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「来るとは言っていましたが、本当に来るとは……」
「婚約者に会いに来て何かまずいことでもあるのか?」
「いえ……ごほん。元気そうで何よりです。殿下。おかえりはあちらです」
「……貴様、本当に懲りないな。俺は、婚約破棄しないからな」
「ちえっ……」
拒絶したはずなのに、凝りもせずに来るところは、さすがしぶとい殿下といったところで、気分屋の癖に、変に頑固なところがあるのが嫌いだった。諦めてくれればいいものの、諦めてくれなかったことにより、こうしてまた、婚約者として顔を合わせる羽目になった。殿下が頻繁に来るせいで、私はべテルから、ペチカへならなければならなくなり、ばれるかもしれないという恐怖と隣り合わせになる。
(お兄様は、協力してくださる姿勢は見せてくれたけど、半分以上楽しんでいるし、あまり信用ならない……し)
どうにか帰ってもらう方法を探したが、いい考えが全く浮かばなかった。
一目ぼれした、だから婚約破棄したくない。お前しか考えられない――と、そういってくれた殿下の気持ちはうれしかったし、驚きとともに、喜びの感情があったのは事実だ。だが、現時点で殿下をだますように一人二役を演じているというそんな罪悪感もあって、ばれたとき彼を傷つけないかと心配で、だったら婚約破棄を……と思ってしまうのは仕方がないことだった。
それに、一目ぼれした相手を襲おうとした相手でもあり、ペチカとしての好感度はマイナス時点から始まって、彼はどう挽回しようというのだろうか。
「なぜ、そこまで婚約破棄にこだわる」
「ですから、お慕いしている人がいると」
「イグニスに聞いたら、いないと言っていたが?」
「おに、お兄様あ!?」
思わず前のめりになり叫んでしまった。
前言撤回。協力などではなく、ただ私の邪魔をしただけだった。お兄様を信じた私がばかだったと、頭が痛くなるが、殿下はこれでもう逃げられないな、とどこか誇らしげな顔をしていた。
「だから、もうこの言い訳は通じないからな」
「はあ……」
「なぜため息をつく。貴様も、皇太子との婚約……悪い話ではないだろ?」
「そういう、上から目線なところが嫌いなんです。あなたを好きだって人がいるの、ほんと信じられない」
女嫌いなのは、殿下に言い寄ってくる令嬢たちがことごとくはずれだからだ。もちろん、こんな言い方はあっていないし、口にしたら一斉砲火を受けるだろう。だが、殿下の本質を知ったらいくら、皇太子だからと言え結婚はちょっと……と考えるはずなのだ。だから、きっと彼に言い寄った令嬢たちは彼の本質を知らない。
私からしたら、なんで彼がいいの? となる。
(でも――)
すっと顔を上げて、なんだ? と言わんばかりに首をかしげる黄金の彼を見ていると、何かを言おうという気も失せる。丸まったルビーの瞳は輝いていて、邪悪さを一切感じられない。それは、私がよく知っている彼の瞳だった。
はあ、ともう一度ため息をつけば、彼の顔にまたしわが寄る。
嫌われれば婚約破棄してくれるだろうか。だが、いい方法など一つも思いつかず、このままべテルだということを隠しながら生きていかなければならないのだろうか、と頭を悩ませれば、一ついい考えが舞い降りてきた。
(そうだわ。こうしましょう……!)
膝の上でぎゅっとこぶしを握って、気づかれないように笑顔を取り繕う。
「殿下は、私の顔が好きと言いましたね」
「あ、ああ。いった。だが……」
「では、私の体はどうなんですか?」
「か、からだ?」
まさか、そんなことを言われるとは思ってもいなかったという顔で、耳をぼっと赤くさせ、殿下はたじろいだ。女性嫌いで、女性が言い寄ってくるのに飽き飽きし、ということはきっとスキンシップにもいらだっただろう殿下が、なぜ――? とは思ったが、それはいきなり言ったからだ、ということにして、私はすくっと立ち上がった。
殿下は、今から何が始まるんだと、期待と不安が混じった顔で私を見つめていて、隙だらけだった。そっと、彼の男らしい大きな手を私は両手で持ち上げて自らの胸に殿下の手を当てた。
「なっ!?」
「顔も、体も含めて、私のことが気に入ってくれたのかと思いまして。出会ったとき、私を抱こうとしていたので、殿下にその気があるのかなと思いまして。どうです?」
むにゅっ、とさらに押し当てれば、殿下の骨ばった指がピクリと動いた。戸惑い、でも行き場を失った手は布の上から私の胸の肉を確認するように強く指の腹で押される。
(恥ずかしいけど、我慢よ! はしたないってわかってるけど、背に腹は代えられないのよ! ペチカ!)
はしたない、節操のない女だとわかれば、殿下は婚約破棄を言ってくれるだろうと私は考えた。殿下の女性嫌いを逆手にとっての作戦だった。
それが功を奏したのか、殿下の顔は見る見るうちに険しくなっていく。だが、それに反して、彼は振り払えるであろう私の手を振り払うことなく、私の胸にあてたまま動こうとしなかった。さすがに重たくなってきて、私が手を放すかと考えていれば、ぼそりと殿下がつぶやいた。
「――……かい」
「で、殿下、いまなんて……? もしかして、婚約破棄してくれるんですか?」
と、私が食い気味に聞けば、なぜそうなるといわんばかりに彼はキッと私をにらんだ。ルビーの瞳が細められ、青筋の立った顔は見ていて怖かったが、私の行動に怒っているのではないということが分かり、私は落胆した。こんなに思い切った行動をしたというのに、なぜ殿下は……
(女性嫌いでしょ!? 一目惚れって言っても、こんなふうに自らの体を安売りするような女嫌いでしょう!?)
私だって、これじゃあもうお嫁にいけない……って思いながら、こうして婚約破棄のために体を張ったのに。それすらも殿下の前では無意味というのだろうか。それほどまでに、殿下は私の顔に……?
そう思っていれば、急に殿下の手が私の胸の形を確かめるように動いたので、思わず目をひねらせ「ひゃぁっ」と声を漏らせば、殿下の肩と、腕が大きくはねた。
「す、すまない」
「で、殿下……」
少しかすんだ、うるんだ瞳で殿下を見れば、謝罪を述べた人間とは思えないほど、興奮と期待の入り混じる眼で私を見ていた。
「……これは、どういうことだ。ペチカ・アジェリット」
「ど、どういうこととは」
「なぜ、いきなり俺の手を……貴様の胸に……」
「そ、それは……ひっ、あっ」
「……っ! やめろ、そんな声を出すな!」
「それは、殿下が!」
やわやわと、殿下の手は、私の胸の感触を楽しむかのように動き始めた。むにゅり、と形が変わるほど強くもまれたかと思えば、優しくなでるように触れられる。
やめろというのであれば、手をどけてほしかった。だが、それをしないといいうことは、殿下は私の胸をもんでいたいということで……
(もんでいたいって何!?)
自ら起こした行動とはいえ、あまりにも状況が呑み込めなかった。
顔を真っ赤にして私の胸を片手でもむ殿下と、されるがままの私。こんな昼間からなんて破廉恥な……淫らな行為。
「貴様は、俺をどうしたいんだ……」
「どうもしたくありません。婚約破棄してほしいのです! それなのに、殿下が私の胸を……」
「婚約破棄と、胸がどう関係ある。くそっ、なんだこのさわり心地、服の上からでもわかる、弾力……吸い付いてくるような……」
「やめてください! 実況しないでください! 手を放してください!」
そういうと、ようやく、殿下は私から手を離した。だが、名残惜しそうな目で見られたことに私が気付かないわけもなく、にらみつけてやれば、申し訳なさそうな、でも満足感を得たような表情で、殿下は私の胸を触っていた手をぐーぱーと動かした。それが、卑猥に見えて、先ほどの感覚を思い出し、私は両手で胸を抑える。さらしを巻いているが、そこまで胸が大きいほうではない。だが、そこに弾力と確かな丸みはあるわけで。
殿下のルビーの瞳は私を見つめたまま、もう一度手の感覚を確かめるように視線を落とし、ぼそりとつぶやいた。
「やわらかかった……」
「……っ!」
「ち、違う。今のは……ごほん、貴様の魂胆はわかったぞ。俺に婚約破棄させるために嫌われようとしたのだろ」
「……」
「図星のようだな。だが、残念だな。俺は、惚れた女が何をしたとしても幻滅しない。むしろ、俺のために躍起になっている奴を見ていると面白い」
「最低ですね……」
「撤回しよう。貴様は面白い。ペチカ・アジェリット。さすがは、俺が惚れた女だ」
「……はいはい、どーも。私はちっとも嬉しくありませんけど」
結果的に、彼を喜ばせただけであり、婚約破棄だ! と言わせることはできなかった。それどころか、黒歴史を作ってしまう始末。ペチカ・アジェリット、一生の不覚……
(こんなことになるなんて思っていなかったわよ。バカ!)
女性嫌いっていうのはうそだったのか。いや、嘘ではないだろう。それと、私はあんなに近くで彼を見てきたのに、殿下のこんな表情、知らなかった。殿下がこんな人だってことも……私は、いったい彼の何を見てきたというのだろうか。
「ペチカ・アジェリット」
「今度は何ですか、殿下」
胸を抑えながら、私は殿下を再度にらむ。殿下はそれを見てふっと笑うと、私に触れようとした手を下ろして自分の胸に手を当てた。そして、一人で何かに誓うようにぎゅっと手を握りこむと、私のほうにルビーの瞳を向けた。まっすぐとした瞳に、ドキリとして息をのむ。だが、彼の口から放たれた言葉に拍子抜けしてしまった。
「絶対に、俺を好きだと言わせてやる」
「はあ……」
「きっと、貴様は俺に惚れるぞ。ペチカ・アジェリット。そしたら、もう二度と婚約破棄など言わせないからな」
「……どこから、その自信沸いてきたんですか」
「俺は手に入れたいと思ったものは、全部手に入れる主義だ。婚約者という名ばかりの関係ではなく、もっと貴様のことを知りたい。貴様は面白くて、かわいいやつだからな」
「はあ~このめんどくさ男……惚れませんけど。絶対に、惚れません。賭けてもいいです」
「賭けてもか……何か賭けるものでもあると面白いか」
ふむ、と一人考え込むように殿下は言うと、ちらりと私を見た。こんな幼稚な賭けをするなんて、殿下は暇なのだろうか。
ため息も出なくなり、この気分屋に少し付き合ってあげようという気にもなって、私は「いいですけど」という。どうせ、惚れるわけがないのだから。私の勝ちに決まっている。
自分の勝ちを確信している殿下には悪いけれど……
「それで何を賭けるんですか?」
「貴様が一年の間に俺に惚れなかったら、婚約破棄をしよう。だが、貴様が一年の間に俺に惚れたのなら――」
殿下は、少し耳を赤くして指をさす。
「もう一度貴様の胸をもませろ。ペチカ・アジェリット」
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