じっと聞いてくれていた絢斗君は開いている手の指先ですっと、私の涙を優しく。繊細な手つきで拭ってくれた。
「真白。泣かせてしまって済まない。でも、話してくれてありがとう」
ううんと、首を横に振る。
「真白はまるで白百合みたいだ。ずっとそう思っていた。いつもしゃんと真っ直ぐで……俺なんかと違って、綺麗で気高い」
そんなことはない。
私は利己的で自分勝手でわがままで。
そう言いたくなる。しかし、私を想ってくれている人の言葉を否定したくなくて。
今から喋ろうとしてくれる絢斗君に向き合うために、せめて。俯かないで顔を上げていようと思った。
「俺もちゃんと……自分の気持ちを言おうと思う。聞いてくれるか?」
もちろんだと、頬に触れた手を両手でぎゅっと握る。
雨に濡れていた絢斗君の手は冷たかった。でも、こうして触れているとじわりと、暖かくなってくるのがなんだか嬉しかった。
辺りはすっかり暗くなったけど、そんなのは関係なく。私達は気持ちを吐露し続けあう。
雨の音が周りの音を遮断しているようで、傘の中の範囲が、この世界の全てだと錯覚してしまいそうになる。
「どこから話していこうか迷うけど。俺もあの夏の日から話そうと思う」
「うん。聞きたい。聞かせて」
「あの日。俺は真白との約束が楽しみ過ぎて早くに、ここに来ていた。一緒に屋台をどんなルートで回ろうとか。花火はどこでみようか。手は繋げるだろうかとか、そんなことを考えていた」
「私も一緒。友達に見つかったら、どうしようって思っていた」
「俺は見せつけたかったな。真白は男子に人気があったから」
絢斗君は過去を懐かしむように、ふっと笑った。
「そうだったんだ。知らなかった。でも、私は絢斗君以外の誘いは断っていたと思う」
少しずつ過去が明るみになっていくのは心が高鳴る。それでいて、心を揺さぶられるような胸のざわつきも感じながら、絢斗君の言葉に耳を澄ます。
「けど、真白は来なくて。お祭りも終わってしまって。あぁ、これは振られたと思った」
やっぱりそう思われてしまっていたと、絢斗君の寂し気な声に申し訳なく思ってしまう。
握りしめた手に力を込めると。絢斗君は横に首を振った。
「そう、真白には来れない理由があった。それはもう仕方ないことだ。後日、その真相を知っても真白からの連絡が無かったことに納得は出来た。でも……納得出来なかったのは俺自身だ。真白の事情を知って、直ぐに会いにいこうと思った。だが当時。心身ともに疲弊している真白に俺が何が出来るのかと思うと、足が止まった」
「会いに来てくれようと、していたんだね」
また、涙が頬を伝う。
その気持ちだけで充分だと思った。
「あぁ。会いたかった。慰めたかった。励ましたかった。でも、肉親が亡くなっているのに、気安く俺なんかが声を掛けて掛けていいのか迷った。しかも事故で揉めているところに、突然押し掛けるのは迷惑だろうと。俺は何も出来ないと思った。まだ経済力も何もない、人生経験もなにもない。高校生の俺は無力で真白の力になんか、なれないと思った」
違う。そんなことはない。今度は首を横に振る。
父が死んで、あの悲しい状況を何とか出来るなんて、神様ぐらいしか居ない。
そうやって考えてくれただけで私は充分だからと、言いたいのに胸が詰まって言葉が出なかった。
「──そこで、切ない初恋だと幕を閉じるのは嫌だった。俺はね。同時に自分の無力さが嫌になった。好きな女の子を何一つ守ってやれない、自分が嫌で堪らなかった。だから、そんな過去なんか俺には必要ないと思った」
「そんな……」
絢斗君は微かに下を向いた。
前髪からぽたりと雫が落ちた。
「それを払拭しようと、俺は躍起になった。今、思えば思春期特有の傲慢さ。自分への過信。失恋の痛みをプライドを折られたと勘違いした」
これが、絢斗君の『過去は要らない』と言った原因かと思った。
苦しい思いをした過去なんて、誰だって向き合いたくない。それこそちゃんと痛みを感じたからこそ、背けたくなる気持ちはだれだって同じだろう。
それが私への想いと相まって、気持ちが上手く整理が付かなくて。
あの大量の写真や試すようなことに、繋がっていたのかと思った。
ここで私に向き合ってくれている絢斗君に、私はそれらを責める気持ちにはなれなかった。
何か言葉を掛けようかと思ったけど、今触れ合っているこの手の温もりがあれば大丈夫。
絢斗君は慰めの言葉より、今はこうして触れ合うことを求める人だと理解していた。
雨が落ちるように静かに頷くと、絢斗君もぎゅっと私の手を握り返して、続きを語った。
「俺が弁護士になったのは、立派な志があったとかじゃない。真白がまた困難な場面に直面していたら、次こそ俺が助けたいと思ったからだ。周囲から見て社会的に信用も高い。再会しても信頼を得られやすいとか。俺に取って都合がいいと思った職業だったから。そんな理由だけだ。
俺が独立をしたら、真白を探しに行こうと決めていた。誰の物になっていても、必ず俺が真白を手に入れようと思っていた。そうしないと……俺はいつまで経っても、何も出来ないガキのままだと思っていた……」
最後の言葉は雨に紛れるような小さい声だった。そこに絢斗君の苦渋の念が表れているように見えた。
風が吹いて、ざぁっと雨が地面を走る。
傘が揺れて、パタパタと雫が下に落ちた。
泣いてしまったせいか、なんだかずっと雨に打たれ続けた気持ちなった。
それでも、絢斗君の言葉にひたすら耳を傾ける。
「素直に名乗ればよかったのに──もう二度と手放すかと、真白に契約妻を提案した。口説くよりも、真白の気を引けると思ったから。少しでも引き留めることが出来ると思った。もちろん、契約なんかで終わらせるつりはなくて、どんな理由でもいいから真白を俺のものにしたかった。もう、離れたく無かった……。一人になりたくなかった」
また風が吹いて。
雨が少し強くなった。
絢斗君は一歩前に踏み出して、はっきりと言った。
「真白に愛されたかった」
その言葉を聞いて、一つの記憶を思い出した。
それはソファの上で睦みあったとき。
絢斗君は『もうどこにも行かないでくれ』と言っていたことを。
私に触れながら。どこにも吐き出せ無い、思いを抱えていたんだろうと思った。
「ずっと想ってくれていて、ありがとう。私も同じだよ」
絢斗君はこくりと頷き。
困ったように微笑した。
「なのに、体だけでも俺を求めるようになったらいい。俺の上部だけでも好きになったらいいと、想いが加速して行って、結果。真白を不安にさせてしまった。本当に悪かった。この二日間、これで真白を失ってしまったのかと思うと、自業自得だが。何度も死にたくなった」
「し、死んじゃだめっ。そんなの絶対にダメっ!」
あまりの言葉にびっくりして掴んでいた手を離して、絢斗君の両腕を掴んでしまった。
絢斗君は少しびっくりした顔をしてから、優しく笑った。
「そうだな。このままじゃ死んでも死にきれない。だから。真白。いや……南さん」
懐かしい呼び名に体が震えた。
「俺も南さんの事がずっと好きでした。今もその気持ちに変わりありません。月日が経っても俺の気持ちは色褪せなかった。今も愛しくて仕方ない。俺は過去も未来も、南真白さんの全てが欲しい。
あなたのお陰でやっと過去と向き会えた。もう逃げない。過去がいらないと、言わない。こんな俺だけど、契約妻なんかじゃなくて。本当の俺の妻になって欲しい」
「あ、あやとくん……」
「南真白さん。俺と結婚して下さい」
「──はい。こんな私だけど、よろしくお願いします……ッ!」
わっと両手を伸ばすと、絢斗君は傘を落として私を迎え入れてくれた。
ぎゅっと強く抱き合う。
もう言葉は何も要らなかった。
ずっと、ずっと聞きたかった言葉が聞けた。
結婚しようと言ってくれた。
好きな人が私の事を好きだった。
ただそれだけなのに。
分かっていたことなのに。
好きも愛してるも何回も聞いたのに。
なのに嬉しくて嬉しくて。
私はこの人と出会う為に生まれて来たと思った。
また迷って、気持ちがすれ違うことがあるかもしれない。けど私達はこうして何度だって、恋をして愛しあっていける。
そして雨の中、抱きしめ合う私達はまるで──青春を謳歌する高校生みたいで。
脳裏であの夏の日。
事故なんか起こらなくて。
絢斗君との待ち合わせに間に合い。手を繋ぎ。
楽しそうにお祭りを楽しむ私と絢斗君を、やっと思い描くことが出来たのだった。
『エンディング』
〜エピローグ〜
ホテルの窓辺で見るテーマパークの花火ショーは、間近で打ち上げられ。迫力満点で美しかった。
色とりどりに夜空に咲く光と、耳に届く音も心地よくて。
思わず、うっとりとしてしまっていた。
ライトアップされた観覧車や、キャッスルタワーにジェットコースター。
今日、一日遊び尽くした乗り物達もキラキラ光っていて、ここから見える夜景をさらに美しく彩っていた。
「とても綺麗」
そう呟いて横に居る絢斗君を見ると。私と同じ白いバスローブを羽織り、寛いだ様子だった。しかし折角の花火を見ずに私を見ていて、ぱちっと視線が合うと。
「あぁ、綺麗だけど花火を見る真白の方が綺麗だ」
と微笑んだ。
「もうっ。絢斗君ったら。ほら、私より花火見ようよ。凄く綺麗だよ!」
「この世に真白より、綺麗なものはない」
「またそんなことを言う」
「本当のことだから仕方ない。ほら、真白おいで。もっと近くで真白を見つめたい」
すっとシルバーの結婚指輪を嵌めた、しなやかな指先が私に伸ばされると。断る理由なんかなくて、私も結婚指輪をした手を伸ばして、絢斗くんの腕の中に収まった。
くすりと笑いあう。
そしてしばし、二人で寄り添いながら目の前の花火ショーを見つめる。
部屋に花火の打ち上がる音とショーミュージックが聞こえてきて、とてもロマンチックだった。
月並みだけど、こんなに幸せでいいんだろうかとか思ってしまう。
花火を見つめながら、これまでのことを思い出す。
私達は高校生の時に別れ。また出会い。
約束の場所、鳥居の下で分かり合えた。
黙っていた事を全て打ち明けて、その全てが愛おしいと思い。互いを受け入れて、一生を共にして行こうと誓いあった。
──その後。
母の裁判も当初の予定通り。九鬼氏からの謝罪は手紙のみで終わったが。それで充分だと母も納得して、少額訴訟は勝訴で終わった。
そのタイミングで絢斗君は母や祖母に、結婚を前提にお付き合いしている事を打ち明け。
父の仏壇にも手を合わせてくれてたのだった。
何もかも順調だった。
私も絢斗君の両親に挨拶をしに行き、とても緊張したけどご両親に優しく迎え入れられて、ほっとした。
これから結婚に向けて両家で顔合わせとか、松井さんを招いて今度ホームパーティを予定していたりとか。やることが沢山で、一度リフレッシュの為に。ここのテーマパークに遊びに来ていたのだった。
実はこのテーマパークに来たのは絢斗君のリクエスト。
なんでも高校生のとき。私と付き合っていたらお祭りの他にも、こうして遊園地デートをしたかったと、照れながら私に教えてくれたのだった。
そして毎年。必ずあの夏祭りに行こうと約束していた。
胸が弾むことがこれから沢山あると思うと、口元が自然と緩む。
「真白どうかした?」
「幸せだなって。それに写真。今日、沢山絢斗君と写真を撮ったから、早く飾りたいなと思ったいたところ」
あの書斎部屋は話し合いの結果。
写真を飾るなら、私と絢斗君の写真を一緒に飾ると言うことに決めた。
壁に飾ってあった私の写真は、絢斗君がアルバムを作ったり。自分の部屋に飾ったりと、最終的に壁にはデジタルフォトフレームだけが残った。
それでも恥ずかしいと言うか、少々複雑な気分だったけども。
そんな絢斗君が好きなのだから、仕方ない。
今度はこっそりと、私が絢斗君の写真を沢山飾ってしまおうかとか考えてしまう。
また、くすりと笑うのと同時に夜空に花火が煌めく。
「真白、俺も幸せだよ。こんなにも可愛い真白と結婚出来るなんて、俺は世界中の男達から嫉妬されてしまうな」
「絢斗君は、私のこと口説きすぎだよ」
「毎日、毎日。口説くから。ずっと好きだと言わせて欲しい。永遠に愛させて欲しい」
絢斗君の手が腰に周り。くるりと体の向きをかえられ、絢斗君と向き合い。ちゅっと頬にキスをされた。
──いよいよだと思った。
私達はまだ結ばれていなかった。
絢斗君はキッチリと両親に挨拶を終えるまで、私を抱くことは無かった。
両家の挨拶が終わった今、何も憚るものはない。
これから私は絢斗君と結ばれる。
今以上の幸せがこれから私に訪れるなんて、想像が付かない。
何度も言った言葉を口にする。
「絢斗君。大好き」
「俺はその何倍も愛してるよ」
そのセリフに私は絢斗君に敵わないなぁと思いながら、静かに目を閉じると優しく唇が重なった。
触れ合うようなキスは、ゆっくりと深いキスに変わり。舌を絡めとられた。
甘いキスに体が早くも蕩けて行くようで、絢斗君にぎゅっと抱きつく。
私はずっとこうして幸せに──甘く。淫らに。
絢斗君に絡めとられていくのだと思った。
完