番最初の日に戻る」 という予想は、どうやら少し違っているらしかった。
なぜ、今回は時間が巻き戻らなかったのか、その法則についてはよく分からなかった。
しかし、これはラウールが昨日の夜していたことを、突き止められるチャンスだと思った。
俺はもう一度体をすり抜けさせて、ラウールの家まで漂っていった。
ラウールの家の中は、物が少なかった。
ベッドの上に、綿で出来たクマのぬいぐるみが転がっているのが見えて、「ラウールもまだまだ可愛いとこあんじゃん」と、俺は思わず笑みを溢した。
あちこちを見回ったが、特に手掛かりになりそうな物は無かった。
一つため息を吐くと、ふと、家の一番奥にある小部屋に目が留まった。
中には、黒い布を敷いたテーブルだけがあって、その上に水晶玉が乗っていた。
何かのおまじないをするための部屋みたい……まさか……。
「もしかして、、ラウールが占い師だった…?」
憶測でしかないが、ラウールは昨日の夜、人狼が誰なのかをこの水晶玉で占っていたに違いない。
もしかしたら、その時に犯人の姿をこの水晶玉の中に見たのかもしれない。
その後で外に出たところを…。
「そういうことだったのか…」
みんなのためを思って、頑張ってくれてたんだ…。
悔しい。
こんなにも簡単に奪われてしまうことがあっていいのだろうか。
絶対に人狼を探し出す。
俺は何度も何度もそう強く心で念じた。
その日から、状況は悪化の一途を辿り、地獄のような日々が始まった。
人狼は、毎晩一人ずつメンバーを襲っていった。
その手のひらの上で転がされるように、混乱から完全に正気を失ってしまったみんなは、諍い合うようになった。
落ち着いて聞いていれば支離滅裂だと判別できる理由で、訳も分からないまま、毎日誰かが処刑されていく。
夜になれば一人、また一人と人狼の餌食になって、翌朝、冷たくなった体が村のどこかで見つかる。
ただ見ていることしかできないのが、辛かった。
険悪になっていくみんなを、これ以上見ていたくなかった。
「みんな落ち着いてよ!!」
俺は何度も声を張り上げたが、みんなの耳にそれが届くことはなかった。
それはきっと、俺がもうここに存在していないからなのだろう。
死んでしまった人の声は聞こえない。
死者は話してはいけない、ゲーム通りのそのルールに、無性に腹が立った。
今残っているのは、ふっか、翔太、阿部ちゃんの三人だけ。
と言っても、阿部ちゃんは常に会議には不参加だから、みんなはずっと阿部ちゃんを行方不明だと思っている。
でも、今日の夜が終われば、明日には二択になる。
俺は、どこまでも手掛かりを追いかけるために、一晩中外を見張っていることにした。
ふっかと翔太は、今日の会議で完全に仲違いしてしまったようで、お互い別々に夜を過ごすことにしたらしかった。
二人の家が見えるところまで上に漂って、怪しい動きがないか、じっと見続けた。
朝から夕暮れにかけてずっと降っていた雨は、夜のうちに止んだようで、後にはじっとりとした空気だけが残っていた。
「こんばんは、満月さん」
不意に掛けられた声に驚いて、俺の体は大きく跳ねた。
ここ数日、誰とも会話していなかったし、俺に話しかけてくれる人なんていなかったから、とても驚いた。
声のする方を見やると、そこには傘を差しながら宙に浮かんでいる阿部ちゃんがいた。
「阿部ちゃん!?しばらく会ってなかったから心配したんだよ!?」
「月のない夜だね」
「へ?あ、うん。…阿部ちゃん、なんで浮かんでるの?」
「明日は来ると思う?」
「え?」
「明日と、昨日と、今日。どれが一番大事だと思う?」
「えーっと…明日かな」
いつも通り、阿部ちゃんは俺の話を全く聞いてくれないまま、俺に不思議な質問をした。
俺は、この後の夜の襲撃と、明日の朝の結果にばかり意識が向いていたので、そう答えた。
阿部ちゃんは俺の回答を聞くと、虚ろな表情のまま首を右に傾けた。
「明日のかけらは、明日しか集められないよ」
阿部ちゃんはそう言い残すと、空に漂う雲に紛れてどこかへ消えてしまった。
どのくらいの時間が経っただろうか。
大きな時計台を上から眺めて時間を確認すると、0時を半分ほど回ったところだった。
特に下の方に動きはない。
雲に隠れた月が、淡く銀色に光っていた。
隠れ蓑にしていた靄が風に乗って流れていくと、次第にその輪郭が露わになっていく。
少しずつ明るくなっていく村を見下ろすと、その中に佇む黒い影を見つけた。
下に降りていって、屋根の上からその漆黒を凝視した。
弱い光が、ゆっくりとその影の姿を映し出していく。
銀色の毛並み、黄金色の瞳、鋭い牙と爪、細かく吐き出される荒い吐息。
子供の頃、動物図鑑で見たままの狼が、そこにいた。
めめの言う通り、もしそれが人狼なんだとしたら、確かに昼間の姿とそれは全く違っていた。
やっと見つけた。
誰なんだ?
朝まで見張って、正体を暴いてやる。
そう意気込んで、俺は冷たく光る銀色の灯りを受けて輝くその獣に目を凝らした。
そいつは、ただ一心に、今さっき顔を出したばかりの月を見つめていた。
もう少し、あと少しで誰が犯人なのかがわかる。
たった一つの希望にやっと手が届く。
大きな光のすぐそばまで近付くことができたその時、 誰かが俺の耳元で囁いた。
「もう一回」
遠ざかっていく意識の中、虚空に響く遠吠えの音が、いつまでも耳に残っていた。
「ねぇ、もし明日…もしも明日、、、」
泣きそうになるくらいの優しい声だった。
目を開けてみたけれど、俺に問い掛けてくれる人の姿はどこにも見えなかった。
不揃いな茶色い木板が何枚もバラバラに並んでいる天井を、俺はぼーっと眺めていた。